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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第五幕 百貨店の輝きは闇を隠す
14/19

(3)悧月の秘密

「きゃっ」

「うわっ」

 皆が驚く声とともに、食堂が暗くなった。しかし扉が開けっ放しになっているため、玄関の灯りが入ってきており、様子はかろうじて見える。

 誠子はショールを持ったまま、呆然と立っていた。身体の右側は灯りに照らされているが、左側はよく見えない。

 そして、その左側の肩から――

 ――ぬっ、と、長い髪の女の落ちくぼんだ目が、覗いていた。豪華な袿の袖から細い手が伸び、誠子の両肩にとがった爪を軽く食い込ませている。

 千代見姫だ。

「何だ……何か、奇妙な雰囲気がする。懐中電灯はないか」

 武雄の声が聞こえる。

(武雄様は、千代見姫が見えてないんだ)

 霊感がない人にどう伝えればいいのか、花墨は一瞬迷った。が、悧月が鋭い声を上げる。

「叔父さん、誠子さんに怨霊が憑いてる!」

 すると――

 意外なことに、武雄はすぐに答えた。

「わかった。悧月、お前に任せる」

(な……!?)

 花墨が驚く間もなく、千代見姫の笑い声が聞こえてきた。

『ふふふ……こんなところにも、あいつの匂いがする。さあ、お前の手で、早く消し去らないと。殺さないと』

 姫の姿が掻き消え、代わりに誠子の口が動き出す。

『みぃんな殺して、思い知らせてやらないとねえ』

 ゆらり、と身体を立て直した誠子の顔は、口だけが笑みを作っていた。赤く光る目が、この場の人々を舐めるように見回し、そして。

 その手が、テーブルの上のナイフを、無造作につかみ取った。

「誠子様!」

 思わず呼びかけた花墨の中で、星見が身じろぎをした。花墨はハッとして語りかける。

「星見……千代見姫を止めて……!」

 しかし、どういうわけか、星見は彼女の中でクスクスと笑っている。

『ははうえさまは、ころしたいの。ほしみは、じゃましないよ』

「……っ」

 花墨は唇を噛んだ。

 星見は花墨が危険に陥ると、なぜか守ってくれる。千代見姫にさえ、殺さないでくれと頼んでいた。しかしそれ以外の場面では、千代見姫の味方なのだ。

(どうしたら……!)

 その間にも誠子は、ゆらゆらとテーブルを回り込もうとしてぶつかった。湯飲みが転がり落ちて、硬質な音をたてて割れる。

 ナイフが振り上げられ、誠子は悧月に襲いかかった。

「誠子さん!」

 呼びかけながらも、悧月はナイフをよけた。しかし思わぬ素早さで、誠子のもう片方の手が伸びた。いきなり悧月の頭を掴む。


 次に起きたことは、まるで奇術のようだった。

 悧月の髪が、がらりと色を変えたのだ。


「え」

 花墨は目を見張った。

 誠子の手に、黒い髪の毛の束が握られている。

 悧月の長い黒髪は、鬘だったのだ。

 鬘の下から現れたのは、鮮やかな赤い髪だった。油で固めたのか、額を出して赤い髪を後ろに流した悧月は、まるで別人のようだ。


「くっ」

 彼は一瞬動揺したものの、誠子もまた鬘を引っ張ったためにバランスを崩している。その隙に乗じて、悧月は誠子に突進した。体当たりし、壁に押しつけて押さえ込む。

 張りのある声が響いた。

「遠つ御祖(みおや)の神、禍事(まがごと)を祓い、清め給え!」

 悧月の手が、がっ、と誠子の頭を掴んだ。

 キャアアア、と甲高い悲鳴が響きわたる。

 誠子の口から、黒い靄がブワッと吹き出て、千代見姫の姿をとった。

『おのれ、陰陽師め! 口惜しや……!』

 声が響いたかと思うと、千代見姫はものすごい勢いで食堂の中を飛び回った。窓が割れる。

「待て!」

 悧月が叫んだが、千代見姫は窓から抜け出し、すぐに見えなくなった。


 食堂は、シン、と静かになる。


 誠子の身体から力が抜け、足下に崩れ落ちた。武雄がすぐに駆け寄り、膝を突いて様子を見る。

「息はしている。気を失ったようだ。キミ、医者に電話」

「は……はいっ」

 へたり込んでいた使用人が我に返り、ほとんど四つん這いで廊下に転び出て行く。武雄は、立っている悧月を見上げた。

「ありがとう、悧月。とりあえずは誠子から離れたようだ」

「……今の……解呪?」

 花墨は呆然とつぶやく。

 武雄が、彼女と悧月を見比べた。

「話していなかったんだな。花墨さんと良いつきあいをさせてもらっているなら、話しておきなさい」

「……はい」

 小声で悧月が返事をしたところへ、使用人が戻ってくる。

「旦那様。お医者様に電話しました。すぐ来て下さいます」

 白い顔で目を閉じている誠子を、兄と使用人が両側から支えて立ち上がった。

「応接間に運ぼう」

「はいっ」

 彼らは食堂を出て行く。


 食堂には、二人だけが残った。

 花墨は唇を震わせる。

「先生……どういうことですか?」

「黙ってて、ごめん」

 悧月は、まるで叱られた子どものようにうなだれた。

「僕の親戚にも、かつては土御門家の下で、陰陽師として働いていた人がいるんだ。僕もその血を引いている」

「えっ……」


 辰巳家と、高鳥家だけではなかった。

 悧月の家もまた、陰陽師の系譜だったのだ。


「だって……私が星見に憑かれてるって話した時、先生、解呪できるなんて言わなかったじゃないですか!」

 花墨は思わずなじる。

「どうして隠してたんですか? 知っていたら、先生には近づかなかったわ。私の切り札である星見を、奪うかもしれない人になんて」

「あの時は解呪できなかったんだ。戦争前まで、僕には陰陽師としての力なんてなかったから。本当だ」

 うつむき加減の悧月は、ちらりと花墨を見て苦笑する。

「僕が実家を出たのはね、陰陽師の力に目覚めなかった(・・・・・・・)からなんだよ」

「え……」


「僕は長男なんだけど、陰陽師としての力を持たない、出来損ないだったんだ」

 抑えた声で悧月は語る。

「二つ下の弟にはちゃんと力があったから、両親は弟に家を継がせる決断をした。当然だよね。でも、さすがに僕は居づらくなって、『東京市の中学校に行きたい』と言って叔父さんの家に転がり込んだ、というわけ」

 実家と折り合いが悪いのは、そういういきさつだったのだ。

「花墨ちゃんに出会った時、僕に力があったらもっと助けられるのにな、とは思ったけど……まさか君と別れた後、戦場で力に目覚めるなんて」

 悧月は自分の両手を見つめる。

「……戦場ってね。当たり前かもしれないけど、様々な怨念が渦巻いているんだ」

 仲間の何人かは怨霊に取り憑かれて、正気を失い戦って死んでいった。死と血の匂いが充満する中、悧月は思ったのだ。

『何とかしなくては』

『死なせたくない』

『死にたくない』

「気づいたら、子どもの頃に教わった呪文を叫んでいた。」

 ――遠つ御祖の神、禍事を祓い、清め給え――

「すると急に、憑かれた人から怨念が抜けていって……でも……あんな場所で正気に戻して、彼らのためになったのかどうかはわからない」

 自分が何をしたのか混乱したまま、悧月はかろうじて生き延びた。

 しかし、落ち着いて気づく。髪が、真っ赤になっていることに。このままでは花墨の白い髪と同様、『憑き病』を疑われる。

 悧月は頭に怪我をしたように装って、包帯を巻いて隠し、日本に帰るまで誤魔化した。その後は、鬘で隠していたのだ。


 復員した彼は、起こった出来事をすべて武雄に打ち明けた。

 武雄は、悧月の母の弟だ。身内に陰陽師の力があることをもちろん知っていたし、自分にはその力はなくとも興味を持って研究し、そのうちに歴史を教えるようになった。

 悧月の話を聞いた武雄は、とある古い文献を見せた。

 それは江戸時代初期の絵巻物で、陰陽師が妖怪を調伏している様子が描かれているのだが、陰陽師の髪が赤く彩色されている。

「この赤は怒りの表現とされてきたんだが、陰陽師の子孫で力を行使できる者の特徴らしいとわかってきた。お前もそうだったんだな」

 叔父の言葉に、悧月は歓喜した。

「僕は出来損ないじゃなかった。叔父さん、この力があれば、憑き病や怪異を何とかできますよね!?」

 頭にあったのは、十二階下で別れたきりの花墨のことだった。

(今さら実家の人々に認めてもらおうとは思わない、弟の座も奪うつもりはない。でも、あの子が今も困っているなら。また会えたなら、せめて)

 武雄は慎重に答える。

「一部の人間は治せるだろう。しかし、進行した憑き病は誰の手にも負えないという。その力は万能ではないんだ」

「それでも、憑捜に処分される人間を少しでも減らせる!」

「確かにそうだな。だが、おおっぴらにはやるな」

「なぜです!?」

「患者が殺到するぞ。そうなれば、いずれ憑捜にもバレてお前はマークされる。お前の元を訪れる患者を捕まえれば簡単だからな」

「あ……」

 誰でも解呪できる、と豪語できるほどの力が今の彼にないことは、彼自身が気づいていた。本来、陰陽師になるには、脈々と受け継がれてきた知識を元に禊や修行をすることが必要である。悧月には、実家を飛び出すまでのわずかな基礎しか、作られてはいなかった。

 武雄は、悧月の両肩に手を置いて、言い聞かせた。

「私は仕事上、憑き病の話を聞くことがある。お前も編集者からそういう話を聞くだろう。信用できる者に仲介させて、お前の手に負えそうな患者だけひっそり治してやるだけにしなさい。いいな?」

 悧月はうなずくことしかできなかった。


「花墨ちゃん。君と再会できて、僕は本当に嬉しかった」

 そう言いながら、悧月は暗い視線を床に落とす。

「今さらこの力が目覚めたのは、君を救うためだった、星見を解呪できれば僕の存在には意味があると思える……と……はは、君には『星見を手放すつもりはない』と言われていたのにね。自分の勝手で、説得しようと思ってた」

「……先生……」

「でも、すぐにわかった。星見は強すぎる、今の僕の手には負えないと。僕は勝手に自分に失望してガッカリしたわけだ。君に黙っていたのは、そういうみっともない事情があったのと、僕に解呪されるのを警戒して君がまた姿を消してしまうかもしれないと思ったからだ」

 悧月は、誠子が落としたショールを拾い上げる。

「……力が抜けてる……千代見姫を呼び出し終えて、ただの刺繍になったか」

 赤い鳥の刺繍を見せられ、花墨は「あっ」と声を上げた。

「赤……赤い髪……まさかこの刺繍に、陰陽師の誰かの髪が混ざっている!?」

「おそらくね。鳥の印は関係なく、赤い髪を仕込むことで、高鳥秀一はショールを式神のように使ってるんだ。それを標的に渡し、標的の元へ姫を呼び寄せている。陰陽師が人を襲わせるなんて、ちょっと信じたくないけど……千代見姫が『あいつの匂い』がどうこうと言っていたから、この髪の持ち主に何か恨みがあるのかも」

 悧月は言い、そして静かに続けた。

「たぶん高鳥秀一は、僕たちが高鳥屋をかぎ回っていることに気づいたんだ」

 そして武雄にショールを送りつけ、誠子に渡るようにした。誠子に直接送りつけなかったのは、武雄が帰宅するタイミングで事を起こしたかったからだろう。薬師寺家の人々が揃っている時間に、ということだ。

「失敗はしたけれど、脅しとしても十分すぎる」

「あ……」

 花墨は表情を歪めた。

「ごめんなさい……やっぱり、巻き込むんじゃなかった。私一人でやればよかったのに」

「違うよ。被害者は君の両親だけじゃない。君だけの問題ではないとわかったんだから」

 悧月は、花墨の手をとった。

「高鳥を野放しにはできない。僕は全面的に憑捜に協力したいと思う。陰陽師の力があることも、柊士郎に話そうと思っている」

 それは、憑捜に星見のことを隠している花墨とは、相容れない考えともいえた。

 花墨が戸惑っている間に、悧月は言う。

「だから花墨ちゃん。この件はもう、僕と柊士郎に任せてもらえないかな」

「……えっ?」

「これでも僕は怒っている。高鳥は君の家族を奪い、何人も殺し、ついに僕の家族も狙った。仇は必ず取るから、星見の力は使わずに取り込まれないようにして、その時を待っていてくれないか?」

 悧月の目は、怒っているようでもあり、辛そうでもあり、そして花墨をいたわっているようにも見えた。

 けれど。

 花墨の心は、一気に冷静さを取り戻していた。

 悧月の目を、冷ややかに見つめ返す。

「悪いけど、先生は甘いと思います。憑捜と協力? 剣さんが、高鳥屋百貨店に行くことさえ躊躇したのを忘れたんですか? 相手は華族とも繋がりのある、政財界の大物です。そんな人をまともに罪に問おうとしたら何年かかることか。できるかどうかもわからない、その間にも被害者は増える」

 すっ、と、花墨は悧月の手の中から自分の手を引き抜いた。

「償わせてあげようなんて、私は思ってない。『復讐』したいの。千代見姫を消し去れればいいと思ってたけど、高鳥氏が裏にいるなら高鳥氏も殺す。星見はそのための切り札、私はどうなってもいい」

「花墨ちゃん……」

 唇を噛む悧月は、辛そうだった。


 やがて呼び鈴の音がして、玄関ホールが騒がしくなる。医者が来たのだ。

 廊下を行き来している女中に聞いてみると、どうやら誠子は意識を取り戻したらしい。弱ってはいるが、きちんと自我を取り戻したそうで、二人はホッとした。

「よかった。……先生」

 花墨は改まって、悧月を見上げる。

「私、今日は帰ります」

「えっ? いや、今は一人になったら危ないよ!」

「それこそ星見がいるから、大丈夫だし……先生の言ったことも、ちゃんと、ゆっくり考えてみようと思います。明日も仕事だし、ちょっとだけ日常に戻って、冷静になりたい」

「あ……そ、そうだよね」

 まだ迷いがあるようだったが、悧月はうなずいた。

「うん、君が日常に戻った風を装ってくれた方が、脅しに屈してあきらめたように見えなくもない、か……」

「本当だわ、その通りですね。目を付けられてしまったなら、おとなしくしてやり過ごしましょう。私たち、しばらくお会いしない方がいいですね」

 きっぱりと言う花墨に、悧月はあわててすがるような言葉を口にする。

「花墨ちゃん、君の無事は確認していたい。いつも」

「じゃあ……ひとまず明日、お電話してもいいですか?」

 花墨は提案した。

「『カメリア』の電話を借りるわ。誠子様の様子も心配なので」

「……わかった。待ってる」

 ようやく悧月も納得した。


 悧月は彼女を外まで送り、医者を乗せてきたタクシーに花墨を浅草まで送るよう頼む。終わったらまた薬師寺家に来てもらい、医者が帰る時に乗れるようにするという手はずだ。

 花墨はタクシーに乗る前に向き直り、きちんと頭を下げた。

「じゃあ、失礼します」

「くれぐれも気をつけるんだよ」

「はい。皆さんも、気をつけて下さいね」


 薬師寺家を後にしたタクシーの中、花墨はすでに次の行動を考えていた。

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