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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第五幕 百貨店の輝きは闇を隠す
13/19

(2)表舞台から消えた陰陽師たち

 あちらこちらと移動して、夕方に薬師寺邸まで来た時には、さすがに二人とも少し疲れていた。

「お帰りなさい、悧月さん。花墨さんもいらっしゃい」

 割烹着姿の誠子が玄関ホールに顔を出す。何やら、洋風の出汁のいい香りが漂っていた。

 花墨は深々と頭を下げる。

「誠子様、お招きありがとうございます」

「来てくれて嬉しいわ」

「お借りしていたものも、返しに参りました。本当に助かりました」

「いいのよ、何かあったらまた頼ってちょうだい。花墨さんは悧月さんの恩人なのですから。あら、高鳥屋でお買い物していらしたの?」

 花墨の手には、高鳥屋百貨店おなじみ、緑の地に赤い鳥の模様の紙袋が下がっていた。これを持って日本橋を歩くのが、帝都の女性たちの間ではひとつのステイタスなのである。

「あ……ええと、これは」

(私が高鳥屋で買い物できるような身分だと誤解されても困るし、先生に何か買ってもらうような間柄だと思われても困る……!)

 花墨が焦って言い訳を考えている間に、

「夕食までもう少しかかりますから、応接間でゆっくりしてらして」

 と誠子は言って、スッと台所に戻っていってしまった。

「ああ……」

「どうしたの?」

 わかっていない悧月に「何でもありません」とため息をつき、花墨は悧月に続いて応接間に入る。すぐに使用人が日本茶を運んできた。

 二人はソファーで一息つく。

「疲れたけど、一歩前進したね」

 悧月の言葉に、花墨はしっかりとうなずいた。


 高鳥屋百貨店を出た後、二人は市電で浅草に移動していた。

 凌雲閣──浅草十二階──のふもとで待っていると、やがて青い制服姿がやってくる。憑捜の見回りだ。

 二人組のうち一人は、剣柊士郎である。彼は今日このあたりを巡回する日で、少し会って話をしようと互いに決めていた。

 柊士郎は花墨たちがいるのを確認すると、同僚に何か一言言ってから、一人でこちらにやってきた。両足をぴしっとそろえて帽子のつばに手をやったのは、同僚の手前、知り合いに会って挨拶したのだと見せかけたのだろう。

「どうだった」

 柊士郎が尋ね、悧月が答えた。

「高鳥屋のオリジナル商品だそうだ。自社の工場で生産して、自社の関連の店でしか売らない」

「しかも、刺繍入りのとそうでないのがあって、刺繍入りは社長の高鳥さんがお世話になった人にだけ贈っているんですって」

 花墨が言うと、柊士郎は声を潜めた。

「昨日話した、別件の現場にあった証拠品のショールも確認してきた。あんたんとこの、時庭家の事案の少し後に起こった事案だった。やはり同じデザインで、鳥の刺繍もあった。刺繍は全く同じっていうわけじゃなくて、こう……微妙にくちばしの角度とかが異なっていたから、機械ではなく手作業だろう」

「どういうことなの? 高鳥屋の印のあるショールに千代見姫が気づいて、持ち主に取り憑くの?」

 花墨はつぶやいたが、柊士郎は「いや」と否定する。

「鳥印だから、ってのはおかしいんだよな。鳥印は明治の世の終わりの方に、高鳥屋が呉服店から百貨店に改名した時に初めて、デザイナーが考案したものだと聞いた。だが調べてみたら、女が怨霊に憑かれて身内だけを殺す事件は、もっと前からあった」

「えっ」

「俺が調べた限りでは、そういう事案は十二階が建った年が最初だ」

 鳥印ができたのは明治三十九(1906)年だが、浅草凌雲閣が開場したのは、それよりさらに十六年前の明治二十三(1890)年である。まだ鳥印は存在していない。

「でも、今は鳥印のショールを持つ女性だけに取り憑いてるなら、やっぱり何か秘密があるのよ」

「まあな。で、それを高鳥氏がわかった上で贈ってるなら……」

 柊士郎は、ややためらいつつも、その考えを口にした。

「高鳥氏が千代見姫の怨霊を操ってる、って可能性もあるんじゃないか?」

「待って」

 花墨は目を見開く。

「じゃあ、姫の意志ではなく、高鳥氏が姫を支配して無理やり人を襲わせてる、ってこと?」

(姫も、被害者だっていうの?)

 頭の中が、ぐるぐると渦を巻いた。

(今までずっと恨んできた相手、私に取り憑いてる星見を利用してまで復讐しようとしてる相手なのに……!?)


 千代見姫と星見は親子らしい。それを知りながら、娘の力を利用して母親を倒す――でなくとも、母親を見つけ出すために役に立ってもらう。

 花墨がそんな非情な考えを持っていたのは、千代見姫はあくまで怨霊、おぞましい絶対的な悪だと思っていたからだ。倒すしかない相手なのだから、娘を利用しても仕方ないという言い訳が、花墨の中では成り立っていた。

 あの日、自分を無理やり笑わせた星見に対する怒りもある。星見は子どもで、自分もあの時は子どもだったけれど、恨みは深く根深い。

 しかし、その考えが根本から揺るがされたのだ。


「作家先生はどう思う?」

 柊士郎の声にハッとして、花墨は悧月を見た。

(そういえば先生、さっきからずっと黙ってるわ)

 話しかけられた悧月もまた、夢から覚めたようにハッと顔を上げた。

「あ……ああ、ごめん。何?」

「高鳥氏が千代見姫の怨霊を操ってるかもしれない、って話だよ」

 柊士郎はやや語気を強めたが、同僚が待っている方をちらりと見やる。

「とにかく、次は高鳥氏周辺だな」

「そうだね。調査を進めるよ」

「あまり派手にやるなよ。こっちもこっちで調べてみたいことがある。何かわかったら知らせる」

 柊士郎はそう言うと、もう一度帽子のつばに手をやって挨拶し、巡回に戻っていった。

 黙って見送った悧月は、やがて花墨を見た。

「何だろうね、彼が調べてみたいことって」

「先生」

 花墨は彼に向き直る。

「私も今日は、もう少し調べ物をしたいです。夕食までは時間がありますし、帝国図書館に行ってきます。高鳥氏のことをもっと知りたいので……過去の新聞とか、百貨店関係の本とか見ればわかるかも」

「花墨ちゃん」

 悧月は彼女の名を呼び、少しためらってから、続けた。

「ある程度なら、僕からも話せるよ」

「え?」

「というか……話しておきたいことがある。家に行こう」


 そうして、二人は早めに薬師寺邸に来たのだ。

「先生……高鳥家のこと、何か知ってるんですか?」

「少しね。聞いてもらえるかな」

 応接間に腰を落ち着け、悧月が口を開いた。

「前に、陰陽師の話をしたの、覚えてる?」

 私娼窟にいた頃の話だ。花墨は戸惑いながらもうなずく。

「少し。あと、本でも読んだことがあるわ。平安時代の陰陽師、安倍晴明の物語」

 狐の母から生まれ、鳥の言葉を解し、式神を従え呪文を唱えて怨霊を倒す。そんな物語だ。

「うん、有名だよね。……叔父が大学で歴史を教えてるから、受け売りが大部分だけど、説明する。本来の陰陽師の仕事は、まずは暦を作ること。後は天体の動きから吉凶を読みとったり、占ったり、祭祀を行ったり。安倍晴明が活躍した時代の後、その子孫である土御門(つちみかど)家によって陰陽師たちは束ねられ、徳川の世でも活躍していた」

「じゃあ、徳川の世の後は?」

「明治に入って、陰陽寮はその役目を終え、廃止された。暦を西欧に合わせることになったからだ」

「急に仕事を失った……」

「巷間に紛れた彼らのほとんどは、今何をしているのか、わかっていない」

「そうですか……ん? 『ほとんど』?」

「うん、わかっている者もいる。まず、辰巳家」

 まさに最近、聞いた名だ。花墨は思わず、口元に手をやった。

「憑捜の局長!」

「そう。徳川の世からこっち、俗に狐憑きと呼ばれるような怪異は存在しつづけていたから、陰陽師はその対処にあたっていた。まあ後は、権力者のためにライバルを呪詛、なんてこともやってたみたいだけど。明治になって憑き病が増えたために、政府は元陰陽師の辰巳家を呼び戻して、憑捜を組織させたんだ。陰陽師は、魑魅魍魎を調伏する力をもっていたからね」

 この話は、高鳥家とどう繋がるのかはわからなかったが、花墨の興味を引いた。千代見姫を調伏する力なら、花墨も欲しかったからだ。

「調伏の力を『持っていた』。過去のことなんですか? 今は?」

「そういった力は、陰陽師すべてが持てるわけではないらしい。力を行使するためには、禊ぎや修行なんかも必要だし……陰陽寮がなくなった今、そういった場も今はない。食べていくために、他の仕事に集中している者も多いだろうしね。憑捜を組織した時の辰巳氏は、力を持っていたそうだけど、今の辰巳家の人々がどうなのかは、僕はちょっとわからない」

 悧月は茶を一口飲み、湯飲みを置く。

「それから、元陰陽師の家柄だったとわかっているのは、辰巳家だけじゃない。高鳥家もなんだ」

「え? 高鳥家が陰陽師……?」

 さすがに花墨は驚く。悧月は続けた。

「今の家業と関係ないから、おおっぴらにはしていないけどね。高鳥秀一氏の祖父が、とある公家のお抱え陰陽師だったんだ。公家は今、華族になっているから、陰陽師としての仕事を失っても人脈として頼れただろう。そこから織物業で儲けて軍に資金を提供し、高鳥家も華族になった。さらに百貨店まで始めたわけで……高鳥一族の繁栄は、留まるところを知らない」

「じゃあ、今の社長、高鳥秀一氏が陰陽師として特別な力を持っている可能性もあるわけですね? だとしたら、秀一氏が千代見姫を支配することだってできるかもしれないわ」

 柊士郎の予想が、がぜん信ぴょう性を帯びてくる。

 動揺しつつも、花墨は不思議に思った。

(武雄様が歴史を教えてらっしゃるからと言って、ここまで陰陽師に詳しいことってあるかしら)

 彼女は顔を上げる。

「あの……先生も武雄様も、どうしてそこまで」

 コンコンッ!

 不意に扉がノックされ、花墨と悧月は思わずビクッとした。

「悧月様、お客様。お食事の用意が調いました」

 使用人の声だ。

「今行く!」

 悧月が答えて、二人は顔を見合わせる。

「……また後で話そう。しっかり食べて英気を養わないとね。誠子さんの料理は美味しいよ」

 彼が微笑んだので、花墨は戸惑いながらも、少し肩の力を抜いた。


 食卓の上には、美しい食器に見事なフランス料理が盛り付けられていた。

 美味しそうな焼き色のビフテキに、みずみずしいカブと人参が添えられ、主食が米飯ではなくバタつきパンなところも異国を感じさせる。ボウルに入った緑色のスープが謎すぎて、花墨は思わず「これは何ですか?」と聞いてしまったが、豆でできた『ポタージュ』というものだった。

 誠子がナイフとフォークの使い方を教えてくれ、花墨はぎこちなくビフテキを切りわけ、口に運ぶ。

 甘みさえ感じられる肉汁が、彼女の目を見開かせた。

「……これが牛肉……すごく美味しいです」

 素直な感想を言うと、誠子は無表情な顔をほんのりとほころばせた。

「花墨さん、牛肉は初めてでしたの?」

「はい……恥ずかしいのですが。最近は牛鍋の店も多いので、一度行ってみたいと思っていたんですが、機会を逃してしまって」

「そう」

 ちら、と誠子が視線を悧月に流し、悧月はハッとなって身を乗り出した。

「じゃあ今度、牛鍋の店に行こう!」

 誠子は「それでよろしい」というかのように満足げにうなずいた。


 そして想像していた通り、花墨と悧月の出会いについて、誠子は聞きたがった。花墨は嘘はつきたくなかったが、そのまま話すのも雰囲気を壊してしまうと思い直し、簡略化して話すことにした。

「九歳で両親を亡くし、生きていかねばならなかったので働く女性たちの子守りをしていた」

「霊感が強く、たまたま通りかかった悧月に付きまとっていた幽霊を追い払い、お礼に教科書をもらって勉強することができた」

「その後、知り合いの伝手で英語も学ばせてもらい、外国人客が来るカフエーの女給になった」

 ……といった感じである。

 しかしそれだけでも、誠子は目を見張りながら聞いていた。

「花墨さんはお若いのに、なんて色々な経験をしてきているのかしら」

 しかもサーカス団に入ってイギリスに行った、などと知れば卒倒しそうだと、悧月は密かに思ったが、とにかく誠子は花墨に夢中のようで話し続けている。

「私など、女学校時代に婚約して卒業と同時に結婚したから、せいぜい習い事を色々やっていたくらいですよ」

「大学の先生の奥様ともなると、人付き合いが大変だと聞きます。誠子様のような方が相応しいんだなと、誠子様にお会いして思いました」

 花墨はそう答えた。本心からだ。

「まあ、嬉しいこと。ありがとう」

 誠子は微笑み、そして立ち上がる。

「さてと。もう少しお腹に入るでしょう? デセール(デザート)にババロアを作ってありますのよ」


 その時、玄関で呼び鈴の音が鳴った。

 はーい、と使用人が廊下を玄関に向かう足音が聞こえ、

「武雄さんがお帰りになったのかしら」

 と誠子も食堂を出て行く。

 やがて、武雄と誠子が言葉を交わすのが聞こえてきた。

「おかえりなさい。お食事はお済ませですわよね」

「うん。今日は悪かったね、はいこれ」

「あら、お詫びのお土産ですか?」

「と言いたいところなんだけど……」

 二人は何か穏やかに会話している。

 悧月は花墨を見て、

「誠子さん、もう怒ってないみたいだ」

とささやき、花墨もうなずいて安堵のため息をついた。

 やがて、武雄だけが食堂に入って来た。廊下では、何かガサゴソと紙に触れるような音がしている。

「花墨さん、いらっしゃい」

「お邪魔しております」

 花墨はパッと立ち上がって、頭を下げた。武雄は帽子を取りながら軽く手を上げる。

「どうぞゆっくりしてください。ああ悧月、今日、高鳥屋に行ったんだって?」

「えっ? はい、でもなぜです?」

「実は今日、仕事が終わって会食に向かう直前、大学の僕宛てに高鳥屋百貨店の社長から荷物が届いてね」

 説明しながら、武雄は玄関の方を指さす。

「とりあえずそのまま持って帰って誠子に渡したら、今日悧月たちが行ったというから、何か関係あるのかなと」

 花墨と悧月は、顔を見合わせる。

「……荷物?」

 そこへ、誠子が戻ってきた。

「武雄さん、開けてみましたよ。中にカードとショールが入っていましたわ」

 ぱっ、と花墨と悧月は振り向く。


 誠子は「奥方様に、ですって」と白いカードを武雄に差し出し、もう片方の手で黒いベルベットのショールを持っていた。

 ループ状のフリンジ、赤い鳥の刺繍。

 その刺繍が、きらり、と艶めいて光った気がした。


 がたんっ、と椅子を鳴らして、悧月が立ち上がる。

「誠子さん、それ離して!」

「え?」


 その瞬間、パン! と音を立てて、食堂の電灯が割れた。

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