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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第二幕 カフエーの女給は英語を話す
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(2)「君を殺して小説に」

 七年前、本の物の怪騒動によって憑捜に目をつけられた花墨は、悧月と別れてすぐに十二階下を離れた。

 そしてその足で、夜道をまっすぐ西に向かった。

 上野公園にやってくると、円形に囲われた演技場と、その横に張られた幕舎が見えた。中に灯った明かりでぼんやりと光るそこは、『曲馬団』の幕舎である。

『曲馬団』は馬を使った芸をする一座だ。馬自身も芸をするし、ぴったりと並んで走る馬の上で人間たちも肩車やら輪くぐりやらの芸をするので『馬芝居』とも呼ばれた。他に、ゾウや熊など、猛獣芸も披露する。

 軽業や曲芸は、身が軽い子どもも担っており、子どもがいて目立たない場所だった。そんな曲馬団が『訳あり者を匿ってくれる』という噂を聞いたことがあった花墨は、それに賭けたのだ。


 初老の団長に会わせてもらった花墨は、彼の目の前で手ぬぐいを取り、髪を見せた。

「この髪を見られて、憑捜に疑われてしまったんです。どうか、しばらくここにいさせてもらえませんか。できることなら何でもやります」

 彼は厳しい顔つきで花墨をじっと見つめ、一つだけ質問した。

「いざという時は、君のその特異な部分を、芸として売ってもらうかもしれない。見世物小屋の芸人のようにね。それでもいいか?」

「はい。物語には、恐ろしい体験をして髪が真っ白になった男のお話もあります。ここで白い髪の人間を演じるならおかしくないですし、全然かまいません。私は『処分』されたくないだけです」

「その覚悟があるんだな」

 団長はうなずき、そして表情を緩めた。

「いいだろう、ここで働いてもらう。憑き病の疑いだけで処分は、さすがに勘弁だよな。ここで安心して過ごすといい」

 人と違うところが武器になる曲馬団員たちは、花墨を柔軟に受け入れてくれた。団長も、覚悟を確かめただけで、実際には花墨を舞台に出すことはなかった。

 曲馬団には馬以外に、ゾウや熊などもいる。花墨の中の星見が熊を怖がり、熊を威圧しておとなしくさせてしまったのだが、それがきっかけで花墨は熊の世話をすることになった。


 怨霊について調べたくても動けない中、復讐を果たすことを支えにして、花墨は毎日真面目に働いた。

(どのくらい経ったら、憑捜は私を追うのを諦めてくれるだろう)

 しかし、そもそも取り締まりを強めている憑捜は、警戒範囲を広げている。曲馬団が目を付けられるのは、時間の問題だった。

 戦争の気配が濃厚になって来た頃、団長は決断する。

「電気仕掛けの娯楽が増えて、曲馬の人気も衰えてきた。この機会に、本場で西洋曲馬を学びたい。あちらでは『サーカス』というんだったかな。皆、動けるうちに、イギリスに行くぞ!」

 まだ復讐を果たしていない花墨にとっても、いったん憑捜の目を断ち切ることができる、願ってもない機会だった。


「なるほど。曲馬団、いやもうサーカス団と呼んだ方がいいのかな。その一員としてイギリスにいた。で、戻ってきて、カフエーの女給か」

 腕組みをした悧月に、花墨はうなずく。

「一座と一緒に戻って来て、私はここで働き始めたけど、皆さん秋葉ヶ原(秋葉原)で興行をしているわ」

「君はいつも、僕の想像の上を行くな。じゃあ、イギリスで英語を学んだのか」

「サーカスのチケットを売らなきゃいけなかったから、必要に迫られて。戦争の間は動けなかったから、ずっとあっちにいたの」

「はー、見つからないわけだ」

 頭をかく悧月に、花墨は口を開きかけて、結局はつぐんだ。

『私を探す必要なんてない』と言おうとしたのをやめたのだ。

(そりゃ、探すよね。お兄さんは優しいし、あんな別れ方をしたんだし。……私なんかにかかわらない方がいいのに)


 本当は、日本を離れる前に一度、花墨は行ったのだ。悧月に告げられた住所、彼が居候しているという彼の叔父の家に。

 心配されているとわかっていたし、一言、お礼だけでも言いたかった。

 しかし、文京区本郷のその住所は、高級住宅街の中の一軒だった。

 夜に行ったので細かいところまでは見えなかったものの、二階建てで庭もある洋館は美しかった。叔父がこんな家を持てるのなら、甥である悧月も良家の子息に決まっている。

(私なんかがお兄さんと知り合いだってわかったら、身内の人にもきっと迷惑になる)

 離れた場所から屋敷を見つめ、窓の明かりを見つめただけで、花墨は踵を返した。

 あの窓の中で勉学に励み、また原稿を書いているはずの悧月の、成功を祈りながら。


 その後、悧月がどうしていたのかは、花墨も気になった。

「お兄さん、なんだか雰囲気が変わったような気がする。……やっぱり、戦争に?」

「うん」

 悧月はうなずいたけれど、それ以上は口にしなかった。ただ、優しく微笑む。

「さすがに君ももう子どもじゃないし、お兄さんと呼ばれるのも変だな。悧月、と名前で呼んでくれないかな?」

「嫌です」

 即答すると、悧月はギョッとする。

「なんで!?」

「前にも言いましたけど、お兄さんはやっぱり良家の方でしょ。私なんかが馴れ馴れしくしたら変に思われますから」

 悧月の優しさを感じるたびに、花墨は自分の中のドロドロとした恨みを思い知らされる。それこそ、憑き病のようにうつして、汚してしまいそうに思えた。

「ねぇ、作家さんになったんですか?」

「あ、その、まあね」

 一瞬、目を泳がせた悧月はうなずいた。

「すごい。お兄さん、おめでとうございます」

 夢をかなえた彼を、花墨は祝福する。高いところに昇って輝く彼は、やはり自分とは違うのだ、と感じる。

「じゃあ私も鞠子さんみたいに、『先生』ってお呼びしよう」

「ちょ、花墨ちゃんまで。あの、その、ええと」

「どんなお話を書いてらっしゃるの? 前に言ってた、怪奇小説ですよね?」

「うん……そんなところかな……」

「へぇ、私、読んだことないわ。最初のお給金で何を買おうか迷ってたけど、先生の本にしますね」

 本気で言うと、悧月は目だけでなく手まで泳がせる。

「で、でも、内容がね、若い女の子がいっぱい出てきて、大変な目に……うん、僕のことはいいから食べるといい」

「あ、はい。いただきます」

 花墨はサンドウイッチを手に取り、ぱくっと食らいついた。


 帝都ではライスカレーやカツレツ、コロッケといった洋食が流行っており、『カメリア』ではコロッケサンドを目玉にしている。

 なるべく大きく口を開けて、一口かぶりついた。唇にはふわりとしたパン、歯にはざくっとしたコロッケの衣が心地よい。ジャガイモと細切りのキャベツにしっかりとソースが絡んで、この甘辛味が嫌いな人はいないなと、改めて思う花墨である。じんわりと、仕事の疲れが抜けていく。


 彼女が食事を楽しんでいるのがわかるのか、悧月は目を細めて微笑んだ。

「僕も、ここのコロッケサンドは絶品だと思うんだよねえ」

「ちゃんと食べるの、初めて。試食はさせてもらったことあるけど。先生も召し上がる?」

「いや、他で夕食を済ませてきたから」

 実はまだ食べていなかったが、花墨と再会できて胸がいっぱいで、何も入りそうになかった悧月なのである。

「そうですか? じゃ、遠慮なく」

 ぺろり、と彼女はサンドウイッチを平らげた。

 見計らって、悧月が口を開く。

「別れるときに、言ってたよね。誰かに復讐したいって」

「…………」

「その様子だと、まだ復讐を終えてはいないんだね。もしかして、君が星見に憑かれることになった事情とも関係があるの?」

 質問に、花墨は質問を返した。

「聞いてどうするんです?」

 すると、悧月はじっと花墨を見つめた。

「全部、僕に話してみないか?」

「え?」

「君の力になってあげられなくて、ずっと後悔してた」

 テーブルの上で組んだ両手に、悧月は視線を落とした。

「自分の身を滅ぼしかねない力を使わなきゃいけないほど、その復讐は難しいんだろう? しかも、すぐにはできない……相手がわからない? 探し続けているのか」

 ぐっ、と、花墨は詰まる。

「……さすが、先生。鋭いですね」

「身体を乗っ取られてしまったら、復讐も何もないだろう。これでもそれなりの人脈はできた、探すのを手伝うよ」

「ダメ。星見の強さを知ってるでしょ? 乗っ取られた時に先生がそばにいたら殺しちゃうじゃない。ありがとう、でも、私は一人でやります」

 すっ、と花墨は立ち上がった。

「ごちそうさまでした。でもこれ以後は、私は女給で先生はお客さんです。ご活躍をお祈りしてますね」

「待って!」

 中腰になった悧月が、ぱっ、と花墨の手を捕らえた。

「じゃあ、こうしよう。僕は君の復讐を手伝う」

「先生……だから何度も言いますけど」

「ただし! 間に合わなくて君が乗っ取られるその時、すぐさま君を殺してあげる」

「えっ?」

 足を止めた花墨に、悧月は言い募った。

「僕だって、君が僕も含めて誰か人を殺すなんて嫌だし、ましてや処分されるところなんか、絶対に見たくない。それくらいなら、僕が君を殺す。そして、君のことを小説として書こう」

 花墨は目を見開いた。

「私のことを……小説に」

「そうさ。僕は怪奇小説家だからね。大評判間違いなしだ」

「……あぁ」

 力が、抜ける。

 ふわり、と花墨は表情を緩めた。殺す、殺されるという話をしているというのに、夢見るようなその顔は、いつか悧月が見た可憐な笑顔そのままだった。

「それって、物語の中で永遠に生きられるってこと、ですか?」

「ああ、そうだよ。だから、君のそばでつぶさに君の復讐を見せてくれないと」

 軽い口調の悧月だが、眼差しは真剣だった。花墨はその目の中を、探るように覗き込む。

「本当に、殺してくれる? そして物語に……そうだ、先生の十二怪談の、十三個目に加えて下さい」

「いいね。『浅草十三怪談』か、気が利いてる」

「約束してくれますか?」

「うん」

 しっかりと、悧月はうなずいた。

 そして、いったん手を放し、右手の小指を出す。

「約束だ。花墨ちゃん」

 その小指と彼の顔を見比べてから、花墨はためらいがちに手を上げた。自分の小指を、そっと絡める。

 悧月が微笑み、花墨もぎこちない微笑を返した。


 はっ、と気がつくと、衝立のすぐ外で鞠子と数人の店員が待っており、全員がじっとりと悧月をにらんでいる。

「先生? 先ほどから物騒な言葉ばかり漏れ聞こえてくると、皆、心配しております。うちの花墨ちゃんに何か無体なことを?」

「あっ、違、僕は何も!」

「すみません、ちょっと怪奇小説の話をしていて、盛り上がってしまって!」

 悧月があたふたし、花墨もぺこぺこと頭を下げた。

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