バグ人間
暴走感情に翻弄される日々に渦巻く常の忘却欲求感情を理論チックに徒然と。
忘却は操れない。
簡単に冴えてしまうから、侮れない。
ふとした時、思い出すから目覚めない。
海馬を潰したい時がある。
記憶力は残酷で、私を蝕む。
忘れたい時、忘れられないから、これを若さと言いきれないほど、歳をとってしまったから。
嫌悪感情忘却願望欲求が尽きないのはどんな時か。お風呂場で馳せてしまうことが多いかもしれない。それが私の悩み。
生き辛さを感じ、今が今である気がしない。今はどこにもない。
私たちは強くなった。絶滅を繰り返し、生存をしすぎてしまった。歴史は語るが現代は黙る。私たちは本当に過去からきたのか。
生存に尽力しない。これこそが現代のヒューマンエラーである。
では、人間のエラーとは一体全体なんのことだろう。
ある人は言った。
「恋愛感情は、脳のバグである。なぜなら正常な思考回路ができなくなるからだ。マトモではなくなるからだ」
人間が人間である代表的なエラーをわかりやすく主張された。
この考えを恋愛バグ説と呼ぼう。
私は恋愛バグ説について、一部否定的である。なぜなら、その感情は抗えぬ心の昂りであり、恋愛感情が人間であると言える大きな材料のひとつだからだ。
人間以外の動物は子孫を繋ぐことを目的としている。明らかである。きっと恋愛感情なんて無いはずだ。そんな余裕は無いはずなんだ。
私たちは人間として誕生した。差別化されるべき優れた種である。
ただ、世界の通説を教えて欲しい。
「愛はバクですか」
「愛は生存本能だ。抗えるものではない。」
恋愛感情はバグであり、愛は本能である。
君はどう考える。
本能以外を人は理性と呼ぶが、さらに無意識という領域が存在する。
愛は本能であるならば、恋愛感情は理性なのか、はたまた無意識なのか、それとも人間固有の本能なのか。
なぜひとりだけを好きになる。
詭弁だ。この世は詭弁で満ちている。
自然界はツガイを愛することはない。愛するのは子供である。
種を繋げることが本能、ならば、私たちは本能を殺す武器を、理性という名の凶器を首にぶら下げているのだ。
つまり、理性が人間性を作り、理性が本能を諭し、理性が人の本体である。のかもしれない。理性がなければ、私たちは動物として、苦しむことなく種を繋ぐだろう。
理性が苦しみを産む。
理性が人として生かし、殺すのかもしれない。
恋愛感情は理性の副産物である。
忘却は操れない。
理性は強い。理性を演じているくせに私たちは、理性から逃げられない。
辛くない生き方は、理性を殺せば済む話。
どうすりゃいいのさ。
誰に頼るかの作戦会議は間違っちゃいけない。
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結論、誰にも頼ってはならない。
心を守るためにね。相談しても、一部しか伝わらないからね。総合的に判断するのは自分自身。
私の一意見だけれど、不一致があるかもしれないけれど。
なんのために産まれたのか、大切を作るため。
なんのために生きるのか、大切を育てるため。
なんのために死ぬのか、役目を終えたため。
このサイクルは、今の私たちなら抜け出せる。
自分自身を大切にしたらいいんだよ。
全て忘れて、自分の為だけにお金を使って、生き抜けばいい。Really?
こんなこと考えて生きていかなきゃ行けないの?
そんなことはない。錯覚なのかもしれない。
目の前を賢く生きていきたい。
辛いことは嫌いだからね。
楽しい人生を送りましょう。
できれば後悔少なめに!
記憶が私を苦しめるから。
発狂行動表現感情は羞恥。
胸張るような生き甲斐は望むが叶わぬ常々である。
私達より高位の生命体は、恋愛感情以外の理性を持っている。
忘却は操れない。
忘却を操れたら人でなし。
人以外には、なりたくない。




