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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第四幕 華族会館泥棒ポルカ
9/19

(1)ワルツ、ポルカ、そして泥棒?

 茶色と灰色の屋根、ベージュの外壁、明るい青のアーチと黒の鋳鉄の手すりに囲まれたベランダが、左右に大きく広がっている。華族会館だ。

 階段を上って玄関ホールに入っていくと、白いクロスのかかった受付が作られていた。

「あ、鏡宮先生! ようこそいらっしゃいました!」

 編集者の森がめざとく見つけて、声をかけてくる。

「こちらにご芳名を」

 進み出た悧月は、ダークグレーの英国風スーツにベスト、そしてネクタイを身に着けている。今日の出版記念パーティーは比較的カジュアルなドレスコードということで、それに合わせたいでたちでやってきていた。

 そしてその左腕には、完全に真顔の花墨が掴まっていた。

 スミレ色のイブニングドレスは腰より少し下に切り返しがあり、プリーツの入った裾はひざ下までの長さだ。袖もなく、襟ぐりも開いていたけれど、白いレースの大きな襟が清楚に見せている。

「お美しいお連れ様で! よろしければお嬢さんもお名前を」

 森が促したが、悧月がやんわりと断った。

「叔母の知り合いのお嬢さんにつきあってもらったんだ。名前は勘弁してほしい。ところで……あ、ちょっと待ってて」

 悧月は花墨に声をかけてからいったん離れ、森とホールの隅に行った。彼にだけ聞こえるように耳元でささやく。

「別館の吸烟(きゅうえん)室(喫煙室)って、今日、使ってる?」

「え? いえ。今日は本館だけ使っているので、あちらは鍵を」

「じゃあ……後で僕ら(・・)使って(・・・)もいいかな」

「……あっ」

 森は目をぱちくりさせてから、ニヤ、と笑った。

「いやー、先生も隅に置けませんなぁ。ちょっとお待ち下さい」

 彼は階段を回り込んで事務室に入っていき、すぐに戻ってきた。

「鍵です。どうぞごゆっくり」

「ありがとう」

 渡された鍵をすぐにズボンのポケットにしまい、悧月は振り向いた。

「さ、花墨ちゃん、行こうか」

「はい」


 二人は階段を上がっていく。

「先生、さっきのって、金庫のある部屋の鍵ですか? 何て言って手に入れたの?」

 花墨に尋ねられた悧月は、明後日の方向を見てすっとぼける。

「ヒミツ」

「え、何でですか?」

「君も金庫の番号を秘密にしてるから、おあいこ」

 むっ、と花墨は膨れたものの、すぐに周囲を見回した。

「……これから何人も、先生の知り合いに挨拶するんでしょう? 私、ちゃんと振舞えるかしら」

「いやー、その、そんなに知り合いいないから」

 苦笑いする悧月に、花墨は目を瞬かせる。

「そうなんですか?」

「白状すると、僕はまだ本を出していないんだ。雑誌に寄稿してるだけ。一応、もうすぐ出版の予定はあるけど、本当に出るまではわからないからね! だからその、僕を知ってる作家先生はそんなにいないと思う」

 ははは、と乾いた笑い声を上げる悧月に、花墨は肩をすくめる。

「私なんかを相手に、見栄なんて張らなくていいのに」

 悧月は花墨に向き直る。

「作家的にはアレでも、花墨ちゃんに頼りになるところを見せたいんだよ」

「先生……あ。音楽が始まったわ」

「う、うん」


 玄関ホールの真上が、舞踏室だ。赤を基調にした壁紙に、艶やかな板張りの床。大きな暖炉の上の鏡がシャンデリアを映している。

 バルコニーが開け放たれており、そこで楽団がカドリール(方舞)を奏で、一部の招待客は踊り始めていた。

 花墨と悧月はその様子を窺いつつ、パーティーの主役に挨拶に行った。自叙伝を出版した華族の男性は人脈作りに忙しいようで、新人作家にすぎない悧月とはおざなりに挨拶を交わしただけで終わった。

「……感じ悪い」

 花墨はぼそっとつぶやいたものの、悧月は苦笑する。

「まあまあ、僕らも自分たちの都合で来ただけだからね。利用させてもらってありがたい、出版おめでとうございます! と思わないと」

 それもそうである。

 曲順は事前に決まっており、カドリールの次がワルツ、そしてポルカと続くことがわかっていた。いきなり広間を出て探りに行くのもおかしいので、ワルツとポルカを踊ったら休憩を装って広間を出よう、と二人は決めていた。

 ふと、花墨が掴まっている悧月の腕が、きゅっと脇を締めるように動いた。花墨の手がしっかりと挟まる。

「花墨ちゃん、僕のそばから離れないようにね」

「? はい、そのつもりですけど……何かありましたか?」

「そりゃ、若くて綺麗な令嬢なんだから。男性が声をかけてきたり、女性がライバル心燃やしてきたり、あるだろうさ」

「そんなに本物の令嬢っぽく見えます? 堂々としすぎかしら」

 花墨がドレスのスカートをちょっと摘むなどしていると、悧月は前を向いたまま言った。

「本物っぽいかどうかは関係なくて……とにかく綺麗で、心臓に悪い。僕意外とは絶対、踊らないで」

 一瞬、花墨はドキッとする。

 しかしそういう悧月こそ、スラッとした身体に英国風のスーツが似合っていた。服装も、こういう場も、彼のような人にふさわしいのだ、と花墨は思う。

「先生こそ、素敵な紳士です。そういえば、私みたいないかがわしい娘を連れていて大丈夫? おつきあいしている方がいたら、きっとご不興を買うわ」

 すると、悧月は鼻にしわを寄せた。

「君をいかがわしいなんて思ってないし、叔父の家に居候してる駆け出しの怪奇小説家にそんな相手がいるわけないでしょ」

「…………」

(こんなに素敵で、しかも裕福そうなのに。もし私が私娼とか、不健全なカフエーの女給だったら、絶対に逃さない上客だわ)

 そして、はっ、と胸を押さえる。

(……ねえさんたちのように仕事にするならともかく……こんなふうに人をお金を通して見ていると、そのうち本当にいかがわしい人になってしまう)

 心の内で密かに、花墨は反省した。


 カドリールが終わる。

 広間に人が増えてきた。次のワルツは一番ポピュラーな曲で、今日も一番多く奏でられる予定になっている。

「行こう、花墨ちゃん」

「はい」

 緊張して声が硬くなったけれど、悧月は目を合わせて微笑んだ。

「これだけ人がいれば、うまいとか下手とか全然わからないでしょ」

「……はい」

 二人は、広間の中央に出て行く。

 大きな手が、花墨の手を握り腰を抱いた。

 ゆったりと、弦楽器のワルツの調べが始まる。くるくると、人々はホールに輪を描いた。

 花墨もそれについていってはいたものの、やはり付け焼き刃なので足元ばかりが気になる。苦労していると、悧月がささやいた。

「不思議なものだね。出会った頃は、まさか花墨ちゃんと踊ることになるなんて夢にも思わなかった」

「……本当ですね」

 少し緊張が緩み、花墨は顔を上げることができた。

(なんだか不思議。先生といると、十二階下のころの子どもに戻ったような気分だったけど……私たち、大人の男女、なんだ)

 互いだけを見つめて回る二人を、音楽はふわふわと運んでいった。


 ぜえぜえと息を切らした悧月に、花墨はグラスを差し出した。

「お水、もらってきました」

「あ、ありがとう。ごめん。運動不足が祟ったな……」

 廊下のソファに座った悧月は、水を飲み干してため息をついた。

 ワルツこそ、彼の巧みなリードで花墨は『踊らせてもらっていた』ところがあったのだが、次のポルカは跳ねるステップが多く、動きも大きい。普段から立ち働いている花墨と、机の前でひねもす原稿を書いている悧月では、体力の差が歴然だった。

「いい感じですよ先生。そうやって疲れたーって装って下さったから、自然に休憩をとるために広間を抜け出せたし」

 花墨はフォローする。

「はは……装ってるんじゃなくてホントにしんどい……」

 しかしとりあえず、名簿に名前を書いた人物がきちんとパーティーに参加していた、という形式は整った。動きやすくなる。

「よ、よし。落ち着いた」

 悧月はグラスをサイドテーブルに置くと、ちらりと周囲を見回した。

「行こう」

「はい」


 まずは、階段で一階に降りた。金庫があるのは、一階の渡り廊下の先にある別館だ。

 別館、といっても平屋で、広々とした一部屋に便所がついているだけの場所である。吸烟室として使われることが多いけれど、今日は本館の一階・二階にそれぞれ吸烟室を作って、別館は閉めているらしい。

 ジョン・バーネット元大使が主催したパーティーでは、舶来の美術品の展示も行ったため、その保管場所として元大使自身が別館に金庫を持ち込んだそうだ。開け方は、元大使だけが知っている。

 踊り場で、人声が聞こえてきた。手すりの隙間から覗いてみると、玄関ホールから渡り廊下へと抜ける通路で、数人が談笑している。あの横を堂々とすり抜けて行ってもいいが、できれば見られたくない。

「先生、他に道はないかしら」

「ええと、前に別のパーティーに出た時は確か……花墨ちゃん、こっちへ」

 悧月は花墨を連れていったん二階に戻ると、会館の右翼側廊下へと回った。一番奥に、正面階段とは別の、細く薄暗い階段がある。

 そこを降りると、外へ出られる扉があった。内鍵を外して静かに開く。

 中庭に出た。庭を照らすガス灯が立っているものの、建物沿いは暗く、二人は闇に紛れて別館へと進むことができた。

 直接渡り廊下に上り、悧月はポケットから鍵を取り出すと、別館の扉を開けた。音を立てないように忍び込み、扉を閉める。

 二人はため息をついた。

「とりあえず、誰にも見られずに来れた、たぶん」

「泥棒の気持ちがわかる気がするわ。……あ、先生、あれ」

 光源は窓からだけなので覚束ないが、布のかかったソファーセットやチェストがぼんやりと見える。

 そして奥の隅に、腰の高さほどのダイヤル式金庫が鎮座していた。

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