『不破の関砦』 陥落す!
さあ、物語が動きます。
振り返るな!
まったりとしていた、六角勢の陣中に凶報が届いた。
「今井氏、謀反!」
今井氏は、京極家衰退の折に六角側に走った、米原の国人だ。
俺の配下ではない。(実はそのような生き残りが数名いる。)
六角家に恭順した以上、俺も手出しが出来なかった。
陣中に動揺が走った。
「まさか?」
「なぜ今なのだ、解せぬ」
「誤報では無いのか?」
「どういうことだ!」
さらに凶事の知らせが、俺の元にも届いた。
『一色勢が、不破の関の砦を攻略したもよう!』
「何?馬鹿な!」
一色家の動向を探るよう、なけなしの忍びを放っていたと云うのに……。
稲葉山城に動きは見られないとの報告を受けていた。
湖東の国人衆に調略の手を伸ばしているのは掴んでいたが、まさか不破の関が落ちるとは……。
「至急、詳しい現状を調べさせよ!」
「ははっ」
「直経どう思う?」
流石に考えに詰まり、俺は腹心の直経に尋ねた。
「軍が動いたような気配がなかったはずですが…」
直経も首を傾げている。
この時期に、美濃からの動きがあるだろうとは、ある程度予想はしていた。
しかし、それでも理解できない攻略の早さだ。
「いくら何でも、速すぎる」
敵の接近や、襲撃の報告すら受けていない。
砦の将兵が内通していたのか?
流石に考えにくい。
とりあえず速やかに対応せねば……。
六角家も混乱しているようだ、先ほどまでの余裕がない。
「今井定清が、一色に寝返ったか?」
「六角家を見限ったのであろう」
(四郎殿では無理もないことじや。)
「どうやら、調略を仕かけたのは、一色家の仕業らしいですな」
「六角家も代替りですし、義治様は与し易しと足元をみられたのでしょう」
「やれやれでござるな」
漏れ聞こえる家臣達の容赦のない会話を聞き、義治は慌てた。
(ようやく、一色家、いや『竹中の小倅』に嵌められた事に気づいた様子だ。)
義治のことなどに構ってはいられない。
とにかく行動許可を貰わねば、ええぃ、めんどくさい!!
「私の軍勢が、不破の関砦の奪還を担当いたしまする」
俺は、重臣連中にそう告げた。
浅井にとっては大事な砦なのだ、下手に外部に任せるわけにはいかない。
「すまぬのう~」
「そうじゃな、ここは、浅井の出番じやの」
「では我らは、今井の菖蒲岳城を囲むとしようかの」
(菖蒲岳城は、中山道の摺峠針を押さえる位置にある要衝だ。)
四郎が慌てる。
総大将を差し置いて勝手に軍議が進んでいるのだ、無理もないことだ。
いや、わしが行くのじゃ「おのれ、一色め蹴散らしてくれよう」 無駄に気合いを入れている。
「いくぞ~」
「「「お~っ」」」
「浅井は、残って肥田城を見張っておれ!」
「え?」
マジですか?やめてください。
「殿、磯野からの早馬です、相手は西美濃三人衆とのことであります」
直経が耳うちをする。
「くぅっ、半兵衛が動いたか」
「磯野隊が柏原の宿にのこのこ出てきた馬鹿を葬った以降は、敵は隘路に籠もっているかと思われます」
「妥当な判断か」
「我が方も軍を下げて、にらみ合っているとのことであります」
「押っつけ六角勢が行くことになった、折を見てもう少し下がらせろ!」
敵方に半兵衛がいるなら、あんな狭い所での戦闘は恐怖でしかない、六角をあてて様子見だな。
磯野を警戒にあてておいて良かった。
「これ以上の侵攻はなんとしても阻止せねばならん!心せよ」
第1軍と中央軍のおよそ1万5千を、義治が六角の迎撃軍として率い柏原に向かった。
途中の菖蒲岳城に、進藤賢盛隊3千の兵を残していった。
1万2千の兵が、柏原に殺到して行った。
一方、柏原では……。
竹中半兵衛が、着々と策を講じていた。
― 半兵衛の策 ―
浅井の封じ込めを狙う。
不破の関以西に美濃勢の拠点を作る。(長久寺、妙応寺が適当)
柏原の手前まで進出し、柏原の宿を美濃の影響下におく。
柏原-不破ルートを抑えて、浅井の軍の美濃侵攻の意図を完全に封じ込める。
竹中氏が、砦を守備する。(費用は、柏原からの収入でまかなう)
柏原の宿の利権を双方で折半とし、替わりに通行許可を出す事で手打ちとする。
数度の戦闘は避けられないが、地形を利用すれば容易に撃退は可能である。
『桶狭間』の教訓を、忘れているようであれば、誘引し思いっきり撃退すればよい。
そして、半兵衛の計画の通りに事は進んでいた。
西美濃勢三千を不破の関砦に引き入れ、西に向け進軍を開始した!
美濃の軍勢は易々と侵攻して行く。
第一目的地である、妙応寺を越え、さらにお目当ての長久寺を落とした。
(賢政は寺に対して、有事の際は速やかに投降して良いと指示していたからである。)
「これ以上の進軍は不要である。」
「兄上!何故ですか?」
「久作、これより突出しても軍をまともに維持できぬ」
「なるほど」
半兵衛の作戦を無視した国人・地侍連中がいた。
300名ほどの手勢が町を襲うべく抜け駆けしたのだ。
しかし、柏原入り口の隘路で浅井の留守部隊に襲撃されあえなく全滅した。
浅井の留守部隊を率いるのは、名将.磯野員昌である。
「殿の不安が的中してしまったか……」
-回想-
「磯野!すまないが、本当にいざという時の保険に佐和山に残ってくれ」
「確かに、用心は必要ですな」
「以前勧誘しようとしていた、竹中が来るかもしれん、奇策に気を付け無理はするな」
「…竹中ですか?はあ」
「そうだ、手強いと思う用心しろ!」
「杞憂であると思っておったが、まさかこうも容易く抜かれるとは……恐ろしい敵ですぞ!」
そして、半兵衛はというと……
「油断しすぎだ、愚か者め」
全滅の報を聞き、冷ややかにそうつぶやく……すべてを見通すような口ぶり、おそろしい男である。
半兵衛は、馬鹿どもの被害を気にすることなく矢継ぎ早に命じた、
「谷間に簡易で良い、砦を設けよ」
「主力の兵は、一つ手前の、妙応寺に集めるように」と指示を下した。
そうして準備が終わりを迎える頃、義治の軍勢が攻め寄せた。
「軍勢が来ます」
「よし、手はず通りに致せ」
「ははっ」
既に竹中半兵衛を軍師とする垂井勢が、柏原の東の隘路長久寺に陣を構えていた。
西美濃勢3千は、既に不破の関を越え山中(地名)を通り抜け、妙応寺付近に潜んでいた。
戦闘が開始された。
半兵衛の采配が冴える、美濃勢を巧みに操り、
狭隘な土地に六角軍をひきずり込み、損害を与えつつ後退する。
「良く狙い、討ち取れ!」
「怯むな押せ押せ!」
六角勢は、かなりの犠牲を出しながらも、蒲生定秀の采配で何とか、門間を抜けた。
「一色め、小勢の分際でくそ忌々しい、蹴散らしてくれよう!」
義治は、すっかり頭に血が上っていた。
「若殿!冷静になられよ」
「くっ儂が当主じゃ!」
後藤賢豊がたしなめるが、焼け石に水であった。
妙応寺界隈の比較的開けた土地に出て、西美濃勢と対陣しようとした。
六角の軍勢およそ1万、対する美濃勢はおよそ2千足らず。
ようやく戦になる。
とその時、
「てっ、て、敵襲」
「「「「「わあ~っ」」」」」
竹ノ尻(地名)に潜んでいた安藤守就率いる別動軍が、満を持して側激した。
これには流石の定秀もたまらず、六角軍は敗走した。
隘路を逃げる敗軍は、散々に追い廻された。
義治はじめ六角の諸将は、『桶狭間の悪夢』を見ているようだった。
六角勢は、大軍を活かし切れず手痛い損害を被り撤退した。
お味方大勝利にございます。
竹中半兵衛率いる、西美濃勢が大軍を追い散らし、近江東部の最大の要地を手に入れた。
ー方、
俺は、渋々ながら残りの六角軍に合流した。
手早くすませるため、爺と友松を使者にたて開城させる事とする。
まあ、正直俺も焦っている。
たぶん、高野瀬も端っから本気では無かっただろうし、頭も冷めたであろう。
雨森秋貞と海北友松が上手く話をつけてくれた。
肥田城側が、すんなりと開城してくれた。
(本当に良い迷惑だったぜ。)
肥田城を接収していると、平井の義父上から、忍びの報告が届いた。
敵の動きと国内反逆者リストである。
いやあ、あの手紙のハッタリのおかげで、平井さん大活躍ですよ。
承禎さまにも連絡取って、必死に他の重臣達といろいろ調整をしてくれました。
ありがたいことです。
やはり持つべきは、頼りになる義父ですね~。
今井氏以外にも、不穏な動きをしていた輩がいたようだ。
俺は、高ぶる怒りの矛先を一色方に誼を通じていた『湖東の国人・地侍衆』に向けた。
「ー色に寝返り、敵を誘引した」として、これを攻め完全に排除した。
荒神山に拠点を設けて兵を入れ、浅井の砦とした。
湖東への足がかりである。
有事の際、琵琶湖を使う必要があるからと、散々ごねて貰った。
敗走した六角軍は、翌日、今井定清を囲む進藤賢盛の兵3千と一旦合流した。
大勢の死傷者に加え足軽兵の逃亡も有り、数を大きく減らしたもののまだ敵より兵は多い。
勢力を無理矢理に回復した六角勢は、再度進撃し柏原を奪回したものの、それが精ー杯であった。
半兵衛が采配をふるう長久寺入り口の砦は、堅かった。
隠居しつつも実権を握る承禎が、『事後を賢政に任せ兵を引くよう』息子の義治に命じたため、六角軍は撤退した。
結局
竹中氏が、柏原-不破の関の隘路を確保して、この戦いは終結した。
軍師『竹中半兵衛 重治』の名声は、こうしてさらに高まったのである。
その名は、地元の西美濃のみならず、近江に、そして『日の本中』に届く勢いだ。
かくして浅井家は、美濃への進出ルートを竹中氏に押さえられることとなった。
かわりに今井氏の旧領箕浦他を授かった。
これは、承貞との裏取り引きによるものだ。
まあいわゆる『義冶の不始末』の示談金である。
俺から平井氏にあてて書いた手紙で、義治が敵に操られている事を指摘した。
それに対しての口止め措置である。
六角としても、ここで浅井に心変わりされ一色家に付かれては、動揺した湖東の国人衆が一気に離反しかねないのだ。
承禎は、重臣とともに頭を抱えた上で、大幅に譲歩した。
7月23日 浅井賢政は小谷に帰還した。
「ふう~」戦いの疲れを須賀谷の湯で落とした。
25日
縁の方が出産、長女:那月 誕生
「間に合ってよかったでちゅよ~那月たん!」
「殿……」
「パパでちゅよ~」
ほっぺをつついてご満悦である。
賢政は、親バカであった。
敦賀郡司家に嫁いだ、姉の鞠姫が既に女児を出産しており。
『千代姫』と名付けていたのが、心底羨ましかったのだ。
数日後に慌ててやって来た、義父上が間に合わなかったことに悔しがっていた。
「じいじいですぞ~」
やはり、爺バカだった。
やはり、平和が一番だ。
あっさり、半兵衛にしてやられました。
手強い相手です。
賢政はどのように戦うのでしょうか。
お楽しみに。




