★1をつける
私は、あまりためらわずに★1をつける。
その理由を話したい。
昔の話になる。
中学生の頃、同級生に漫画家を目指す友人がいた。
その友人は漫画を描き上げ、学校に持って来ては同級生に読ませ、感想を聞いていた。
当時、私の周囲では“漫画を描く”こと自体が珍しかったせいもあるが、驚いたことに、読んだ同級生は皆“すごいね”、“絵が上手だね”、“おもしろかった”、その感想以外言わなかった。
私も読んだが、投稿しても入賞する作品には思えなかった。
コマ割りが下手で話が急に展開する。手を抜いた絵も多い。読み終わっても何の話なのかよく分からなかった。
友人が本気で漫画家を目指しているのを知っていた。
だから、誉め言葉の感想しかない中、ためらいはしたが気になった点を伝えることにした。
けれど、漫画を描いたこともなく、改善点に言い換える術も知らない、悪い点を指摘するだけの私の感想は、自他ともにキツく聞こえた。
それからも友人は、同じような漫画を何作も描き上げ、同級生に読ませ続けた。
読んだ同級生は皆、相変わらず“すごいね”、“絵が上手だね”、“おもしろかった”としか言わない。
そんな中、私だけが悪い点を指摘する。
本音を言えば、皆の前で私に感想を求めないでほしかった。
友人の夢を応援していたが、一人だけ悪い点を指摘し続けることで、キツいことを平気で言う人間だと周囲に思われたくはなかった。
2年ほど経った時、その状況に、ついに私は心が折れた。
友人がまた新しい漫画を描き上げ、皆の前で私に感想を聞いた時。
“これは、話が面白いと思う”
悪い点を指摘することなく、私はそう答えた。
悪い点がなくなったわけじゃない。
相変わらすコマ割りが下手で話が急に展開したし、手抜きの絵もあった。
けれど、そんな中で話だけは、着眼点が変わっていてそこそこ面白かった。
悪い点を指摘せずに答えた、たった一言の感想だった。
友人は、その感想を聞いて、嬉しそうに笑った。
その日一日、友人は良いことがあったかのように終始笑顔だった。
一緒に歩いて帰る途中、笑顔の友人にふと聞いてみた。
“何かいいことあったの?”
友人は笑顔で答えた。
“初めて面白いって言ってもらえた”
その時の感情を、言葉にすることは難しい。
嘘をついたわけじゃない。
けれど、自分の保身で言った、良い点のみの一言の感想を、友人は心から喜んでいた。
漫画家を目指す友人へ、応援する友人が言うべき感想ではなかった。
だからといって、いまさら本当の感想を言う勇気など、私にはなかった。
自分の中で“友人に嘘をついた”と、認識された。
そのときのことを、かなり時間が経った今でも、しっかりと覚えている。
トゲが刺さったかのような、ひどくつらいわけじゃないけれど、嫌な思い出。
感想を求められると、その時の感情を今も時折思い出す。
相手が真剣であればあるほど、
感じたことをありのままに伝えたいと、心から思う。
傷つけたいわけじゃない。
でも、言葉面の良い体裁を整えたありきたりな文章で、
感じたことは収まり切れない。
改善点に言い換える術を知った今でもなお、
心が感じたことを、言語化するのは、本当に難しい。
だから。
私は、心を動かされなければ、評価ポイントは、付けない。
そう決めた。
そして。
心が動いたら、どれくらい心が動いたか、自問自答する。
心が動いたら★1を。
とても心が動いたら★2を。
すごく心が動いたら★3を。
心が揺さぶられたら★4を。
激しく心が揺さぶられたら★5をつける。
私がどう感じたか、率直な感想を、相手に伝えたいから。
その行動で、不快にさせたらのなら、ごめんなさい。
でも、私の心の動きは、私だけが決めるもの。
率直な感想を、もう偽りたくないのです。
言葉で感想を伝えるのが得意ではないので、
“この作品を作って読ませてくれてありがとう”という想いとともに。
★1をつける。
遠慮のないポイント評価、心のままにお願いします。