杭瀬川の対陣
おそろしい
いちばんのクライマックスが……
小谷城へ信長からの熱烈な出兵の督促依頼が毎日のように届いていた。
3月
浅井賢政は、ようやく重い腰を上げた。
竹中氏に狙い撃ちで、宣戦を布告した。
主君を惨殺したような輩に名乗る正義などない、私は義従弟の竜興殿を救出するため兵を挙げる。
これは正当な権利であり、何人といえど文句は言わせない。
『わたくし浅井賢政は、薄汚い佞臣竹中重治の居城、美濃垂井.菩提山城を攻略する。
逆らう者は、容赦なく敵と見なす!』
そう大号令して、軍を発しました。
総勢五千の軍です。
3月11日
美濃、南宮山城に集結
全軍に
檄を飛ばし、手始めに垂井の攻略に乗り出した。
数刻後。
浅井軍は、垂井方面に武力侵攻し菩提山城はじめ幾つかの支城をあっさり占拠した。
「まあ前もって、竹中の残党が逃げ出したのを確認してから乗り込んだのだからこんなもんか?」
俺は、気軽に直経に声をかけた。
「何だか簡単すぎて、気が抜けます」
「馬鹿者!伏兵に気をつけろ」
すっかりやる気を無くした直経に気合いを入れさせた。こういうのがヤバイのだ。
「はっ申し訳ありません!」
「まあ、よい。兵が気を緩めすぎないように気をつけてくれ」
「ははっ」
(しまった、うっかりやらかしてしまった、伏兵か?気をつけねば)
遠藤直綱は自軍に戻った。
「隊長~今回は楽勝でしたねっ!」
”バキッ!!☆/(x_x)”
「愚か者!あの黒軍師を舐めるな!! みな、今一度警戒を厳重にいたせ」
「「「ははっ」」」
遠藤隊のやりとりを伝え聞いた、他の諸将も気を引き締めた。
おかげで、農民・商人に扮した竹中の間者を捕縛することが出来た。
「夜陰に乗じて糧秣に火を放つ算段だったらしいな」
「流石は、喜右エ門尉じゃ、抜かりない男よ」
遠藤直経の株が上がった。
「半兵衛の居ない垂井なんて簡単」
俺もそう思う。
アイツをまともに相手するのはゴメンだ。
「とりあえず、織田殿に連絡じゃ!『我、菩提山城を攻略セリ』」
「ははっ」
伝令が走った。
ついで、安藤家を攻める予定である。
すかさず、四方に密使を放った。
一方信長は、といえば…
信長は浅井が美濃入りしたのを好機とばかりに、東美濃攻略にかかる。
が、その行動は、半兵衛によって読まれていた。
またもや、信長は、かの軍師の策に阻まれるのだった。
いや、信長としては上手くいっていた。
幾つかの支城を落としているのだから。
しかし、半兵衛の策はそれを遙かに上回っていた。
服部左京大夫が、半兵衛の求めに応じ参戦したのだ。
まあ、上手く唆されたといった方が良いであろう。
彼の軍勢が、守りの手薄な尾張西部をいきなり襲ったのだ。
その報を受けた信長は、進軍を停止し尾張へと引き返さざるを得なかった。
丹羽長秀率いる留守部隊が、何とか持ち堪えていたのが不幸中の幸いだった。
大過なく撃退を完了した。
服部左京大夫も無理をするつもりはなかった。
「意外と守りは脆弱であるな」
どうやら、よい獲物と認識した様子だ。
信長の美濃攻略は、暗礁に乗り上げてしまった。
西からの侵攻!
この対策のために、信長はいったん美濃攻略を諦めざるを得なかった。
ちまちまと、ゲリラ戦が展開され、精神的にも消耗していく……。
尾張の兵は、ストレスがたまっていった。
『北方城攻め』
そう称して、兵を動かす。
安藤家の部隊が籠城を開始した。
当主の安藤守就自体が、稲葉山城から動けない状態である。
半兵衛も何とか後詰めを送ろうと計るが、安藤が抜ければ稲葉山城を保てないのだ。
美濃の国人衆も情勢が不穏なため積極的に動けない。
安藤家を支援する国人衆の部隊が、杭瀬川東岸に陣を構えた。
北方城は、平城であり籠城戦には些か不利であった。
(入城してしまえば、逃げられないことを嫌ったとも取れる)
西尾・種田・飯沼・宮川・林・高木といった本巣・不破の国人・地侍が集結した。
兵衛力は四千。
「上手くすれば、南北両方向から稲葉軍・氏家軍が敵を挟み撃ちに出来る。」
その思いで、安藤氏郷は、必死に兵をかき集め陣立てをした。
24日
杭瀬川で両軍が対峙した。
浅井家は、兵を増やし八千を動員していた。
西美濃の国人衆の中には、浅井に同調する者も現れだした。
北方城救援の為に西美濃3人衆の残り2人が、後詰めに出るのだが、その行動は鈍かった。
西美濃四人衆、稲葉良通・氏家直元そして、不破光治は、既に賢政の手に落ちていたのだ。
もちろん、半分以上この状況はヤラセである。
この四年間何もしなかったはずはない、既に西美濃は落ちているのである。
俺の調略に応じていない国人を集中的に狙いその力を削ぐのが、今回の趣旨だ。
美濃勢の本領安堵もあるので、分け前確保の為の反抗的な国人衆・地侍の間引きである。
まあ、あまり褒められたものではないが、こればかりはどうにもならない。
すまないが、安藤守就と竹中半兵衛に味方する者達には、痛い目を見て頂こう。
対陣中の本隊は、そのまま対陣を続ける。
別の部隊が敵対勢力の本拠地を蹂躙する。
遠藤直経隊1500名
井伊直盛隊2000名
さらに、降伏勧告をおこなう部隊150名×10 の旗本別動部隊が西美濃を駆け回った。
26日
杭瀬川東岸の部隊が動揺を見せ撤収をはじめた。
「いったん様子見せよ」
そう伝えてある、時間差で背後を襲わせた。
四千の軍は、壊走した。
「帰れる場所があればいいがな……」
結局、待ち構える軍勢に降伏するしかないのだ……
最後の最後で、新美濃三人衆がその去就を露わにし、西美濃を完全に押さえに廻った。
かくして、長良川揖斐川以西は、浅井家の物となった。
浅井、西美濃を攻略完了
4月1日のことである。
「あ~疲れた」
戦と言うものは段取りが八分である。
始まる前に既に大勢は決しているモノなのだ。
事前準備を怠ればそれだけで、負ける確率はグンと跳ね上がる。
ここぞ!と云う時以外、戦なんてするものじゃない。
まあ、楽な戦なんだろうが、それでも犠牲がなかったわけじゃない。
味方もそうだが、敵もだ!
おれもなるべく穏便に済ませるように指示を出したつもりだ。
でもそれが敵にまでは、伝わるはずもないわけで…。
「無残にも自害して果てた家族がいた」
そんな報告を聞くと、心が押しつぶされてしまいそうだ。
「はあ~、戦争なんてまったくやってられない」
暗澹たる気持ちをほぐそうと、半ば無意識にストレッチをした。
コキコキ首をならしながら、陣屋の外へと向かった。
「はあ~」
そのまま外へ向かう。
「殿、どちらへ?」
「少し散歩がしたい、外へ出るぞ」
「ははっ」
陣屋の外へ出る。
春の空気が爽やかなはずなのに、今ひとつ気分が乗らないものだ…
「ふぁはあ~あっ」
大きく伸びをした
「なんだかなあ~」
その時!
「「 浅井賢政あ~っ、覚悟お~おっ 」」
茂みからいきなり人が現れ向かってくる……
咄嗟のことに、頭が真っ白になった…
「刺客?」
そう脳裏に思った時には、すでにそこまでせまっていた……
”シュヒュン”
”バサッ”
”ドスッ!”
そう俺は……
まさか、大事な部分のデーターが飛んだ。
書き直すのに、心が折れた……
おのれ~黒軍師め