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帝都の復讐姫は作家先生に殺されたい 浅草十三怪談  作者: 遊森謡子
第四幕 華族会館泥棒ポルカ
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(2)金庫に隠されたもの

 壁に固定されている金庫に、二人は近づいた。

「奥方の持ち物を、彼はここに入れたんだな。やっぱり鍵がかかってる」

「番号、合わせてみます」

 花墨が進み出る。


 巣鴨監獄で面会した時、元大使はこう言った。

『いつ、大事な人と別れることになるかわかりません。誕生日などの記念日も、大切に過ごして下さいね』

 これが金庫のダイヤル番号のヒントだと、花墨はふんでいた。『大事な人の誕生日』──おそらく奥方の誕生日が番号になっている。


(きっと誰か、大使夫人の誕生日を知ってる人がいるはず。だってああいう方々って、大勢の人を招いて誕生日パーティーをするもの)

 そう確信していた花墨は、監獄に行った翌日から、聞き込みを開始した。『カメリア』常連の外国人客と雑談する際に、

『英大使夫人が亡くなったと聞いて驚きました。お会いしたこと、ありますか? 何かのパーティーとか』

 といった言い回しで聞いてみたのだ。

 すると、それを小耳にはさんだ鞠子が、控室で話しかけてきた。

「花墨ちゃん、どなたかお客様関係の方の誕生日を知りたいの? 贈り物?」

「あ、はい、そんなところ……です」

「それなら、いいことをおしえてあげる」

 鞠子は後れ毛をかきあげながら、嫣然と微笑んだ。

「『人事興信録』というのがあるの」

『人事興信録』は、いわゆる人名録の一種だ。有名人の情報が掲載され、一般に公開されている。

『日本紳士録』だと日本人の高額納税者を中心に掲載されているが、『人事興信録』には在日外国人の情報も載っているのだ。

「家族の情報も載っているわ。帝国図書館で調べてごらんなさい」

「ありがとうございます。さすがは鞠子さん」

「ふふっ。あのね、旦那様が……オーナーが偉い人に取り入るために、ご本人や奥方の誕生日に贈り物をするの。私が調べて、贈り物を選んでるのよ、いつも」

「なるほど……」


 暗い部屋の中、鞠子との会話を悧月に教えると、彼もまた「なるほど」と感心した。

「いやでも、まず奥方の誕生日だってよく気づいたね、花墨ちゃん。じゃあ、それで番号がわかったんだ?」

「実は、『人事興信録』には奥方の生まれ年と月までしか載っていなかったんです。でも」

「後は三十一通りの日にちのどれか、ってことか。しかし、さらにダイヤルを左右どっちに回すかが加わると……」

 弱る悧月に、花墨はささやく。

「左、右、左、右……と交互で大丈夫です」

「え本当!?」

「元大使は、誕生日のことをおっしゃった後によろめいたでしょ。あの時、奇妙な足踏みをしていたじゃないですか」

「気づきませんでしたっ!」

 元大使は左右の足踏みで、ダイヤルを回す方向を教えてくれていたのだ。

 花墨は『年』『月』を左、右と交互に合わせ、さらに日にちを一から順に試していく。『一三』で、カチッ、とはまる感触があった。

 悧月と視線を交わしてから、彼女はレバーを下げる。

 ガチャリ、と音がした。

「よし」

 ごく、と喉を鳴らし、花墨は扉を手前に開いた。

 暗くてよく見えないので、中を手で探る。乱雑に折り畳まれた布らしきものがあったが、他は特に何も入っていないようだ。

 布を取り出してみる。

「手触りがいい……ベルベット?」

「元大使が当局に渡したくなかったものは、これか……明るいところで見てみよう」

 二人はうなずき合うと、金庫を元通りに閉め、静かに別館を出て鍵をかけた。


 渡り廊下には、二階の舞踏室からのさんざめきと、再びのワルツがかすかに届いている。

 本館の中では大勢の人の目に触れてしまうため、いったん中庭に行った。本館は凹の字の形をしていて、中庭にはガス灯に加えていくつかの部屋の明かりが漏れ、ぼんやりと明るい。

 立ち止まった花墨は、布を広げてみた。長さはおよそ五尺(約150cm)、幅はその三分の一くらいのベルベット布で、色は華族会館の外壁にも似た白に近いベージュ、短い方の両辺にループ状のフリンジ飾りがある。

「女性が使う、ショール……ですね。母が同じものを持っていたわ」

「高級品だね。刺繍が入っているな」

 よく見ようと、悧月が触ろうとした瞬間。


 いきなり、ピカッ、と光を浴びせかけられた。


 ぱっ、と振り向くと、青い制服姿の男が懐中電灯を持って立っている。

「!」

 とっさに、悧月はショールで包むようにして、花墨の身体を引き寄せた。わざと立腹した口調で言う。

「何だ君は。無粋な奴だな」

「職務ですのでお許しを。ここは未解決事案のあった場所ですので」

 背の高い、厳しい顔つきの憑捜局員だ。

「自分は、警視庁憑依事案捜査局班長、(つるぎ)柊士郎(しゅうじろう)です」

(あっ……この人!)

 名前を聞いたのは初めてだが、二人は、特に花墨は顔をよく知っていた。

 彼はかつて、十二階下の警備・捜査を担当していた局員だった。花墨は、主に彼を避けて暮らしていたのだ。本の物の怪事件の時に、花墨を捕まえて事情聴取しようとしたのも、この男である。

 あれから七年が経ち、出世したのだろう。ますます精悍な顔つきになった彼は、向かい合っているだけで圧迫感があった。二人をじろじろと眺めまわしながら口を開く。

「あなたには見覚えがあるな……そちらの女性は? 顔を見せて下さい」

 もう隠れても仕方がない。

 花墨は警戒しつつ、そっと悧月から身体を離した。ひらりとショールを肩にかけ直し、明かりの下で柊士郎をまっすぐに見る。

 柊士郎は何か思いだそうとするように目を細めていたが、やがてハッと息を呑んだ。

「十二階下の、白い髪の娘……!」

 彼が空いている方の手を腰のサーベルの柄にかけるのと、悧月が花墨の前に一歩出るのは同時だった。

 柊士郎は二人を睨みつける。

「あの騒ぎに関わった二人が、バーネット氏の事件のあった場所にね。コソコソと何をやっている?」

「ははっ」

 急に悧月が笑い声を上げたので、花墨はびっくりして彼を見上げた。

 悧月は続ける。

「十二階下と、ここで、コソコソと調べ物。そうだよ。つまり、君と同じってことさ」

「何っ!?」

「僕たちも、君たちとは別で事件を調べているんだ」

「素人が首を突っ込んで何になる。怪しいのに変わりはない」

「どうやら、ゆっくり話し合う必要がありそうだね。……花墨ちゃん」

 悧月は花墨と並び、彼女の耳元にささやく。

「憑捜が持っている情報を取れるかも。バーネット氏には悪いが、これ(・・)をエサにして彼と取り引きしよう」

 軽くショールを引っ張る悧月に、花墨は小さくうなずいた。

「わかった。先生を信じます」

 すると、悧月は微笑み──

 ──きゅっと、花墨の手を握った。

 子ども扱いされたように感じて、花墨は少々、ムッとする。

(ダンスをして大人びた気分になっていたけれど、先生にとっての私は、かつて本やカステラを恵んだ子どものままなのかもしれない)

「剣柊士郎。僕は鏡宮悧月という作家だ。帝国大学で講師をしている薬師寺武雄の、身内の者でもある」

 悧月は名乗った。作家、というだけでは怪しすぎると判断した彼は、身を寄せている叔父の名も念のために告げる。

「僕らは、君たちが掴んでいない情報を持っている」

「何?」

「教えてもいいが、僕らも君の話を聞きたい。情報交換といかないか?」

 悧月の申し出を聞いた柊士郎は呆れたように笑い、何か言いかけたが、すぐに表情を変えた。

「もしかして……おい、巣鴨監獄にいるバーネット氏に面会に来たという男女は、お前たちか?」

 悧月と花墨が同時にうなずくと、柊士郎は少し考え、さらに質問する。

「……あの時から、そこの娘は暴れていないのか」

 花墨は即答した。

「暴れてないわ。憑き病ではないもの」

 すると、柊士郎は一度、大きなため息をついた。サーベルの柄から手を放す。

「話くらいなら、してやってもいい」

「よし。ならば、そうだな、明後日は時間は取れるか? 何時でもいい」

「その日は巡回が午後からだ、午前中なら」

「よし」

 悧月は、いつぞやの和洋食堂を指定した。

「僕らはそこで待つ、逃げも隠れもしない」

「もしそこにいなかったら、薬師寺武雄殿に事情を聞きに行く。そのつもりでいろ」

「わかった。言うまでもないが、店には青服で来るなよ」

 悧月が釘を刺す。

 柊士郎は不機嫌そうに鼻を鳴らしてから、背を向けて立ち去って行った。


 森に鍵を返してから、二人は華族会館を出て、タクシーに乗り込んだ。

 花墨は運転手を気にしつつも、ささやく。

「あの人に『現場』を見られなくて、よかったですね」

 別館に忍び込んで金庫を開けているところを柊士郎に抑えられていたら、取引はできなかっただろう。

「本当だね」

 悧月は苦笑いした。

「にしても、勝手に場所と日にちを決めてごめん。叔父の家に彼を呼ぶわけにもいかないし、あとは君の休日がいいかと思って」

 運転手に会話が聞こえているだろうから、悧月も細かいところはぼかしている。まさか薬師寺家に憑捜が訪ねてくるところを近所の人に見られるわけにはいかないし、『カメリア』の定休日なら花墨が仕事を休まずに済む、と思って、とっさに場所と日にちを決めたのだった。

「ありがとうございます、別に休日の予定とかはないので大丈夫です」

ショール(それ)、どうする? 僕が預かってもいいし」

「いえ。私、持って帰ります」

 そう言って、花墨は軽く腕を上げて見せた。

「ん? ……うわっ」

 視線を落とした悧月は、ギョッとした。

 花墨の腰のあたりから、半透明の小さな手がスウッ……と伸び、ショールをしっかりと掴んでいる。星見だ。

「姫に関係があるものだからなのか、気になるみたい」

「そ、そうか」

 花墨は、『カメリア』の他の女給と長屋暮らしをしている。そこにショールを持ち込んで大丈夫なのか、悧月は一瞬迷った。霊感を持つ彼が触れた限りでは、ショールに何か危うい感じがするとか、そういったことはないのだが。

「そうだ!」

 悧月はひらめいた。

「花墨ちゃん、それを持って、今夜は僕の家に泊まったらいいよ!」

 運転手がバックミラー越しに、おっ、という視線を走らせた。

 花墨は驚いて聞き返す。

「え? 泊まるって?」

「え? あっ、いやそのっ、変な意味じゃなくて!」

「あ、私もその、そういうふうにとったわけでは」

 二人して口ごもる。

 微妙な沈黙が落ちた。運転手がチラチラと、二人を見ている。

 やがて。

「……夜遅くに伺うのは失礼なので、今日は帰ります」

「そっか、わかった! じゃあまた明後日」

 運転手が、バックミラーの中で残念そうにため息をついた。

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