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長政?はつらいよっ!! 静かなる逆襲!!  作者: 山田ひさまさ
~ 浅井はやっぱりハードだねっ!! ~
3/23

『不破の関砦』 陥落す!

さあ、物語が動きます。

振り返るな!



 まったりとしていた、六角勢の陣中に凶報が届いた。


「今井氏、謀反!」


 今井氏は、京極家衰退の折に六角側に走った、米原の国人だ。

俺の配下ではない。(実はそのような生き残りが数名いる。)

六角家に恭順した以上、俺も手出しが出来なかった。


陣中に動揺が走った。

「まさか?」

「なぜ今なのだ、解せぬ」

「誤報では無いのか?」

「どういうことだ!」



さらに凶事の知らせが、俺の元にも届いた。


『一色勢が、不破の関の砦を攻略したもよう!』


「何?馬鹿な!」

一色家の動向を探るよう、なけなしの忍びを放っていたと云うのに……。

稲葉山城に動きは見られないとの報告を受けていた。

湖東の国人衆に調略の手を伸ばしているのは掴んでいたが、まさか不破の関が落ちるとは……。


「至急、詳しい現状を調べさせよ!」

「ははっ」


「直経どう思う?」

流石に考えに詰まり、俺は腹心の直経に尋ねた。


「軍が動いたような気配がなかったはずですが…」

直経も首を傾げている。


 この時期に、美濃からの動きがあるだろうとは、ある程度予想はしていた。

しかし、それでも理解できない攻略の早さだ。


「いくら何でも、速すぎる」

敵の接近や、襲撃の報告すら受けていない。

砦の将兵が内通していたのか?

流石に考えにくい。

とりあえず速やかに対応せねば……。




六角家も混乱しているようだ、先ほどまでの余裕がない。


「今井定清が、一色に寝返ったか?」

「六角家を見限ったのであろう」

(四郎殿では無理もないことじや。)


「どうやら、調略を仕かけたのは、一色家の仕業らしいですな」

「六角家も代替りですし、義治様は与し易しと足元をみられたのでしょう」

「やれやれでござるな」



 漏れ聞こえる家臣達の容赦のない会話を聞き、義治は慌てた。

 (ようやく、一色家、いや『竹中の小倅』に嵌められた事に気づいた様子だ。)



 義治のことなどに構ってはいられない。

とにかく行動許可を貰わねば、ええぃ、めんどくさい!!


「私の軍勢が、不破の関砦の奪還を担当いたしまする」

俺は、重臣連中にそう告げた。

浅井にとっては大事な砦なのだ、下手に外部に任せるわけにはいかない。


「すまぬのう~」

「そうじゃな、ここは、浅井の出番じやの」

「では我らは、今井の菖蒲岳城を囲むとしようかの」

(菖蒲岳城は、中山道の摺峠針を押さえる位置にある要衝だ。)



四郎が慌てる。

総大将を差し置いて勝手に軍議が進んでいるのだ、無理もないことだ。


 いや、わしが行くのじゃ「おのれ、一色め蹴散らしてくれよう」 無駄に気合いを入れている。

「いくぞ~」

「「「お~っ」」」

「浅井は、残って肥田城を見張っておれ!」


「え?」

マジですか?やめてください。

「殿、磯野からの早馬です、相手は西美濃三人衆とのことであります」

直経が耳うちをする。

「くぅっ、半兵衛が動いたか」

「磯野隊が柏原の宿にのこのこ出てきた馬鹿を葬った以降は、敵は隘路に籠もっているかと思われます」

「妥当な判断か」

「我が方も軍を下げて、にらみ合っているとのことであります」

「押っつけ六角勢が行くことになった、折を見てもう少し下がらせろ!」


敵方に半兵衛がいるなら、あんな狭い所での戦闘は恐怖でしかない、六角をあてて様子見だな。

磯野を警戒にあてておいて良かった。


「これ以上の侵攻はなんとしても阻止せねばならん!心せよ」




 第1軍と中央軍のおよそ1万5千を、義治が六角の迎撃軍として率い柏原に向かった。

途中の菖蒲岳城に、進藤賢盛隊3千の兵を残していった。


1万2千の兵が、柏原に殺到して行った。






一方、柏原では……。


竹中半兵衛が、着々と策を講じていた。


― 半兵衛の策 ―

浅井の封じ込めを狙う。

不破の関以西に美濃勢の拠点を作る。(長久寺、妙応寺が適当)

柏原の手前まで進出し、柏原の宿を美濃の影響下におく。


柏原-不破ルートを抑えて、浅井の軍の美濃侵攻の意図を完全に封じ込める。

竹中氏が、砦を守備する。(費用は、柏原からの収入でまかなう)


柏原の宿の利権を双方で折半とし、替わりに通行許可を出す事で手打ちとする。

数度の戦闘は避けられないが、地形を利用すれば容易に撃退は可能である。

『桶狭間』の教訓を、忘れているようであれば、誘引し思いっきり撃退すればよい。


 そして、半兵衛の計画の通りに事は進んでいた。

西美濃勢三千を不破の関砦に引き入れ、西に向け進軍を開始した!

美濃の軍勢は易々と侵攻して行く。

第一目的地である、妙応寺を越え、さらにお目当ての長久寺を落とした。

(賢政は寺に対して、有事の際は速やかに投降して良いと指示していたからである。)

 

「これ以上の進軍は不要である。」

「兄上!何故ですか?」

「久作、これより突出しても軍をまともに維持できぬ」

「なるほど」


 半兵衛の作戦を無視した国人・地侍連中がいた。

300名ほどの手勢が町を襲うべく抜け駆けしたのだ。


しかし、柏原入り口の隘路で浅井の留守部隊に襲撃されあえなく全滅した。



 浅井の留守部隊を率いるのは、名将.磯野員昌である。


「殿の不安が的中してしまったか……」


-回想-


「磯野!すまないが、本当にいざという時の保険に佐和山に残ってくれ」

「確かに、用心は必要ですな」

「以前勧誘しようとしていた、竹中が来るかもしれん、奇策に気を付け無理はするな」

「…竹中ですか?はあ」

「そうだ、手強いと思う用心しろ!」


「杞憂であると思っておったが、まさかこうも容易く抜かれるとは……恐ろしい敵ですぞ!」




そして、半兵衛はというと……

「油断しすぎだ、愚か者め」

全滅の報を聞き、冷ややかにそうつぶやく……すべてを見通すような口ぶり、おそろしい男である。


 半兵衛は、馬鹿どもの被害を気にすることなく矢継ぎ早に命じた、

「谷間に簡易で良い、砦を設けよ」

「主力の兵は、一つ手前の、妙応寺に集めるように」と指示を下した。



そうして準備が終わりを迎える頃、義治の軍勢が攻め寄せた。



「軍勢が来ます」

「よし、手はず通りに致せ」

「ははっ」


 既に竹中半兵衛を軍師とする垂井勢が、柏原の東の隘路長久寺に陣を構えていた。

西美濃勢3千は、既に不破の関を越え山中(地名)を通り抜け、妙応寺付近に潜んでいた。


戦闘が開始された。


 半兵衛の采配が冴える、美濃勢を巧みに操り、

狭隘な土地に六角軍をひきずり込み、損害を与えつつ後退する。

「良く狙い、討ち取れ!」


「怯むな押せ押せ!」

 六角勢は、かなりの犠牲を出しながらも、蒲生定秀の采配で何とか、門間を抜けた。


「一色め、小勢の分際でくそ忌々しい、蹴散らしてくれよう!」

義治は、すっかり頭に血が上っていた。

「若殿!冷静になられよ」

「くっ儂が当主じゃ!」

後藤賢豊がたしなめるが、焼け石に水であった。


 妙応寺界隈の比較的開けた土地に出て、西美濃勢と対陣しようとした。

六角の軍勢およそ1万、対する美濃勢はおよそ2千足らず。

ようやく戦になる。

とその時、

「てっ、て、敵襲」

「「「「「わあ~っ」」」」」

竹ノ尻(地名)に潜んでいた安藤守就率いる別動軍が、満を持して側激した。


 これには流石の定秀もたまらず、六角軍は敗走した。

隘路を逃げる敗軍は、散々に追い廻された。

義治はじめ六角の諸将は、『桶狭間の悪夢』を見ているようだった。

六角勢は、大軍を活かし切れず手痛い損害を被り撤退した。


お味方大勝利にございます。

竹中半兵衛率いる、西美濃勢が大軍を追い散らし、近江東部の最大の要地を手に入れた。



ー方、


 俺は、渋々ながら残りの六角軍に合流した。

手早くすませるため、爺と友松を使者にたて開城させる事とする。

まあ、正直俺も焦っている。

たぶん、高野瀬も端っから本気では無かっただろうし、頭も冷めたであろう。

雨森秋貞と海北友松が上手く話をつけてくれた。

肥田城側が、すんなりと開城してくれた。

(本当に良い迷惑だったぜ。)


 肥田城を接収していると、平井の義父上(平井定武)から、忍びの報告が届いた。

敵の動きと国内反逆者リストである。

いやあ、あの手紙のハッタリのおかげで、平井さん大活躍ですよ。

承禎さまにも連絡取って、必死に他の重臣達といろいろ調整をしてくれました。

ありがたいことです。

やはり持つべきは、頼りになる義父ですね~。


 今井氏以外にも、不穏な動きをしていた輩がいたようだ。

俺は、高ぶる怒りの矛先を一色方に誼を通じていた『湖東の国人・地侍衆』に向けた。

「ー色に寝返り、敵を誘引した」として、これを攻め完全に排除した。


 荒神山に拠点を設けて兵を入れ、浅井の砦とした。

湖東への足がかりである。

有事の際、琵琶湖を使う必要があるからと、散々ごねて貰った。




 敗走した六角軍は、翌日、今井定清を囲む進藤賢盛の兵3千と一旦合流した。

大勢の死傷者に加え足軽兵の逃亡も有り、数を大きく減らしたもののまだ敵より兵は多い。

勢力を無理矢理に回復した六角勢は、再度進撃し柏原を奪回したものの、それが精ー杯であった。

半兵衛が采配をふるう長久寺入り口の砦は、堅かった。


 隠居しつつも実権を握る承禎が、『事後を賢政に任せ兵を引くよう』息子の義治に命じたため、六角軍は撤退した。



結局


 竹中氏が、柏原-不破の関の隘路を確保して、この戦いは終結した。

軍師『竹中半兵衛 重治』の名声は、こうしてさらに高まったのである。

その名は、地元の西美濃のみならず、近江に、そして『日の本中』に届く勢いだ。



 かくして浅井家は、美濃への進出ルートを竹中氏に押さえられることとなった。

かわりに今井氏の旧領箕浦他を授かった。

 これは、承貞との裏取り引きによるものだ。

まあいわゆる『義冶の不始末』の示談金である。

俺から平井氏にあてて書いた手紙で、義治が敵に操られている事を指摘した。

それに対しての口止め措置である。


 六角としても、ここで浅井に心変わりされ一色家に付かれては、動揺した湖東の国人衆が一気に離反しかねないのだ。

承禎は、重臣とともに頭を抱えた上で、大幅に譲歩した。




7月23日 浅井賢政は小谷に帰還した。

「ふう~」戦いの疲れを須賀谷の湯で落とした。



25日

縁の方が出産、長女:那月なつき 誕生


「間に合ってよかったでちゅよ~那月たん!」

「殿……」

「パパでちゅよ~」

ほっぺをつついてご満悦である。

賢政は、親バカであった。


敦賀郡司家に嫁いだ、姉の鞠姫が既に女児を出産しており。

『千代姫』と名付けていたのが、心底羨ましかったのだ。



 数日後に慌ててやって来た、義父上(平井定武)が間に合わなかったことに悔しがっていた。


「じいじいですぞ~」

やはり、爺バカだった。


やはり、平和が一番だ。



あっさり、半兵衛にしてやられました。

手強い相手です。

賢政はどのように戦うのでしょうか。

お楽しみに。


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