1:子狐は少年を待っていた
子狐は少年を待っていた。
山中浅くも人気のない、打ち捨てられた神宮寺である。
物心ついた時、すでに母の無かった子狐には、ボロボロなのに不思議と雨の漏らぬ屋根と、少年だけが寄る辺であった。
「アカネ、アカネ!」
少年の声が聞こえると、子狐は一声鳴いて拝殿の壁の破れ目から外へ飛び出した。
アカギツネだし、雌なので、アカネ。
らしい。子狐にはよく分からないが、その言葉の響きは子狐の寂しさを満たしてくれた。
尻尾を振ってじゃれかかると、少年は微笑んで、取り出した皿にドッグフードを盛ってくれる。
夢中でむしゃぶりつく。ろくに狩りのやり方も知らず、わずかばかりの虫を取って食うだけのひもじい生活の中で、これ以上に美味しいものを子狐は知らない。
少年に無防備に撫でられながら、腹いっぱいに御馳走を詰め込む、至福の時間。
誉められたことではない。狂犬病の予防接種も寄生虫の検査も受けさせず、ただ餌を与えて可愛がる…… 少年の行為は無責任と言われても仕方ないだろう。
だが、少年は余りに弱く、子狐にとっては知った事ではなかった。
夕暮れ時の短い間、一人と一匹はぬくもりを分け合った。
日が沈む前に山を下りていく少年を見送りながら……子狐は思い出していた。
少年の腿を攀じ登った時、少年の腹に顔を埋めた時、少年が痛そうに顔を顰めたことを。