第一話 白紙に宿る、君の声
作品紹介
「もし僕が、明日いなくなったら、律はどうする?」
俺に遺された「真っ白なノート」に、青いインクが滲み出した。
そこに綴られたのは、死んだはずの幼馴染――凪海爽の、狂おしいほどに優しい呪い。
「りつ、そんなところで暗い顔をしないで」
これは、死んだ幼馴染の執着を救いとして生きていく、一人の男の歪な幸福の記録。
キャラクター設定
久遠 律 / 攻め
口が悪く、ひねくれた性格。爽の死に罪悪感を抱きながらも、その死によって自分を永遠に縛り付けようとした爽の狂気に、救いを見出している。
凪海 爽 / 受け
完璧な王子の仮面を被った、孤独な美人。生前から律に異常なまでの独占欲を抱き、死後、ノートを通じて彼を支配しようとする。
読者の皆様へ
数ある作品の中から目に留めていただき、ありがとうございます。
死別から始まる、重くて少しだけ神秘的な二人の「青いインク」の物語。
全5話、最後までお付き合いいただければ幸いです。
凪海爽の葬儀が終わったあとのことは、正直あまり覚えていない。
焼香の煙の匂い、親族たちの啜り泣き、そして何より、遺影の中でいつものようにいい人の笑顔を浮かべているあいつの顔。それら全てが、現実感のない薄膜の向こう側の出来事のように感じられた。
(……死んだんだよな。本当に)
自分の足元が泥濘に沈んでいくような感覚のまま、俺――久遠律は、最後に爽の母親に呼び止められた。彼女は爽に似ているが静かな美人だった。その瞳は赤く腫れているはずなのに、俺を見つめる眼差しには、どこか全てを透かして見ているような不思議な鋭さがあった。
「律くん、これを。爽の部屋の一番大切なものを置く引き出しに、これだけが入っていたのよ」
差し出されたのは何の変哲もない一冊のノートだった。表紙には、あいつの丁寧な筆跡で『凪海 爽』とだけ記されている。
「講義のメモか何かじゃないんですか?」
ひねくれた問いを投げたのは、あいつの一番大切なものが、俺に関係していると認めるのが怖かったからだ。だが、彼女は首を横に振った。
「いいえ。中身は真っ白だったわ。……でもね、爽は入院している間、まだ意識がはっきりしていた時に、何度も言っていたの。『もし僕に何かあったら、このノートだけは、律に渡して。あいつはひねくれてるから、これがないとダメなんだ』って」
心臓がドクン、と嫌な跳ね方をした。まるでこうなることが、分かっていたみたいじゃないか。
「……あの子、最後まであなたのことばかりだった。あなたの隣にいられなくなることを、何よりも、自分の命よりも、申し訳なさそうにしていたわ」
彼女が俺の手をとり、無理やりノートを握らせたその瞬間、鼻先をふわりとあいつの香りが掠めた。葬儀場の線香の匂いを突き抜けて、石鹸のような、雨上がりのような、凪海爽を構成していたあの清潔な残り香。
「……っ」
母親の目は、やはり何かを知っているようだった。俺が爽に対して抱いていたドロドロとした独占欲も、そしてあいつが俺に対して用意していた呪いの正体も。
夜道を一人、そのノートを胸に抱いて帰った。冷たい空気の中で、ノートの感触だけが熱を持っているように感じられた。
(……真っ白なノート?意味が分からねぇ。あいつ、死ぬ前から俺にこれを残すつもりだったのか……?)
部屋に着き、明かりも点けずに座り込んだ俺の目の前で、異変は起きた。真っ白なページが、まるで誰かが捲ったかのようにパサリと動いたのだ。
(……は?風なんて吹いてねぇだろ……!?)
見間違いだと思いたくて目を凝らすと、紙の繊維にじわりと、青いインクが染み出してきた。ペンなんてどこにもないのに、まるで見えない筆先がそこにあるかのように、さらさらと、淀みなく曲線が描かれていく。
「……っ!?」
椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。浮かび上がったのは、たった一行。
『りつ、そんなところで暗い顔をしないで?』
その、少し右上がりの癖のある、丁寧すぎるほどのその文字を忘れるわけがない。幼馴染として、何千、何万回と見てきた、あの――凪海爽の字だ。
「爽……?お前、爽なのか……!?」
あいつは死んだ。俺の目の前で、二度と動かなくなったはずなんだ。
(……ふざけるな。死んでまで俺を驚かせて、そんな……そんな優しい言葉を、書くんじゃねぇよ!)
あいつはいつだって素直で、お節介で、俺のことばかり見ていた。死んで幽霊になってまで、自分のことより、俺の顔色を伺っているのか。
「どこにいる、爽。出てこいよ……!文字なんかで済ませてんじゃねぇ……っ」
『ごめんね、律。でも、ここなら君と話せるみたいだ』
その他人事のような再会の言葉に、俺の心は一気に掻き乱された。
(……絶対に、離さねぇ。幽霊だろうが、文字だけだろうが、関係ねぇんだよ。お前が俺を見つけてくれたんなら、もう二度と、このノートから逃がしてやんねぇ……!)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
死んだはずの幼馴染から届く、青いインクのメッセージ。
それは救いなのか、それとも地獄への招待状なのか……。
久遠律と凪海爽。
名前の通り「律動(鼓動)」を刻む者と、静かに「凪」を湛える者の、少し歪な再会から物語は始まります。
爽がなぜこのノートを遺したのか。
彼が隠していた「仮面」の下の素顔とは――?
少しずつ明かされていく彼らの共依存の形を、見守っていただければ幸いです。
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