― 賢政を知る男の心 ―
1565年のお話し、と言えば判りますよね。
1565年(賢政20歳)
― 義輝視点 ―
儂が京の都へ戻ってからのここ数年、京の都は急速に昔の姿を取り戻していった。
六角家と浅井家には、随分と世話になった。
まだほんの若造に過ぎない『浅井賢政』
最初に出会った時は、義賢について歩く元服したばかりのあどけない童であった。
奴も、頼もしく成長したものだ。
なぜか、奴の噂は半分に分かれる、片方は畿内でよく耳にする噂で、普通に好意的なものである。
本人を知っての話であるからか、これといっておかしな物ではない。
反対に奴を知らぬ者、明らかに間者が撒いたような噂が、たまに儂の耳元にまで流れてくる。
これが、実に面白い!
口さがないものは、賢政のことを『見かけ倒しの賢政』という。
『六角の腰巾着』、と言うのが、わりと有名であろうか。
まあ守護六角家に仕えているのであるから、当然と言えば当然のことなのだが……、
『美濃改め』にて、戦わずに領地を取り戻してもらったゆえに、そう揶揄をされるのであろう。
それに『守銭奴』、これは、むしろ言い掛かりに近いであろうな。
浅井家の『手厚い寺社の保護』は、畿内ではわりと有名である。
寺社領を横領している側からすると、賢政の正しい行いがおかしく見えるのであろう。
『文弱にして優柔不断、生まれながらの人質大名、優男、極めつけは、君側の奸』……。
奴が『無私の心』で、儂や京の都に貢献しているとは流石に思わんが、邪心は無さそうだ。
文化事業などは、その典型であろう。
儂の権威をないがしろにしてくれば腹立たしいのだろうが、賢政は、そのような出すぎたマネをする男ではない。好意的に見れば、大義のない戦いを好まない男である。
夢と理想に生きる、まだ世間の汚さを知らない無垢な若者なのだ。
実際に剣を交えた、儂には判る。
真面目に研鑽をしておるかどうかは、一目瞭然じゃ。
惰弱な男であるはずがない。
あ奴には、たとえ管領の地位を約束しても、そのようなモノは捨て置いて自分の理想に突き進む男である。
ある意味、危険な奴かとも思ったが、そのようなことはなかった。
礼儀もわきまえておるし、人柄も良い男である。
将軍である儂を値踏みするような男だが、賢政は気がきいて、なんともここち良いのだ。
あ奴のおかげで随分と儂の権威が高まった事を、実感を持って感じられる。
浅井賢政という男は、儂、将軍義輝も信頼を置く男なのである。
奴とであれば、『天下に足利幕府の威光を示せる』 そんな気にさせてくれる男だ。
あのいけ好かない”松永のくそジジイ”までもが、あ奴に期待しておる。
思えば久秀も随分と変わったものだ。
信頼出来る部下を持つと言うことは、とても心強いものである。
奴らに出会ってから心が晴れ、とても視野が広がる気がした。背中に羽が生えたと言えば、笑われようか。
いざ戦いにおいて、背中を預けられる家臣というモノはありがたいのである。
賢政の奴も、たいていそつなくこなす優秀な奴なのだが、まだ、どこか抜けているのだ。
何となく『弟とはこういうものか?』と思ってしまう、大切に育てていきたいものである。
そういえば、今川・松平がようやく一揆を平定したようだ。
まったく何をやっておるのか、領国のみならず領民もまともに治められんとはな。
しかも、儂の予想を遙かに超える被害だったようだ。嘆かわしい。
美濃も随分とひどい有様らしい。
以前は、『東の川手』といわれて、とても栄えておったのに酷いモノじゃな。
これも時代というやつか
土岐氏の威光がなくなり、斎藤家に牛耳られ、美濃の国自体がすっかり落ちぶれてしまったモノじゃ。
あの無礼な織田の小倅が、さんざん一色龍興を苛めていたらしいからな。
家臣の竹中にまで裏切られて、父を殺された上に居城ごと当主の座を奪われるとは、運のない奴だ。
一色義龍めが要らんことをせねば、もそっと早く助けてやれたものを……。
それにしても、下克上を許すような世の中を早く終わりにしたいモノじゃな。
もちろん、賢政のような優秀な者を登用するという進取の気風は大事じゃが、力で権力を狙う奴らなど、ろくでもない奴らばかりじゃからのう。
儂にまとわりつく奴らが賢政のような ”まごころ” を半分でも持っておれば、天下に無用な乱など起きぬものを……。
とはいえ、煩かった三好長慶もその息子も死んだことだし、これでようやく儂の晴れ舞台が始まるわい。
《 将軍足利義輝公は、ずいぶんと浅井賢政に傾倒しておられる様子である。 》
同じ頃、美濃から姿をくらませた竹中半兵衛重治は、とある男と再会を果たしていた。
稲葉山城を奪うと決めた時から、伝手を頼りずっと捜していた男である。
― 某所 ―
友人・知り合いと言うよりは頼れる兄のような存在だ、もう少し早く彼がいてくれさえすれば……、
数年の内に美濃のみならず尾張も切り取り、大軍をもって憎っくき賢政のいる近江に攻め込んでいたであろう。
間に合わなかったのは悔やまれるが、正直美濃など、もうどうでもよい。
あの賢政を貶めることこそ正義の証なのだ、私は正義を目指したいのだ、国など要らぬわ。
再会とお互いの無事を心から喜びあった。
存分に熱い想いを語り合いたいものだ。
― 小谷 ―
信長は、一時三正面作戦を強いられ、苦戦していた。
まあ、あの半兵衛をまともに相手してしまったとは、信長も意外と運の悪い男だ。
俺は、半兵衛が美濃を退去したのを確認した上で西美濃衆を寝返らせて、浅井家の西美濃攻略を完了した。
名目上は、一色竜興の援軍であるから稲葉山城を攻めるわけには行かない。
あくまで”逆臣竹中とその一味”を討つ為の挙兵だったからな。
揖斐川以西を攻略した。(ついでに、北美濃も獲ったが、流石にあとは大義名分が必要だな。)
信長からは、『これ以上の美濃進行の意図があるのか』を問い合わせる書状がきた。
『不逞なる竹中を追い出せたので、とりあえずは一段落です』
と返事しておいた。
信長も安堵していることだろう。
稲葉山城と東濃は、信長にやろうと思っている。武田への押さえと思えば安いモノだ。
しばらくして……。
とあるお願いの使者がやって来た。
「恒ちゃんご苦労さん!」
「賢政殿! あまりに軽くは御座らんか?」
「…こほん!…では、あらためて、織田上総介 三郎 平朝臣 信長公が家臣
尾張は池田の庄、池田恒利殿の次子池田 勝太郎 恒興殿、此度の使者の段、誠に以て大義である。」
「ははっ、実は本願寺との……」
「ついては、我が一存で事を決めては有り難みが薄れるゆえ、嫌がらせとばかりに、
こちらも色々と事情があるゆえ鋭意努力して前向きに検討をすると誠意を見せつつも拒絶を匂わし、
ことを衆議に図りつつ、嫌がらせのような美辞麗句と現状維持という金科玉条を盾に、
そのお願いを断ろうか? ねえ、恒ちゃん。
織田信長公の大切な使者のお仕事をやんわり拒まれるのが、好きなのか?
見かけによらず、ド変態だな、恒ちゃん!」
「何だか知りませんが、俺が悪かったスマン!」
以前俺が教えてやった、土下座をする池田恒興。
「ふん!」
「……」
俺の定めた基本方針通り、浅井家は本願寺とは対立していない、これはけっこう重要なことなのだ。
宗教問題という物は、それはもうデリケートな問題で、単に弾圧すればいいという物ではないのだ。
幸い浅井家は、各寺社と等しくつきあい、互いに友好を保ちながら共存している。
どちらの神仏が偉いかでは無く、どちらが『心が広くて度量があるか』を競わせている。
おかげで、いろんな事業に重宝している。
信長からの依頼というのは、一向宗門徒の蜂起を押さえるための、本願寺(願証寺)との仲介である。
「仕方が無いな」
一揆のしつこさに手を焼く信長の為に、和睦の仲介をしてやろう。
4月
信長は、浅井家の口利きで本願寺と和睦した。
信長は涙を流し喜んで居るようだ、市たちへの手紙にそう書いてある。
― 義輝視点 ―
儂の意向に沿って、賢政が、美濃の『竹中の反乱』と尾張の信長と願証寺のゴタゴタを調停したようだ。
賢政からの使者より、詳細な報告を受けた。
「うむ、大義である」
労いのために御所に呼んでやろう。
儂は、書状をしたためた。
久しぶりに賢政に会えるわい!
浅井賢政は、将軍足利義輝公の覚え目出度く、『二条の将軍御所』に招かれることとなった。
1565年のお話し、と言えば判りますよね。
次回は、あの『○○の○』です。
もう二度と『弱小』と『逆襲』がややこしいとは言わせません!