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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第一幕 浅草十二階下の迷い人
2/19

(1)白い髪の少女は学生と出会う

 改暦から四十年が経った、大正二(1913)年、春。


 草履の足音が、暗く入り組んだ路地をパタパタと進む。夜だというのに、まだ十歳、十一歳くらいの少女が一人、急ぎ足で歩いているのだ。

 木綿の縞の着物は少し丈が短く、足首がことさら華奢に見える。筒袖の両腕は、布包みを大事そうに抱えている。

 路地の電灯の下を通り過ぎる一瞬、彼女の顔が浮かび上がった。頭からぐるりと手ぬぐいを巻いているのが少し風変りではあるものの、少しつり気味の大きな瞳が、利発そうに前を向いている。

 どこを曲がっても小さな店が立ち並び、歩いているのは男たちだけという、同じような景色。店の壁にはあちらこちら小窓が開き、娼婦の白い顔が次々と現れる。

「ちょいとちょいと、お兄さん」

「少し休んでいかないかい」

「ちょいと、中にいらっしゃいな」

 誘う女、誘われる男たち。店の前を通り過ぎる一瞬、鼻先をかすめる酒と白粉の匂い。

 秘密を隠す迷路を、少女は何も気にならない様子で、すいすいとすり抜けていく。


 ふと、若い男の鋭い声が響いた。

「離せ、離せっ」

 驚いて、少女は足を止める。

 ひときわ暗い、道が交差した場所で、若い男が奇妙な動きをしていた。腕を振り回して何か払っている様子なのだが、彼の周りには一見、誰もいないように見える。

 着物の中にスタンドカラーのシャツ、袴という格好の、まだ学生と思われる男だ。彼は長めの前髪を透かして、忙しく視線を動かした。

「あー、くっそ。どっちに行けば出られるんだ……」

 少女には、見ることができた。男に、両側から、背後から、何人もの女たちがしなだれかかっている。

 女たちの姿は透けて、この世のものではないようだった。しかし、それらを払いのけているということは、男にも彼女たちが見えているのだろう。


 少女は一つため息をつくと、無造作に男に近づいた。片手を上げる。

「そこのお兄、さん」

『さん』と同時に、パン! と彼の背中を叩いた。

 半透明の女たちは、たちまち雲散霧消した。男はギョッとして振り向く。

「うわ!? え、こ、子ども?」

 目を見張る彼を、少女は無表情に見上げる。

「お兄さん、ここから……『十二階下』から出られなくなっちゃったんでしょ」

 そんな彼女の背後、家々の向こうににょっきりと、黒い影が星空を背負って立っていた。


 凌雲閣(りょううんかく)。東京市で一番高い十二階建ての煉瓦塔で、『浅草十二階』とも呼ばれ、かつては塔内の様々な商店や展望台に客が集まり賑わったものだ。

 しかし、徐々に飽きられて客足も遠のいてしまった。

 寂れれば、逆にそういった場所の方が都合のいい者たちが集まってくるのが世の常である。今では『十二階下』という言葉は、塔のふもとに広がる私娼窟(ししょうくつ)を指すようになっていた。


「うん、そう、このあたりグルグル回って、出られなくて……だけど……何でわかったの」

 額の汗を拭きながら男が聞くと、少女は淡々と続ける。

「今夜は『迷わせ女』がうろついてるから、ウカツな誰かが捕まりそうだと思ってた」

「! 君、それって」

 尋ねようとした男を遮り、彼女は「ついて来て」と踵を返す。そして、すぐ横の路地に入った。

「え、ちょっと」

 一瞬迷ってから、男はあわてて少女の後を追う。

 その路地には『こちら 抜け道』と書かれた看板があった。抜け道と思わせてさらに私娼窟の奥へと引き込むためのものだが、少女は少し先の板塀まで歩くと、サッと板を一枚はずした。

「入って」

「うわ、本当に抜け道だ」

 驚きながらも、男は素直に、開いた穴に入る。すぐに少女も入って、板をはめ直した。

「次はこっち」

 少女はスタスタと、男を先導していく。

 どこぞの店の勝手口の前を通り抜け、また別の板塀を外して同じように抜け──


 ──やがて二人は、小さな二階建ての家屋にたどりついた。

「どうぞ、入って。……ただいま」

 からりと引き戸を開け、土間に入った少女は中に声をかける。

 すると、三、四歳くらいの子どもが三人ばかり飛び出してきて、

「ねえちゃん」

「ねえちゃん」

とまとわりついた。奥には赤ん坊もいて、座布団の上で眠っている。

「ほら、干し芋をもらってきたよ。おたべ」

 少女が布包みを渡すと、子どもたちは大喜びで受け取った。奥のちゃぶ台まで持って行き、もぐもぐと食べ始める。

「……ここは?」

 男は不思議そうに、家の中を眺めている。少女は無表情に振り返った。

「ねえさんたちが仕事してるあいだ、わたしがここでこの子たちをみてるの」

「君が、娼婦の子どもたちの面倒を?」

「そう。まあ、もらわれていくまでだけど」

『失敗』の結果として生まれた娼婦の子どもは、いずれどこかにもらわれていく。幼い働き手として。

 少女は、かぶっていた手ぬぐいをするりと解いた。

「私は『かすみ』。お兄さん、朝になるまでここに隠れてなよ」

 電球の明かりの下、短いおさげ髪の頭が露わになる。


 しかしどういうわけか、その髪は真っ白だった。


 男はさすがに目を見張ったものの、質問はいったんゴクリと飲み下す。そして、人なつっこい笑顔を浮かべた。

「じゃあ、そうさせてもらおうかな。僕は『りつき』だ。助けてくれて、ありがとう」

 それが、花墨(かすみ)悧月(りつき)の出会いだった。


 子どもたちを寝かせるために部屋を暗くし、花墨は土間の上がり(かまち)に腰かけた。

 ロウソクを一本だけ灯し、細い小さな手でつくろいものを始める。大人の女の着物を直しているようだ。娼婦のものだろうか。

 悧月は小声で聞いた。

「なんで君みたいな子どもが私娼窟にいるの? 吉原の見習いじゃあるまいし」

 悧月が言うと、花墨は淡々と答える。

「一度は吉原に売られたよ。でもこの髪だから、『憑き病(つきやまい)』じゃないかって疑われて、追い出されたの。『憑捜(ひょうそう)』に突き出されなかっただけマシかもね」


 古来、人々の恐怖や怒り、恨みなどの感情は、(こご)って妖怪や魑魅魍魎に変化することがあった。娼婦たちの負の感情から生まれた『迷わせ女』も、その一つである。

 しかし、明治も半ばを過ぎた頃から、怪異とは異なる事件が少しずつ増えて新聞を賑わせるようになった。ごく普通に暮らしていた人間が狂ったように暴れ、人を殺すのだ。詳しいことがわからず、『憑き病』と呼ばれている。

 憑き病にかかると、まずおかしな夢を見始める。長袴に大袖の衣を着た、平安の姫のような女の夢だ。そしてだんだん眠れなくなり、周囲を威嚇したり怯えたりするようになり、ついには暴れ出して、身近な者を手にかけてしまう。

 しかも、そういった事件が起こった家の周りではしばらくすると、幽霊や怪異が目撃されるようになるのだ。まるで、患者が引き寄せたかのように。


 そのため、まだ暴れていなくても様子がおかしい者は、伝染病患者か、犯罪者のように扱われた。身内によって幽閉されたり、逆に家や村から追い出されたり、当局に通報されたりする。

 その『当局』にあたるのが、警視庁内に組織された、憑依事案(ひょういじあん)捜査局だ。略して『憑捜』と呼ばれる。

 彼らは憑き病にかかった者を捕らえ、監獄に隔離して加持祈祷し、治療を試みる。成功すればよし、失敗して暴れ出せばそれを罪として『処分』する。裁判もせず。

 なぜ憑き病にかかるのかわからず、誰かを狙って殺すわけではないため、処分は理不尽だと誰もが思っている。しかし実際、死者が出ているのでどうしようもない。

 憑き病にかかった者は処分を恐れてそれを隠そうとするし、匿う者もいるため、憑捜の取り締まりは年々厳しくなっていた。


 悧月は口をへの字に曲げる。

「憑き病になると髪が白くなる、なんて聞いたことない。なのに、疑われて捕まるのは嫌だよね。でも、君の髪は何で白いんだろう?」

「知らない」

 花墨はそっけない。それでも、さっきの「なぜ私娼窟にいるのか」という質問の続きには答えた。

「私が吉原を追い出された時、他にも追い出されたねえさんがいて。身ごもったからなんだけど。そのねえさんが、十二階下の知り合いの店に行くっていうからついてきた」

 店、というのは十二階下にぎっしりと立ち並ぶ銘酒屋や楊弓場(射的場)などのことだ。私娼たちはそんな店の奥で、密かに客を取っているのである。

「そしたら成り行きで、何人かのねえさんたちの子どもたちの面倒見たり、雑用したりすることになった。ここは、ねえさんたちがお金を出し合って借りてる家」

「なるほど。まあ道ばたで寝るよりは、住む場所ができてよかったのかな……。ちゃんとした家だ。家賃は大丈夫なのかな」

 悧月が手で室内を示すと、花墨はさらりと答えた。

「うん。二階で心中があったばっかで、しばらく売れないから、家賃も安いんだって」

「えっ」

 悧月は思わず、天井を見上げた。木目や染みが、とたんに意味ありげに見えてくる。

「それに、さっきみたいに抜け道を使えば、憑捜からも隠れやすいし。……何してるの?」

 玉結びを作り、歯で糸を切った花墨が、悧月を見た。

 両手を合わせていた悧月が「ああ」と顔を上げる。

「いや、心中した人の冥福を祈ってた」

「ふーん。そういえば、お兄さんは楽しめたの? まだなら、ねえさん紹介するけど」

「真顔ですごいこと言うね。いや、そのつもりで来たんじゃあない。ちょっと調べたいことがあって」

「へー」

 花墨は明らかに、信じていない表情だ。

 悧月はムキになる。

「本当だって。さっき君が言ってた『迷わせ女』みたいなやつさ。僕は、怪異について調べてるんだ」

 サッ、と花墨は表情を硬くする。

「お兄さん、憑捜の関係者?」

「違う違う! ただの、高等学校に通う学生だ」

 悧月は両手を開いてみせた。

「もし僕が関係者なら、それこそ君みたいに特異な外見の子なんか、見た時点で憑捜に知らせてる。さっきも見かけたよ、十二階下を見回ってる青服」

「……じゃあ、何で怪異を調べてるの?」

「いやー、実は僕、怪奇小説家を目指しててね」

 へへ、と、悧月は頬をかきながらも、早口で熱弁を振るい始めた。

「それで、怪異の噂のある十二階下に取材に来てみたってわけさ。そうしたらしばらくうろついているうちに同じ路地をぐるぐる回ってることに気づいて。『迷わせ女』って呼ばれてるんだなぁ、客を引き留めたい女たちの情念の固まりみたいな怪異だな。でさ、浅草十二階にちなんでこういう話を十二集めて『浅草十二()』と名付けたら面白いと思わないか? ぜひとも僕が全部体験してルポルタアジュふうの小説に仕立ててみたいなあ」

 花墨はまた、ため息をつく。

「高等遊民って、変なこと考えるね。お兄さん、身なりがいいし、お金持ちのお坊ちゃまでしょ」

「ところが、実家を追い出されて親戚の家に居候の身なんだな、これが」

 頭を掻く悧月を、花墨は横目で眺めた。

「……とにかく、怪異の多いところには憑き病の患者も多いっていうよ。まあ『迷わせ女』は十二階下から出さえすればついてこないけど……妖怪に怯えて混乱して、憑き病にかかったって勘違いされた人もいるし」

 花墨としては、危ないよと警告しているつもりなのだが、悧白はどこか楽しそうだ。

「そういえば、さっき背中を叩いてくれたよね。あれで何だか、身体が軽くなったんだ。花墨ちゃん、陰陽師(おんみょうじ)の素質があるんじゃあないか?」

「おんみょうじ?」

 首を傾げた花墨に、悧月は説明する。

「江戸の世までは、そういう職業の人がいたんだよ。普段は偉い人のために占いをしたり、暦を作ったりしてるんだけど、裏では魑魅魍魎を退治したり、呪詛されたお姫様を神通力で救ったり!」

 大げさな身振りで、悧月は人差し指と中指を揃え、縦横に宙を切って見せた。

「……ま、世間が文明開化の光で明るく照らされて、陰陽寮も廃止になったんだけど。今は憑捜がいるしね」

 ちょっと呆れた花墨は、ただ、

「よくないものは、背後から近づく。『迷わせ女』くらいなら陰陽師じゃあなくたって、誰かに背中を叩いてもらえば手を離すよ」

 と言いながら裁縫道具を片づけた。

「じゃあ私、寝るから。明るくなったらさっさと出てって」

 そっけない花墨に「はいはい」と苦笑した悧月は、壁にもたれた。ボーッと電球を見上げ、独り言を言う。

「あーあ。その程度の怪異も、僕は自分じゃ追い払えなかったってことか」

「…………」

 やがて、寝息の音が一つ増え、その夜は静かに更けていった。


 それ以来、悧月は時々、花墨のいる家を訪れるようになった。

「助けてもらった礼だよ。それに、君のそばにいれば他の怪異が見られるかもしれないし?」

 そんなことを言いながら、あんぱんやカステラを持ってきたり、子どもたちに絵本を読んだりするのだ。

 最初はうっとおしがっていた花墨も、悧月が雑誌や絵本を持ってくると無表情なりに目だけは輝かせ、子守の合間に熱心に読んでいる。

 売り飛ばされるような貧しい境遇かと思いきや、花墨は礼儀を知っており、基本的な読み書きもできた。

「尋常小学校に、四年生までは通っていたの。本当は中学校や高等女学校も行きたかったけど」

 そんなことを言いながら、子どもたちにひらがなを教える花墨がどんな家の娘だったのか、気になるところだ。しかし悧月はあえて尋ねず、自分が使った教科書をどっさり持ってきた。

「中学校からの分しかないけど、これ、あげる」

「いいの!?」

 目を輝かせた花墨は、本当にそれらを片っ端から読み込んだ。わからないところは素直に悧月に聞き、理解し、どんどん難しい本が読めるようになっていく。

「泉鏡花先生のお話、すごく素敵。お兄さんも、こういうのを書けるようになりなよ」

「お、おう……」

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