『賢政、歌の会に出席し、可愛い花を愛でる』
ついてこい!
ついてきて。
お願いします、ついてきてください。
永禄8年(1565年)5月
俺は将軍足利義輝公より、歌の会に招かれた。
とはいえ、各人が歌を詠むあの歌会では無く。
俺が流行らせた、ゲームの派生商品のお遊びである。
つまりは、『小倉百人一首』である。
これが、なぜか京の都で”大ブレイク”しているのだ。
『なにせ、自分が歌を詠まなくてもよい』
これがいま、童から殿上人にまで老若男女幅広くにウケている
まあ、和歌が好きな人はいいが、苦手な人には公の場で和歌を詠むというのは、正直なところ苦痛だったと言うことだ。
その点、『小倉百人一首』ならば、覚えればいいし、うろ覚えでもそれなりに参加出来る。
京の雅な雰囲気を気軽に、手軽に味わえると大評判なのだ。
しかも、あの人気絵師 『海北友松』 の作画である。
絵札自体にも価値がある、上質の近江堅紙に多色刷りをした、自慢の逸品である。
やはり、近江と言えばカルタなのです。
この作画の功績で、友松には30貫の加増をしてやった。
漫画家並みの修羅場をくぐり、100人の人物をキッチリと描き分けた友松はなかなかのプロ根性を見せたと思う。
まあ、その『小倉百人一首カルタ』の制作者として、俺達は今回 招かれたわけである。
俺は、” 画家 ”の 海北友松を従えて、京の都へと旅立った。
西の浜から浅井家所有の船にて移動した、暖かくなってくる季節なので浜風がなんとも心地よい。
「うむ、琵琶湖はいいなあ~!」
きちんと身なりを整えた300名の兵士の随伴付きだ。
上洛するのにさすがに護衛無しというわけにも行かないが、かといって多すぎるのも問題なので匙加減が難しい。
船は、懇意にしている勢多の山岡氏の港に停泊させてもらった。
さあ、ここからは陸路である。
新緑の中、逢坂山を越え洛中へ入った。
いったん、京に構えた屋敷に入り旅装を解いた。
上洛の旨、使者をたて二条御所に報告した。
― 京、二条将軍御所 ―
将軍義輝公のもとには、お公家さんと近衛稙家公が招かれていた。
形式張った、室町礼法でごあいさつをする。
「賢政、参りました。」
「よく来た賢政」
まずは茶室へと案内された。
流石は義輝公の将軍御所である、なんとも質実にして剛健ながらも雅なものだ……。
義輝公のご意向で、僭越ながら亭主を務めさせていただいた。
「賢政殿、貴殿のお茶は美味しゅうござるな」
近衛稙家公から、お褒めの言葉をいただいた。
それが前置きだった。
「時に、賢政殿! よい縁談があるのじゃが……綾と申して……」
「はあ」
(友松か、政元の縁談の件かな?)
「おお種家どの、あの綾姫のことか? ”我が奉公衆”の賢政に年も近いしピッタリではないか、株も上がろう」
なぜか義輝公が、話に首を突っこんできた。
(あれ、俺って下っ端の”走り衆”じゃなかったっけ? まあいいか。)
当初は政元か誰かの縁談かと思ったのだが、最初からお目当て俺であった……。
なぜかこのお茶会で、綾姫との縁談が持ち上がったのだ。
義輝公の肝いりと云うことで、話が切り出されてしまったのだ。
(これでは、断れないではないか……)
義輝公はノリノリだった。
その後は、ご機嫌な義輝公、(上様と呼べということで)上様が、酒宴を開いてくださった。
お公家さんが、上機嫌でお酒を飲み干していた。
相変わらずのお方であるが、親しい知り合いが居るというのは心強かった。
まあ、その日のことはそれで終わった。
― 夜 ―
今日は、将軍御所にてお泊まりだ、賓客扱いには多少戸惑ってしまった。
酒宴を終え、自分に宛がわれた部屋へ戻ると……。
友松の姿は無く……。
そこには、妙齢の女性と女の童がいた。
「ふう~」
どうやらとてつもなく歓迎されているらしい。
昼の一件といい、どうやら上様は浅井家を足利家家臣として取り込む腹づもりのようだ。
六角家の影響力が低下したのが原因かな?
何にしても、夜伽を遣わされるというのは尋常ではない。
(もしかして、上様のご愛妾を下賜されたとかではないだろうな? これはヤバイお家騒動の始まりだぁ~)
「賢政様、お初にお目もじいたします『妙』と申します」
「浅井賢政じゃ」
(うぐぐぐ、手を付けないのも無礼なのかも知れないが愛妾の下賜だとしても、最低六ヶ月は間をあけて欲しい。
誰の子か判らんとか、シャレにならん。)
とりあえず、お酒をいただき場をつないだ。
後は土産に持ってきた『小倉百人一首カルタ』を取り出し……
「実は、これカルタの新作ですが……」
「まあ、綺麗」 「素晴らしいです」
と、三人でカルタを楽しんで、なんとかその場を誤魔化した。
坊主めくりが、意外とウケた。
(ヘタレちゃうわい)
― スッキリした朝 ―
『妙』をうやむやの内に酔い潰して下がらせ、昨夜は何とか『お家の危機』を脱出した。
他の女人を宛がわれても困るので、カルタで仲良くなった女の童をダシにしてお断りした。
遅めの朝餉をいただいた。
別に起床が遅かったわけではないぞ、先ほどまで上様と鍛錬していたのだ。
やはり、義輝公はひと味違うなと感心させられたところだ。
まさに、『剣聖将軍』である。
配下の奉公衆もかなりの猛者達だ。
まあ俺も負けてはいないがな。
『氷の男』と、俺があだ名している師匠の指導のおかげで、そこそこいい線いっていると思う。
自慢じゃないが、俺は浅井家 家中でも五指には入る腕前なのだ。
朝食の膳は思ったよりも質素だったが、味はなかなかのものであった。
ひと汗かいた後の食事は格別である。
― 歌合わせ ―
そうこうしている内に昼が過ぎ、歌会が始まってしまった。
もちろん和歌を詠む雅なお方もいらっしゃるので、それを楽しみつつカルタ大会をするようだ。
将軍義輝公のもと、お公家さん、その他大勢の公家衆が招かれていた。
もちろん、三淵藤英、 細川藤孝、摂津糸千代丸らの近習・小姓、それに松永久秀 も同席している。
慶寿院や義輝正室(近衛稙家の娘) 側妾の小侍従といった方々と侍女ら、おなご衆 も参加する華やかさである。
なんとも雅で優雅な時間であったのであろう、俺以外の皆はな!
なんと件の、綾姫を交えて『百人一首の歌会《カルタ大会》が始まってしまった。
(ああ、結局、俺は詰んでしまったなぁ。)
どうやら最初から、綾姫とめあわせる策略だったようで、カルタの組み合わせも同じ会場の味方ペアだった。
「がんばりましょうね、賢政様ぁ!」
愛らしいお声である。
溢れんばかりの笑顔で俺を見る姫に……。
「ええ…」
そう返すのが精一杯であった。
歌合わせでは、一応、失礼の無いよう最大限紳士的に接したつもりである。
綾姫も少し恥ずかしがりながらも、笑顔で喜んでくれた。
(この時代にしては、とてつもなく女性に優しすぎたことに気付かない、フェミニストな賢政であった。)
― 浅井家 京屋敷 ―
その夜
カルタ大会も無事に終了し、屋敷へと戻った。
「ふう、ヤレヤレ疲れたぁ~」
そう思っていた矢先、急報が飛び込んできた。
『三好勢に不穏な動きあり』
俺は、あわてて御所へ使者を飛ばし警戒を促した。
「友松、すまないが御所へこの事を知らせてくれ! 急げ!!」
「ははっ」
そして、さらなる情報を集めるように配下の者に指示を飛ばす。
「清冬はさらに甲賀者を追加して様子を探らせろ、気取られるな。勝昌、それに弥太郎! いつでも兵が動かせる準備を」
「「はい」」
一体どういうことだ…?
もしかして、『将軍暗殺イベント』か?
でも、松永久秀にそんな素振りはなかったぞ! 欺されたとは、とても思えん。
三好の単独犯行か、訳が判らん?
とりあえず多勢に無勢だ、逃げるが勝ちだな。徒の者は先に下がらせるか……。
― 5月18日深夜 二条御所 ―
「何? 三好に怪しい動きがあるだと」
寝間着姿の義輝は不機嫌だった。
「ははっ、浅井賢政殿の配下、海北友松様がそのように…」
「通せ!」
「はっ」
「海北殿、使者の件かたじけない」
義輝が、直接使者の海北と言葉を交わした。
「勿体なきお言葉、念のためご準備を」
「うむ」
義輝は、浅井賢政からの急報を受け、二条御所を脱出する手はずを整え始めた。
難を避けて京を離れるために……。
しかし、義輝の近臣は『京から避難することは将軍の権威を失墜させる』と強硬に反対した。
「なにかあった時は、義輝公と共に討死する覚悟であります」
そのように言われてしまえば、否とは云えないのが苦しいところである。
(昔の中二病発言を指摘され、ぐうの音も出なかったようである)
義輝は不本意ながら御所へ留まらざるをえませんでした。
さすがの義輝公も従者もなしに一人では動けないのでした。
義輝公は海北友松に、慶寿院や正室 側妾の小侍従、綾姫といった方々と侍女ら、おなご衆を無事に逃がすように託されました。
― 浅井家 京屋敷 ―
「殿!」
「おお、友松すまないご苦労さんだった」
「いえそれよりも、義輝公は籠城する意向にございます」
「は、何だって~! あの御所にそんな防御能力はないだろう?」
「武家の意地だそうで、慶寿院さま他 女性方を落ち延びさせるようお願いされました」
「はあ?」
「ですから、慶寿院さま他女性を落ち延びさせるよう……」
「聞こえているわっ、そうではない! 何を考えている。 莫迦なのか、馬鹿将軍か?」
「近習の皆様方が頑なに…」
「上様を逃がす役目の者が、逆に追い詰めてどうするのだ~バカ者どもが」
俺は頭を抱えてしまった。
「何でこうなった?」
早急に兵を集める必要があるので、俺は弥太郎を急ぎ近江に遣わした。
やはり…
なぜか…友松は無茶振りされる星の元に生まれたのですねぇ。