浅井家の躍進!
戦いが終われば、内政ですね。
関ヶ原周辺の領地を得たことにより、浅井家が美濃の経済に深く食い込んだ。
北陸、伊勢、そして東国に出る交通の十字路だ、浅井にとってまさに『要地』である。
一旦派手に叩いておいたから、この西美濃方面の流通は浅井家の独壇場だ。
かなりの収益が、見込まれる。
笑いがとまらん、まあ有効に活用していこう。
まずは、この地方で権威と勢力を持つ、『南宮大社』を取り込む。
南宮大社は、『金物の神様』であることから、
俺は、国友の鉄砲鍛冶師をはじめ、他多数の”鍛冶師・鋳物師”を引き連れ南宮大社に参拝をした。
その際に、横領されていた土地を取り戻し、あらためて南宮大社に寄進した。
もちろん例の方式である。
既に、浅井家の『手厚い寺社の保護』は有名である。
大社側にも、意外とすんなりと受け入れられた。
その上で、南宮・朝倉山(現地名)に砦を設ける許可を取った。
(俺が領主なので、もちろん許可などは不要なのだが、このひと手間が大切なのだ。)
これもよろこんで受け入れられた。
(他の美濃の地侍に対して睨みが利くからな。)
友好関係を築けそうだ。
この一連の行為により、多くの職人が「賢政様は敬虔なお人柄。」「職人の保護者である」として賢政を慕った。
国友村は参拝の礼として浅井家に鉄砲300丁を差し出した。
(あれ?国友の取りこみ、完了か?)
せっかくもぎ取った土地を、美濃の奴らに取り返えされないための処置とは言え、こうも評判が良いとは……。
南宮山城(現状は砦)には、城主として『井伊直盛』に入って貰う。
井伊家宗家として頑張って欲しい。
今後の、(夜叉法師の独立の)布石でもあるが。
それ以上に、『井伊の赤鬼』のネームバリューを大いに利用する方針だ。
井伊谷の直親に先んじて、『赤備え(あかぞなえ)』を採用した。
(もちろん、後日直親にも赤の具足を進呈しておいた。その疾きこと彗星のごとし。隊長仕様である。)
今の時期、このハッタリは良く効くことだろう。
直盛自身、前当主であるから直親より経験も豊富だし、今川家にも顔が利く。
最高の人材である。
跡取りの孫(夜叉法師)の為にも頑張ってくれるはずだ。
とはいえ、一応こちら側からの交戦は禁じている。
半兵衛が、策を以て仕掛けた時は撤退も許可してある。
「半兵衛の出方次第だな」
欲を言えば、彼を取り込みたいのだが……俺は嫌われているようだ。
― 静かな変化 ―
賢政の名声は、対外的にはそれほどあがらなかった。
六角家としては、極々穏便に対応したとして評価が高い。
重臣達も好感を持った。
江南の国人の信頼も充分得られた。
将軍義輝も信頼を置く。
交渉の成功で、自らの権威が高まった事を感じたからである。
賢政は気がきいて、ここち良いのだ。
竹中氏は、その非凡な才を世間に示した。
名軍師の名は、彼のものであった。
ただその後の政治的な戦いでは、賢政に破れている。
しかし、ほとんどの者はその事に気付いていない……それはあくまで六角と一色(斉藤)の争いの結果であるからだ。
義龍は、自分だけ名をあげやっかい事を持ち込んだ、竹中氏に対して警戒を抱くとともに、半兵衛を疎んじた。
しかし、気付いた男もいる。
織田信長だ。(彼の話は、別話を設けることにしょう。)
別のニュースの話もしたい。
6月お雪の方、2女『華姫』誕生
すまん、忙しくて懐妊の報告を忘れていた。
そしてその他の情勢だ。
やはり、『六角さん』と『三好さん』は、そりが合わないらしい。
「鬼十河」と異名を持つ十河一存がしんだのが発端らしいが……。
細川晴元が三好長慶に幽閉されると、六角承禎はやっぱり激怒し、晴元の次男・細川晴之(承禎の甥)を奉じて、畠山高政と共に京都に進軍した。
家臣の永原重澄に命じ同年7月に将軍山城に立て篭もり、義賢自身は神楽岡付近に陣をはり上洛を伺った。
この時六角軍は、総軍で当然2万の兵であった。
(超過勤務ですね。)
三好長慶の嫡男義興と家老の松永久秀と対戦、一時的ではあるが三好氏を京都より追い出すことに成功している。(将軍地蔵山の戦いというらしい。)
浅井家は、現在西美濃対策で手一杯だ、ゆえに俺は従軍していない。
というか、あの竹中半兵衛の事があるし油断出来ない。
それに浅井は、『近江北部の護りの要』という位置づけだ。
そういうわけで、代わりに物資に関しての融通(商売)で六角家に貢献をしている。
おかげで、かなり儲かっている。
というか、今の状態で俺以外が浅井の当主だったら2万の兵を京へ出すなんて恐くて出来ないだろう。
違うのかな?
江北の内政の方は順調だ。
予定のペースで進めている
新町の建設も進み、活気が出ている。
国友村が、俺に懐いたのでやりやすくなった。
今回、本格的に柏原や井ノ口の商人も取り込んだので、陸上交易もかなりいけると思う。
俺の努力のお蔭か、その他の多くの商人が集まり小谷に店を構えた為、もう井ノ口や石寺に並ぶ勢いだ。
町造りとしては運河の開削のみ後手に回っている感がある。
あまり慌てる必要はないので、ゆっくり町を作ることにする。
秀吉のような無理な借金は良くないからな。
堺、京とのつながりで、湖上輸送が劇的に増加し、猪飼他がうちにすり寄っている。
堅田衆とは懇意に付き合えているので、琵琶湖の水運は万全である。
先の『静かなる戦』でも陰ながら世話になった。
寺社勢力に対しても、干し椎茸と日本酒で彼らの気を引きつけている。
朝廷とのつながりがあるおかげで、無茶なことを言ってこないのがありがたい。
六角家は、主君である以上に良いお客である、京に2万の兵を展開する以上物資の確保がいるわけで商売繁盛だ。
長対陣になるらしいが、頑張ってほしいものである。
内政の成果も伝えておこう。
硝石・火薬の生産は順調だ、量産にむけて準備している最中である。
石灰の採集も順調だ。
畑にも使えるし、コンクリートも開発の目処が立った。
流石に鉄筋は使えないので、竹筋にしよう。(もしくは何かの繊維で代用出来ないかな?)
農業においては、種籾の選別とか苗代と正条法は導入済みだ。
伊香郡・浅井郡・坂田郡に順次拡充する段階。
脱穀も千歯扱きで順調。
石高は湖東・西美濃の分を含めて大幅に伸びている。
実収入はそれ以上に期待出来る。
街道の整備は大変だがぼちぼち進んでいる。
新たに獲得した上石津ルートから安全かつ楽に北伊勢へ抜けられるようになった。
これはデカイ、浅井にとって貴重な収入源となるだろう。
やはり、交易ルートは複数確保しておかないとな。
国友にも資金を投下していきたいが、しばらくは様子見だ。
徐々に手懐けていこう。
信長パートは次話でどうぞ。