5:目出度し、愛でたし
少女は少年を待っていた。
年の頃は十二、三か。少年の齢に合わせて選んだ姿は愛らしく、茜色のリボンとワンピースがよく似合っていた。
身に纏う布の感触は不愉快だったけど、人の形でそれを脱ぐのはよろしくないと教わったので、じっと我慢して待っていた。
「アカネ! アカネ!」
少年が、少女を呼ぶ。
「ヨシアキ!」
アカネは満面の笑みを浮かべ、ヨシアキに駆け寄って飛びついた。耳と尻尾が飛び出したが、ヨシアキは気に留めることもなくアカネの体を抱きしめた。
あの日から、暴漢が学校に来ることは二度と無かった。
しばらく病欠するとの簡単な連絡があって、それっきり。
この街で彼の名を口にする者は誰もいなくなった。
今まで臍を噛んでいた担任教師は、悲願の生徒指導を行った。妻子ある大の大人が人前で涙を流して、能昭に何度も何度も頭を下げた。
厭々ながら暴君に従っていた級友たちもまた、涙と手汗に塗れた有りっ丈の小遣いを差し出して、能昭に慈悲を乞うた。
哀れなほどに卑怯で、悲しいまでに無力な咎人たちを、能昭は許した。
勿論、思うところが無いでは無かった。彼らは分かった上で長いものに巻かれることを選んだのであり、心を痛めこそすれ反省も後悔も無く、似たようなことがあればまた似たようなことをするだろう。
それでも、狐の威を借りた身で彼らを殊更に責めるのは、天地に恥じると感じたのだ。
アカネが思い切り抱きついても、ヨシアキはもう顔を痛そうに歪めることはなかった。
一人と一匹は縁側に並んで腰かけ、稲荷寿司を頬張る。
勢い任せに呑み込んでしまった御馳走が喉につっかえて、こんこんと咳き込むアカネ。ヨシアキは飲みかけのお茶を差し出しながら、優しく背中を撫ぜてやる。
布に隔てられた感触に憤ったのか、アカネはヨシアキの手を取って頭へと誘った。
ヨシアキが頭を撫でる。アカネが目を細め、その手に擦り寄る。
ふたりが微笑みを交わす。
しゃん、と。
小さく錫杖が鳴った。
ぬくもりを分け合うふたりの傍らから、お供えのように取り分けられていた稲荷寿司が一つ、御馳走様と書かれた葉っぱと掏り変わる。
「これは、私のお稲荷さんですね。有難や勿体なや」
片合掌した尼僧は、はぐ、と稲荷寿司を咥えると、大事そうに胸元の玄翁を掻き抱きながら、夕暮れ迫る神宮寺を何処へともなく後にした。
(完)