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長政?はつらいよっ!! 静かなる逆襲!!  作者: 山田ひさまさ
~ 浅井はやっぱりハードだねっ!! ~
22/23

駆けよ弥太郎!

 皆さん、雨森弥太郎行貞を知っていますか?

彼は長政はつらいよ!の中でも数少ないオリジナルキャラです。

今回は弥太郎が、活躍するお話しです。



『情報』 それは、いつの時代でも大切なものである。


命を賭けて戦う戦国大名ならば、それは尚のことであった。


情報は、速さ、正確さ、信頼性が問われる。



今ひたすら馬を走らせている弥太郎が担うのは、情報の『信頼性』である。


 弥太郎は、ほとんど名前しか出ないため準モブ扱いであるが……。

傅役・重臣の雨森弥左衛門秋貞の息子にして、賢政の乳兄弟である。

それに、側室、お雪の方の兄でもある。

れっきとした、浅井三宿老『雨森』一族なのである


信頼できる者という意味では、100点満点なのである。



 弥太郎は浅井家中のみならず、六角家の家臣の者にも顔が利くのである。

だてに20年も賢政の傍にいる訳では、ないのである。


こと近江に関して云えば、彼は誰よりも顔が知れており、使者として役に立つのである。


 賢政の栄養というこだわりのおこぼれを存分に享受して、大柄な浅井の血統ほどではないが、171cmの恵まれた体格を得ている。


直虎や直経、それに『氷の師匠』の厳しい訓練を受け、武術の心得もまあまあ一流である。


というわけで、弥太郎がこの緊急事態に使者に立ったのは当然のことであろう。



 すでに、三好の不穏な動きの情報は早馬が出ている。

これは、”情報の速さ”である。



 三好の動きと云っても、いきなり1万の人間が湧いて出てくるワケではない。

数十人が集い、武将に率いられ100の人規模で行動する。


それが、集まり1000人規模となり、10の集団が一つの統一した思惑と意思で動き、1万の軍となる。


部分部分で見れば、100人の集団なのか、1万の軍の一部なのかが判らない。

全体を見通せるのは、情報を集め正確に読み取ったモノだけである。


一般人は、全部が揃った時点ではじめて、それが軍団であると気付くのだ。



 早馬による”情報の速さ”では、不穏な動きがあるという漠然としたモノでしか無い。

いわゆる『注意・警戒情報』となる。


次ぎに、正確な情報を以てして、『準備情報』となる



そして、賢政の出動命令という信頼性のある情報により、ようやく軍事行動の発令となるのだ。



~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~



 弥太郎は、十数人の騎馬武者を引き連れ、一路近江を目指している。

十八日の『居待ち月』は、夜道をあかるく照らし、弥太郎の行軍を助けてくれた。


幸いな事に、山科路は浅井家の影響力が大きい地域である。

山科にて、浅井家の息のかかった商人・馬借に『動員準備』を促しながら馬を替え駆けてゆく。


「急げ、急げおくれるな~」


 逢坂山を越え、勢多の山岡に急報を告げる。

正確な情報を以て、『準備情報』を発動したのである。

ついでに後続で来るであろう、勝太郎の部隊の受け入れの要請も行った。


山岡氏は弥太郎より急報を受け、伝馬を走らせ『佐和山』と『小谷』へ緊急動員の情報を飛ばす。


しかし、弥太郎の仕事はそれで終わりではない。




 今、弥太郎は船上の人である。

さすがに休憩を挟まねば身が持たない、山岡氏が持っている早舟に乗っているのだ。

今は深夜である、疲れた弥太郎ではこれ以上夜道を馬で飛ばすのは危険すぎる。

速報に関しては、伝馬に任せる事にした。

身体を休めつつ江南の味方へ指示を飛ばしまくった。

緊急事態に際し、指揮権を持つ弥太郎なのであった。



 猪飼家との繋ぎをとり、今度は猪飼水軍の快速船に乗り換えて、一路佐和山を目指した。


船は、水夫を使い潰す勢いで湖面を駆けるように進んでいった。



佐和山の磯野員昌に目通りし、動員令を発した。

すでに早馬の知らせが届いており、早急に軍が編成されているところであった。


同様にして、弥太郎が小谷に着いた時には、すでにある程度の準備が始められていた。


 後は、最新の事実確認と賢政の意図の確認である。

待機か、出陣か?

弥太郎が持つ賢政の出陣の下知を待つばかりとなっていた。

まだ確定情報では無いので、城下の浅井屋敷にて重臣のみの会合となった。


「待ちかねたぞ、弥太郎!」


「はあ、はあ、はあ、っすいません、直経様」


「して、殿はいかがせよと」


「上様、二条御所に御籠城のよし、念のため兵を編成し逢坂山にて待機せよとの仰せにございます」


「うむ、して三好の動きは」


「清水詣でと称し、兵を集めている模様です」


「戦になるであろうか?」


「それは判りませんが、奉公衆が気むずかしい様子です」


「はねっ返りどもめ」


「して殿は?」


「上様より託されたおなご衆の護衛の依頼を勝昌に任せ、上様の説得に当たられるもよう」


「とにかく時間との勝負であるな」


「兵は拙速をよしとするというからの」

雨森弥兵衛が兵を語る。


「私が先行いたします」

直経が気炎を吐く。


「では儂が本隊を纏めよう、弥太郎よ佐和山の員昌は?」

赤尾清綱が尋ねた。


「すでに、動員を発し兵を募っておりましょう。猪飼の水軍衆、勢多の山岡殿もすでに準備を始めております」


「うむ」


「さすがは殿、この事あるを見越しておられたのだな」

《賢政は、『非常時の心得』という、マニュアルを重臣に配布していた。》


「では出陣いたす」


「「「おうよ」」」




 直経率いる即応の兵100騎が先行し、後は関船で勢多まで移動するのであった。

(もちろん弥太郎は、勢多の山岡に協力要請をしています。)


 各地から、兵を先発させ400名(山岡・猪飼他江南組)

勢多に着いた、勝昌の200名

後は、普段輸送業に携わっている騎馬隊(馬借・小荷駄)をムリ無理徴発して300名

計1000をなんとか用立てしたのであった。


 後の3000の兵も、猪飼の水軍衆の全面協力が無ければ、即応は無理であったろう。

実際その日の琵琶湖の交易は、浅井家の軍事行動を優先していたのである。



 賢政が言ったように『無茶しやがって』であります。




 直経は、追加の情報によって二条御所襲撃と賢政の危機を知った。

「ぐぬぬ、三好め許さん!」


そのため、さらに予定を変更し京は粟田口まで兵を急行させたのであった。

なんとか護衛部隊と連絡を取り安否を確認した。


「やれやれ、殿がご無事で良かった」


安否確認が出来るまで、直経に近寄れるものはいなかった。



一方、

磯野・赤尾の3000の兵は、京をうかがうフリして逢坂山近辺に陣取った。

山科から勢多にかけての賢政達の逃走ルートを、三好にバレないように警護したのであった。



そう、もう一つ。 情報は、”秘匿”すべきものでもあります。



 斯くして、将軍足利義輝公とその家臣。そして、松永弾正が賢政とともに近江へと逃げ込んだのだった。

『永禄の乱』の発生から数日後のことであった。




今まで、まともなセリフすらなかった、弥太郎のお話でした。

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