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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第六幕 紡がれ織られてきた秘密
15/19

(1)織物工場の女工

 食事時の『カメリア』は忙しい。しかし花墨にとっては、その忙しさがありがたかった。仕事に集中していたかったのだ。


 薬師寺家には『カメリア』から電話を入れ、誠子の無事を確認している。

 憑捜には結局は連絡したようだが、悧月が陰陽師の力を持つことは伏せられていた。さらに間に柊士郎が入っての連絡で、誠子も今は正常な様子なので、捕らわれてはいない。

 ただ、ショールの赤い刺繍はすでに何の力も持たなくなっており、それが高鳥家を追及する証拠にはならなかった。


 一方、花墨は休みの日、帝国図書館に行った。『日本紳士録』で薬師寺家について調べたのだ。

 わかったことが、いくつかある。

『悧月』という字は、筆名である『鏡宮悧月』の時だけのものだった。彼の名を正式に書くと『薬師寺律基(りつき)』となる。

 薬師寺家は横須賀に屋敷を持つ名家で、華族の位を賜っていた。悧月には弟妹がおり、どうやら彼の言う通り、弟が家督を継ぐことになっているらしい。

 かつて土御門家の元で陰陽師として働いていたいくつかの家は、辰巳家が高鳥家から婿を取っている以外にも、複雑な婚姻関係で結びついているようだ。

(先生は憑捜に協力する、なんて言っていたけど、下手に動いたらご実家に迷惑がかかるのではないかしら)

 花墨は危惧し、悧月とはその後も、時々電話で連絡を取り合う程度の付き合いに留めた。彼が『カメリア』に来た時も、あくまで女給と客として接した。


 ある日、花墨は午後休をもらった。半日休みくらいなら、他の女給と融通し合える。

 午前中は客が少ないので、給仕以外にも昼食の仕込みを手伝い、昼前に更衣室に引っ込んだ。ワンピースから和服に、ブーツから草履に替える。

 裏口から出ると、彼女はにょきにょきと電柱の立つ道を、浅草寺の仲見世の方へと歩いて向かった。

 かつて入口にあった雷門――正式名称を『風雷神門』という――は、幕末の火事で焼失してしまい、市電の停車場『雷門跡』にその名を残している。付近には多くの人々や人力車が行きかっていたが、花墨は入口を横切り通り過ぎた。

 吾妻橋を渡る。隅田川は穏やかに揺れ、薄い陽光を反射していた。


(薬師寺家も高鳥家と同じ、陰陽師の血筋……)

 考え事を始めると、つい、悧月のことが頭に浮かんでしまう。

 花墨は、悧月が彼女を本当に心配してくれているということは、ちゃんとわかっていた。

 しかし、連綿と続く血筋は大きな力を持つ。悧月の望みとは関係なく事態は動くかもしれず、それは花墨の復讐の障害になりかねない。

(十二階下で、優しくしてくれたこと。再会した時の、嬉し泣きの顔。あの気持ちは本当だって信じてる。家族を殺されてから、先生といる時間は、私の安らぎだった。……でも)

 手にしていたメモを、彼女は見つめる。

 とある人物の勤務先が、そこには記されていた。

(先生に頼ってちゃいけない。私が赤い髪の出所を探して仇をとり、呪いを断ち切らなくちゃ)

 今日、午後休を取って出かけてきたのは、ある一つの手がかりをつかんだためである。


 隅田川沿いの、かつて武家屋敷や庭園だった場所には、大正の世になってから次々と工場が立ち並ぶようになった。

 花墨は、ある工場の前で足を止めた。入り口の横には銅板に『高鳥織物工場』の文字が、緑青とともに浮かび上がっている。

 中に入ると、大きな敷地の中にいくつもの建物が立ち並び、一つの町のようだった。工場だけでなく、食堂や寄宿舎などの建物があり、女工はここで暮らしているのである。煉瓦づくりの大きな建物が工場で、ひっきりなしに機械音が響いていた。

 花墨は食堂の入口付近で、目立たないように待った。


 昼になり、どこからか鐘の音が鳴った。

 工場の入口から一斉に、着物に割烹着姿の女工たちが吐き出されてくる。皆、ため息をついたり腰を叩いたりしていて、一様に疲れた面持ちだ。朝の六時から立ちっぱなしなので無理もない。

 花墨は、その中に懐かしい顔を見つけた。近づいてきた彼女に、声をかける。

「トシねえさん」

「え?」

 呼び止められた女性は顔を上げ、花墨に気づくと、垂れ目がちの目を瞬かせた。

「あら……あんたどこかで……」

「花墨です。覚えてますか? ヒロ坊の子守をしてた」

「花墨!? ああ、そうだ花墨だ、へぇ久しぶり! 綺麗になって!」

「あの時は、お世話になりました。急にいなくなってごめんなさい」

 花墨は頭を下げる。


 かつて十二階下で知り合った私娼たちは、また私娼に戻った者もいたが、別の仕事に転じた者もいる。

 その中には、女工もいた。戦後に女工として働き始めた者は多く、しかも隅田川沿いの工場地帯は浅草と目と鼻の先である。

 花墨はここ数日、鞠子に手伝ってもらい、かつての『ねえさん』の誰かが高鳥屋関係の工場のどこかで働いていないか聞き込んでいたのだ。

 見つけたのが、高鳥織物工場の寮で暮らしている、トシだった。

「いいんだよ、十二階下(あんなとこ)で暮らしてた女なんて、みんな訳ありなんだからさ」

 トシは、乱れた髪を直しながら笑う。

「元気そうで嬉しいよ。髪、ずいぶん思い切ったねえ。でも似合ってる」

 花墨の髪が本当は白いことを、トシは知っている。だからこそ、うまく隠せていると褒めてくれたのだろう。

「ありがとう、ねえさん。ヒロ坊は元気ですか?」

「おかげさんで元気みたいだよ、一緒には暮らせてないんだけど……働きながら小学校に通わせてもらってて、たまに手紙をくれるんだ。でもどうしたんだい、こんなとこ来て」

「私、今、鞠子さんの店で働いてるんです」

 俳優に身受けされて店を持たせてもらった鞠子は、界隈では有名人だ。

「それでその関係で、トシねえさんがここで働いてるって聞いて。ちょっと話したいんですけど、いいですか?」

「昼休憩が三十分しかないんだ、食べながらでいいかい?」

「もちろんです」

 そのつもりで、花墨は食堂で待っていたのだ。


 長机にずらりと腰かけた女工たちが、白飯と漬け物、味噌汁といった簡素な食事を食べている。花墨とトシは端の方に腰かけた。

 トシはちょっと恥ずかしいと感じたのか、

「たまに塩鮭やカレーも出るんだよ」

 と言いながら箸をつける。


 数年前に公布された工場法で、女工たちの労働は一日十二時間になっていた。それ以前は十四時間、十五時間も当たり前だったので、多少は楽になったのだろうが、きついのは変わりない。

 盆と正月だけはきちんと休めたが、それ以外の休みは月に二日しかなかった。


「花墨は、お昼は?」

「食べてきました。あの、これ。お昼時だし、再会のお土産にと思って」

「わあ、これコロッケだろ? 食べてみたいと思ってたんだ、嬉しい! 遠慮なくもらうね」

 一口かじったトシは、目を輝かせる。

「ザクッとして、中は柔らかくて、美味しいねぇ! 芋ってこんなに甘かったっけ。元気が湧いてくる気がするよ。あ、ごめん、話って?」

「あ、はい」

 花墨は居住まいを正す。

「この工場、高鳥屋百貨店で扱う衣服のための布を織ってますよね。高鳥屋オリジナルのショールもここで? あの、ループのついてる」

「ああ、あれ。そうだよ」

「ショールの一部に、赤い鳥の刺繍があるの、知ってますか?」

「刺繍? あー、はいはい」

 コロッケを平らげたトシは、味噌汁の椀を手に取りながらうなずく。

「売り物じゃなくて、社長が顧客に個人的に贈るショールは刺繍入りなんだろう? 知ってる知ってる」

「あの刺繍も、ここでしてるんですか?」

「ううん、刺繍は違う。たぶん高鳥の本家だね」

「本家?」

「そ、虎ノ門にあるんだけどね。月に数枚、ショールを何枚か本家に送ることになってるんだよ。あたし、梱包を担当したことがある。毎月毎月送るってんじゃ、本家の人がいくら多くても使い切れないだろって思ってたら、社長がおべっか使いたい相手に渡してるんだって聞いた。刺繍を入れてさ」

「じゃあ、本家で刺繍をしてる……?」

「だろうねぇ。だって他の場所で刺繍するなら、そこに送らせるはずじゃない? その後で社長に届ければいいんだし」

 言って、トシは首を傾げる。

「それがどうかしたかい?」

「あ、実は亡くなった母の形見の品に、赤い鳥の刺繍が入ったショールがあって。どういう出所(でどころ)のものか、ちょっと知りたかっただけなんです」

「そのためにこんなとこまで?」

「だって、トシねえさんとも久しぶりに会えるし」

「嬉しいこと言ってくれるねぇ。でもごめん、もう行かないと。午後の仕事が始まっちゃう」

 立ち上がるトシに続いて、花墨も立ち上がる。

「忙しいですね……」

「まあね。身体を壊してしまう子もいるよ。でもあたしにとっては『あの場所』より、こっちの方がちっとはマシかな」

 人の耳があるため、十二階下の名を出さずに言ったトシは、やつれた顔でニコリと微笑んだ。

「鞠子さんの店なら安心だね。花墨、元気でがんばりな」

 ふわ、と軽く抱きしめられる。花墨もそっと、抱きしめ返した。

「はい……トシねえさん、ありがとう」

 お礼にいつでも頼ってほしい、と言いたかったけれど、花墨は明日をも知れぬ身だ。

(高鳥の本家。虎ノ門か)


 夕方にさしかかり、東京市の空は曇り始めていた。今にも雨が降りそうだ。

『カメリア』の入口で、入ろうとした者と、ちょうど店から出てきた者がぶつかりそうになった。

(つるぎ)!」

「何だ、作家先生か」

 出てきたのが悧月、入ろうとしたのが柊士郎である。

 悧月は柊士郎の顔を見て、とっさに尋ねた。

「花墨ちゃん知らないか」

「は?」

「店にいない。女給仲間が、午後休を取って出かけたと言ってるんだが、僕は聞いてない」

「待て待て。いや、俺も知らないが」

 二人はすぐそこの路地に移動する。

「何だよ作家先生、あの娘と喧嘩でもしたか?」

 半分冗談で柊士郎が聞くと、悧月は「んぐっ」と喉を鳴らした。

「あ? 本当に喧嘩したのか?」

 自分から言い出したくせに、柊士郎は少々あわててしまった。悧月はすぐに首を横に振る。

「か、勘違いするな、喧嘩なんてしてない。連絡は取り合ってたし? 別にいつもいつも一緒に行動してるわけじゃあないんだからな?」

「連絡を取り合ってるのに、行先を言わなかった、ってことか」

「んぐっ」

 柊士郎は、花墨が怨霊憑きであることも、悧月が陰陽師の血を引いていることも知らない。だから、二人がそれぞれの立場で互いを心配し、すれ違っていることも知らない。

 しかしとにかく、職務には忠実な男である。

「痴話喧嘩やってる場合か、こっちは情報を持ってきたんだぞ」

「何かわかったのか?」

「まず、悪い知らせからだ。先生の家の周りで、憑き病の患者が数人出た」

「…………」

 悧月は表情を引き締める。

「出るだろう、とは思ってたよ。うちに出た千代見姫の影響だろう」

(まだしばらくは解呪できる)

 悧月は心に留める。憑き病になった者は近所の評判を恐れて隠すため、誰がなったのかを調べないと治せないが、なんとかなるだろう。

「そうだな。あらためて過去の事件を調べたが、患者が多いのはあきらかに一家皆殺し事件の周辺だ」

「目立って増えてきている憑き病は、明治の改暦で雛菊神社の儀式が中止された後、千代見姫の怨念が強まっているせいだ」

 次の事件の前に何とか……と悧月が少し焦りを感じていると、柊士郎はニヤリと笑った。

「次はいい知らせだ。その雛菊神社を見つけた」

「何っ!? 神社整理の時にどうなったか、わかったのか?」

「ああ。子どもだった頃の時庭花墨には見つけられなかったようだが、さすがに憑捜の班長様の手にかかればな」

 彼は得意げに鼻の下をこすったものの、すぐに表情を引き締める。

「高鳥家が陰陽師の家系だってのは、先生は知ってたか?」

「あ、ああ、まあ少し。それがどうした」

「『雛菊神社に祀られている姫は、悲劇の姫だ。陰陽師の家系の我が家で祀り、鎮めよう』――そう言って、高鳥家の人々が神社を本家に移設したらしい」

「何だって。高鳥の本家に、千代見姫はいるのか。まさか花墨ちゃん……」

 悧月は息を呑み、そして柊士郎をキッと見た。

「僕もこれから本家に向かう。もし僕や花墨ちゃんが帰ってこなかったら、剣、後をお前に託したい」

「はぁ!? 託すって」

「頼んだぞ。じゃ」

「待て待て待て待て」

 柊士郎は悧月の横に並んで歩き出す。

「俺は今日はもう上がりだ、一緒に行く」

「来てくれるのか? 憑捜の班長殿が」

「仕方ないだろ。何か怪しいことがあれば『憑捜ですが、大丈夫ですか』とか何とか言って踏み込める」

「なるほど。よし」

 悧月はうなずいた。

「行こう。高鳥の本家は、虎ノ門だ」

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