#0 転移中の侯爵令嬢、異世界満喫中です!
ゆるく開始します。よろしくお願いします。
わたくし、エルセリア・フェルモント。たぶん19歳。
この異世界——東洋にある不思議な国で目を覚ましてから、もう5年が経つ。
かつて、わたくしはリュミエール王国のフェルモント侯爵家の長女として、王太子妃候補だった。
王太子は未定だったけれど、最有力候補のディアマン第一王子の妃になるだろう、と誰もが考えていた。
ディアマン王子は 10歳年上の優しく、聡明で、頼れる兄のような方だった。
遠乗りに連れて行ってくれたこともあるし、「秘密」も分かち合ってくれた。
わたくしも——彼の妃になるなら、きっと幸せだろうと思っていた。
けれど——
王が倒れ、国が乱れた。
それぞれの妃が産んだ王子たちの周囲では、王位を巡る争いが激化し、血の気配が漂い始める。
そんなある日——
ディアマン王子は、突如として姿を消した。
それが何を意味するのか、考えたくもなかった。
そして、わたくしの家族もまた、リュミエールを捨てて亡命することになったのだ。
——その後の記憶は、曖昧だ。
ディアマン王子が消えた前後の出来事が、霞がかったように思い出せない。
気がつけば——
わたくしは、この異世界にいた。
この身体の持ち主「絵梨」は、そのとき14歳だった。
目覚めた当初は、戸惑いと驚きの連続だった。
見たことのない服、建物、道具の数々。
魔法も貴族制度もない世界。
——そんなものが、本当に存在するの?
けれど、絵梨は戸惑うわたくしを受け入れ、「一緒に生きよう」と言ってくれた。
そして、彼女の世界を知れば知るほど、わたくしは この異世界に夢中になっていった。
毎日は、本当にエキサイティング!
絵梨は、もともととても真面目で優しく、とても控えめな令嬢のような子だった。
けれど、わたくしの希望を聞いてくれて、一緒に学校へ通うようにもなった。
最初はおずおずとしていた絵梨も、少しずつ変わっていく。
「両親」がそれを喜び、笑顔を見せてくれるのが嬉しかった。
高校に入る頃には、仲のいい友達もできた。
毎朝、鏡の前で「前髪はこの長さでいい?」「グロスはどれにする?」と楽しく議論しながら身支度をする。
ヘアアイロンを巻き、ビューラーで睫毛を整え、自然に見えるリップグロスを選ぶ。
学校では、机を並べる同級生と試験のヤマを予想し、放課後には部活に顔を出し、
ハンバーガー屋さんでお茶をしながら、恋の話で盛り上がる——。
——この世界は、なんて素晴らしいのかしら!
毒見の心配をしなくても、美味しいものを食べられる。
街を自由に歩けて、護衛なしで遊びに行ける。
貴族の陰謀に巻き込まれることも、見知らぬ誰かに命を狙われることもない。
恋だって、自由。
告白されたら、ただ 瞳の輝きだけを見て答えればいい。
家柄の釣り合いも、政略も、策略も考えなくていいなんて——!
まるで 夢のような世界!
絵梨ーとわたくしーは、高校3年間で21人の男子から告白された。
そのたびに、「この方、素敵じゃない?」と絵梨に促したけれど、彼女はすべて断った。
理由はわかっている。
絵梨には、ずっと想い続けている人がいるのだ。
蒼井翔真。
頭が良くて誠実で、いつも冷静な彼とは、同じクラスになってから自然と話すようになった。
勉強を一緒にしたり、放課後に友人たちと談笑したり、何でもない時間を共に過ごすうちに、彼への気持ちは静かに育っていった。
「だったら、どうして自分から告白しないの?」
ここは、それが許される世界なのだ。
貴族の立場や家の事情など気にせず、ただ 「好き」という気持ちだけで動いていい世界。
何度そう背中を押しても、絵梨は「そんなの無理……」と引っ込んでしまう。
けれど――高校卒業の日。
ついに絵梨は、決意して翔真を呼び出した。
ずっと憧れていた彼に、今日こそ自分の気持ちを伝えるために。
絵梨が胸の前で手を握りしめ、言葉を紡ごうとした瞬間——
「好きだ。絵梨……俺と付き合ってほしい」
先にそう言ったのは、翔真の方だった。
——まあ、わたくしには想定内の展開だったわ。
翔真は いつだって絵梨のことを気にしていたし、ああ見えて保守的な男の子だった。
だから、絵梨に先に告白させるなんてことは、絶対ないと思ってたわ。
だけど……。
その瞳の真剣さに、わたくしの思考も、一瞬止まった。
黒い瞳が、迷いなく真っ直ぐにこちらを見つめている。
ふと、何かが記憶をよぎる。
青い……深く、澄んだ…空のような瞳。
夜の闇を映し、鋭く、それでいてどこか温かな光を宿す眼差し——。
胸の奥がざわりと波打つ。
王宮の庭園、陽の当たる回廊の片隅。
小さな月明かりが、太陽のように輝く金髪を照らしていた。
『ここから逃げよう。必ず君を助けるから。』
切羽詰まった声。
強く握られた手のひら。
鼓動がうるさいほどに高鳴っていた。
——でも、誰の記憶?
手を伸ばせば触れられそうなのに。
必死で思い出そうとすればするほど、遠ざかってしまう。
わからない。
心臓の奥が、痛む。
「絵梨、答えを聞かせて。」
翔真の低い声が、耳に届く。
——意識が、現実へと引き戻される。
わたくしは、絵梨の心臓の高鳴りを感じながら、そっと息を呑んだ。
絵梨が……こくりと頷く。
そして 自分の言葉で、言った。
「蒼井くん……私も……好きです。あなたを、ずっと……好きでした。」
零れる涙に流されるように、エルセリアの記憶の断片はすり抜けていく。
どれほど強く思い出そうとしても、もう遅い。
心臓の奥が痛む。
思い出せないなら、それはもう、わたくしのものではないのでしょう。
それなら、仕方がない。
だって、もうリュミエールには戻らないのだから。
来て下さってありがとうございます。
リュミエール王国1作目はこちら。https://ncode.syosetu.com/n9498js/ 氷雷の騎士団長、王命により結婚せよ!
(転移要素ありません。)