『美濃の国譲り状』
『美濃の国譲り状』
有名なお話しですよね。
果たして、美濃を半分こ出来るのでしょうか?
竹中半兵衛が稲葉山城を落とした
そのニュースはすぐさま信長の元に届けられた。
信長は早速半兵衛と連絡を取った。
《織田、竹中氏に稲葉山城の返還を要求するも拒否される。》
「何故じゃ!わしが道三から国譲りを受けたのに」
以下がその交渉の概要である。
「私は去る、弘治2年(1556年)の長良川の戦いで戦しいたしました舅、斎藤道三氏より美濃を信長に譲ると書状を頂きました。
故人の思いやりの気持ちとても嬉しく感じ、勇気づけられたものです。
かの悪逆非道な斉藤義龍が竹中様の手にかけられ死亡したのは、とても喜ばしことと思いを共にいたしております。
つきましては、稲葉山城を返還して頂きたく思いお手紙をいたしました。
竹中様には何かとご不便をおかけいたしますが、これも故人への供養だと思って、こころよくご返還くださいませ。
些少ではありますが、お礼の方も準備いたしたいと思います。
快いご返事をお待ち申し上げております。
不調法者ゆえ、乱筆乱文はご容赦くださいませ。
竹中様におかれましてはさらなるご活躍を心よりご期待する次第であります。
まだ寒い時期でございますのでどうかお風邪などを召されませぬようにご自愛くださいませ。
織田信長より」
あの信長が書いたとは到底思えない丁寧な文が竹中半兵衛の元へ届けられました。
それに対して、竹中さんからもお手紙が届いた。
永禄 7年2月吉日
敵方各位
織田信長様皆々様
美濃国主.斎藤竜興
代理人竹中半兵衛 重治
美濃制圧記念懇親会のお知らせ
余寒の候 貴社ますますご繁栄のこととお慶び申し上げます。
旧年中は、織田家の皆々様のたゆまぬご尽力で弊社をお攻めいただきましたことを心より感謝いたしております。
今年も、変わらぬご愛顧の程宜しくお願い申し上げます。
つきましては、私の謀反のスタートと皆様の更なるご活躍を祈念するとともに、関係各位の意見交換の場として下記の通り、斉藤義龍惨殺祝賀会を催したいと思います。
織田様におかれましては、何かと多忙中とは存じますが、是非ご出席くださいますようお願い致します 。
その際に、道三様の『美濃の国譲り状』をぜひ一度拝見させて頂きたいと思います。
私めも道三様には、ひとかたならぬお世話を頂きました。
私が故人にして差し上げることがあるというのは望外の幸せと思っております。
信長様はご多忙であらせられるとご推察いたしますので、どうか使者の方にお届け頂けるようお願いする次第です。
敬 具
日 時 : 2 月 17 日(友引) 未の刻
場 所 : 稲 葉 山 城 大広間
尚、準備の関係がありますので、ご出欠を以下担当に2月13日までに正門門番まで直接ご連絡いただけますようお願致します。
担 当 営業部 稲葉山本店 所太郎五郎 (竹中十六将)
早馬;正門東二十間馬場にて / 矢文は、危険ですのでご遠慮ください。
― ― ― ― ― ― ― 切 り 取 り 線 ― ― ― ― ― ―
ご 出 席 ご 欠 席
貴 社 名 :[ ]
出席者のお名前 :[ ]
竹中さんからは、さらにあり得ないほど現代的なお返事が届きました。
(実際書状です、あくまでイメージです。)
信長様は、うきうきと大切な『美濃譲り状』を、丹羽長秀に託した。
指定日に稲葉山城に登城した、丹羽長秀一行は捕らえられ、書状はボッシュートされた。
「まさか本当に来るとは」
「いやあ私もそう言ったんですけれど、言うこときいてくれなくて」
「……何だか自分がスゴク悪いようなことをしている気がするのですが、気のせいですよね?」
「そこまで堕ちたか、半兵衛」
奪った書状を燃やしながら、にっこり笑う半兵衛。
「ああ、来るんじゃなかった」
丹羽長秀、一生の不覚であった。
その後、武装解除され城からたたき出された。
命まで取られなかったのは、僥倖であった。
長秀は、泣きながら帰って行った。
城に着くと、すぐさま信長の元に訪れ……
「いやあ~参りました、信長様! やはりダメでした。」
「で、あるか」
そこには、真剣な表情で、美濃の譲り状のコピー(模写)をする信長の姿があった。
おたがい、どっちもどっちであった。
『大切な書状』などと言うものは、そんなもんであった。
その後も根気よく、交渉を続ける信長であったが、色よい返事は来なかった。
とりあえずの条件として
『浅井賢政を討つこと』
主君におもねり、民を苦しめる賢政は悪だ!
武士の風上にも置けない。
金貸しか商人のような卑しいヤツだ、だから討て。
そして、
『欲しいものは自分で手に入れるべし』
であった。
早い話、交渉は一切応じないという半兵衛からの明確な意思表示であった。
信長は逆上し、稲葉山を攻めようとするも、半兵衛に難なくあしらわれてしまった。
「口惜しい、なあぜじゃなぜ勝てん?」
「半兵衛ですからねぇ」
まいどの敗北に、池田恒興も困り果てていた。
平野部での戦闘に、『稲葉山城』の存在は大きかった。
しょせん、軍勢など、人間が小走りする程度の速度でしか移動出来ないのだ。
高いところから確認し、旗や太鼓で命令指示を伝えれば、防衛側は以外と楽が出来るのである。
本格的な稲葉山城攻めなど、最後の仕上げにおこなう仕事なのである。
というわけで。
小谷城へ信長からの熱烈な出兵の督促依頼が毎日のように届いていた。
次回は真面目に戦闘します。
浅井家が、マジで参戦いたします。