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 昼前に、僕はブルデとアイセが住む村に着いた。村の建物は南部の温かい地域に住む、ガニ族の建物とは異なる、土と石で壁を作ったしっかりした建物で、屋根は丈夫な木材を加工して作った頑丈そうな板張りで、自分の住んでいた村とは全く異なる環境にある事がすぐに分かった。環境が異なる場所に来るのは、村を出て商業都市に流れ着いた時以来だが、都市と言うお互いの事を知らない人間達が行き交う、見てくれだけ大きくて非情な空間より、ここで無駄のない日々を過ごす方が、案外楽しいかもしれない。ここなら大丈夫と言う奇妙な自信が、小さく僕の胸に宿った。

 僕たち三人は、ブルデとアイセの家には直行せずに村長さんの家に向かった。村長さんは意外にも小柄な初老の女性で、ブルデの親戚だという。

「あなたがブルデの話していた、生真面目な模範囚ですか」

「はい」

 僕は静かに頷いた。模範囚と呼ばれた事は無かったが、ここで否定する気にはなれなかった。

「どんな過去と経歴を持ってこの村に来たのかは分かりませんが、けじめはつけたのですから先を見てください。村の男として日々があなたを待っていますから、それに忠実であるように。私からは以上です」

 棘も湿り気も感じない言葉に、僕は「はい」と答えた。僕は若くして「村の男」と言うつまらない肩書きを貰ったが、拒否するつもりは無かった。

 その後、僕はブルデとアイセの家に入った。元々は二人と両親を合わせた四人家族の家だったが、母は病死、父も後を追うように嵐の対応中に、風に飛ばされて死んでしまったという。そんな両親の思い出の詰まった部屋を、僕の為に貸してくれるという。

 自分が住む事になった部屋の紹介が終ると、僕は居間に通され遅めの昼食を取る事になった。メニューは温めたミルクとパン、それに干し肉。それで十分だった。

「俺が村を離れて監獄にぶち込まれたのは、何もかも失って嫌になったからなんだ」

 食事が半分まで進むとブルデは初めて自分が犯罪者になってしまった事を打ち明けた。

「デカい街に出て、その日暮らしで良いから楽しく自分の肩で風を切って歩ければいいと思っていたんだ。でも現実はそんな生活を許さなかった。店を潰した挙句に他の人間と喧嘩になってお互いに大けが、その手当を受けた後にお勤めと聞かされて、目が覚めたよ」

 ブルデは感傷的になっているのか、遠い目で概要を話した。自分の間違いを饒舌かつ微笑みながら話せる人間がいるとすれば、それは過去を矮小化し客観視する事が出来る人間か、精神異常者のどちらかだろう。隣に座るアイセも兄の過去の告白に付き合うのは初めての様で、その表情には思いつめた物があった。

「そのあとに、ダメもとでアイセに手紙を出したら、面会に来てくれてさ。〝ああ、俺はまだ見捨てられていないんだな〟って思ったよ。それがやり直す、真面目に生きる原動力になった」

 ブルデの言葉に僕は何も返す事が出来なかった。自分にも現在に至るまでの過去があったが、好きな人を失っただけで故郷を捨てた人間が、家族を失った悲しみを持つ人間の前で何か話していいようには思えなかった。

「お前にアイセと会えと言ったのは、獄中でも真面目にやっているお前に憐れみを抱いたからだ。誰かと会って話をすれば何か変わると思ったからな」

 僕は思わずアイセの事を見た。そして彼女と視線が合うと、お互いに気まずくなり視線をすぐにそらした。

「ありがとう」

「お前の過去は、またの機会に聞くよ。今日は移動で疲れただろうから、もう休め」

「うん」

 僕は頷き、残った食事をかきこんだ。



 次の日から僕の新しい生活が始まった。最初の仕事は、ブルデとアイセが飼っている鶏の世話だった。てっきり羊や牛の相手をするのかと思ったが、一緒にやり方を教えてくれるアイセ曰く、そうではないらしい。大きな鶏小屋の中から十数羽の鶏を広場に移し、空になった鶏小屋を掃除する。抜けた羽毛と糞を集めて専用の容器に入れて、一日一回の餌やりの為の餌を用意する。餌は各家庭で出た残飯に、野菜くずなど。それを備え付けのナイフで食べやすい大きさに刻んでやり、もみ殻と合わせて特性の一品を作る。清掃が終ったあと、小屋の中にある餌の容器にその特性の餌を入れてやると、鶏たちは待っていましたとばかりに小屋に自分から入って行き、餌にありつく。その光景は囚人のように個性が無かった。名前と個性をはぎ取られ、人為的に作られた摂理に従って生きる光景だ。

「この光景をみて、何か思う事があるの?」

 餌に食らいつく鶏を見ていた僕に、アイセが尋ねる。

「いや、ちょっと」

「監獄の事、思い出したの?」

 核心を突いたアイセの言葉に、僕は黙って頷くしかなかった。

「ごめん。あなたの事をよく考えないでここに呼んで」

「いや、良いんだ。否定できない過去だから」

 僕はアイセの言葉を遮った。彼女に曇った表情になって欲しくないのだ。すると、一羽の雌鶏がひときわ大きな鳴き声を上げた。何事かと思ってその鶏に視線を向けると、雌鶏は自分の下半身から茶色い卵を一つ生んだ。僕とアイセはその卵の元に立ち寄り、優しく手に取った。生みたての卵は心地よい温かさを持っており、その温もりに優しさと、ルカの乳房に初めて触れた時の感覚を呼び起こした。

「生まれたばかりの卵を持つのは、初めて?」

 アイセが卵を見つめながら僕に訊く。

「うん。初めて。俺の故郷は鶏を飼っていなかったから」

「割らずにそっと拾えるのは、あなたが優しい証拠だと思うよ」

 その時、僕の中で何かが始めた。具体的に何が弾けたのかは判らないが、昔ルカに自分の手を褒められた時と同じ感情が僕の中に沸き上がった。

「ありがとう。うれしいよ」

 僕はそれしか言えなかった。


 鶏小屋の仕事が終った後はブルデと共に、家の一部が損壊した老婆の家に向かった。修理は痛んだ屋根の補修と、壊れた棚の修理。仕事内容はブルデ一人でも可能だったが、助手が居ればすぐに終わるとの理由で僕も引っ張りだされた。

 全作業は二時間も経たずに終わった。引き上げようとすると、俺がしたいと老婆がブルデと僕にお茶と焼き菓子を出してくれた。

「あなたは初めて見る方ですが、どなたですか?」

 老婆は僕に向かって何者かと訊いてきた。そう言えば、まだ村の家々を回って自己紹介をするのを忘れていた。

「コウと言います。南部の村から来ました。昨日からブルデさんの家でお世話になっています」

 僕は自分の出身地と、ここに住む事にになった理由だけを話した。

「お一人で?」

「はい、両親や友人は故郷にいます」

 それだけ言うと、老婆は納得したように頷いた。

「これからこの村に住むのですね。よろしくお願い致します」

「はい。こちらこそよろしくお願い致します」

 僕が小さく頭を下げると、老婆はお茶のカップを持っていた僕の手に触れた。老婆の手は骨ばって冷たく、僕の手を懐かしむように指先で触れてくる。

「昔の夫みたいだわ。これから一生懸命に働く人の手よ」

「ありがとうございます」

 僕は恐縮しながら答えた。その困惑した僕の表情を、ブルデは側でクスクス笑いながら眺めていた。


 帰宅して夕食の時間になると、ブルデが先ほどの老婆の家での事を話した。テーブルには鶏小屋で拾った卵が目玉焼きにされ、僕の方に並べられていた。

「こいつ、これから一生懸命働く人間の手をしているだって」

「いいじゃない。褒められたんでしょ」

 ブルデの言葉にアイセは微笑みながら答えると、こう続けた。

「私も鶏小屋でコウの手を褒めたのよ。初めてなのに生まれた卵を優しく拾う事が出来た手だから」

 その言葉を聞いて、ブルデは小さな笑い声を出した。

「働き者で優しい手か。最高だな」

 その言葉が、何かが弾けてバラバラになったままだった僕の心を急に溶かした。バラバラになり解けた物は、涙となって僕の目元に溢れて来た。僕は蹲り、テーブルに顔を押し付けるようにしてすすり泣いた。

「どうしたの?」

 異変に気付いたアイセが僕に訊く。

「昔の事を思い出したんだ。自分の手を〝働き者の手〟だって褒めてくれた人の事を、初めて好きになった人の事を」

 僕は涙を漏らした理由を自分の口から語った。それと同時にルカの記憶と今までの記憶が僕の中を濁流の様に駆け巡る。

「俺の手を褒めてくれた人は、トロワニの儀式の後に俺の目の前から突然いなくなったんだ。その人を失った苦しさと寂しさが嫌で、俺は故郷を出た。そして街に流れて犯罪者になって、懲役の後ここに来た」

 僕は一呼吸置き、さらに続ける。

「一度褒められたあと、俺の手は人を不幸にする手になった。もう二度と誰かから褒められる事なんて無いだろうと思っていた。でもまた褒めてくれる人がいた」

 僕はそれ以上言葉に出来なかった。嬉しさでも悲しみでもない、感情の濁流にじっとその身で耐える事しか出来なかった。するとアイセは固く握り締めていた僕の手にそっと触れて、力を抜くように諭してくれた。

「そんな事があったんだな」

 ブルデは僕に優しく声をかけてくれた。少し余裕が出来た僕は顔を上げた。

「じゃあ、これからその人に褒められた手を持つ人間にならないとな」

 ブルデの言葉に僕は小さく頷いた。

 

 夕食の後、僕は自分の部屋に戻った。ベッドの上で仰向けになり、ろうそくの灯りに照らされた自分の手を見ていると、同じ自分の手であってもそれまでの自分の手の様に思えなかった。

「コウ、寝てた?」

 扉の向こうでアイセが訊いた。

「いいや、起きていた」

「入ってもいい?」

「いいよ」

 僕が答えると、アイセは中に入って来た。

「もう大丈夫?」

「大丈夫だよ。突然泣き出したりしてごめん」

 僕が起き上がると、アイセは僕のベッドに腰掛けた。彼女の温もりと息遣いが、僕のすぐ近くではっきりと感じられる。

「ずっと、辛い環境に耐えていたんだね」

「ああ、ずっとつらい環境に耐えていた。本当の一人前になる為にずっと冷たい川の流れに耐えていたような気がする」

「トロワニの儀式だっけ、それがずっと続いていたの?」

 アイセはそう呟いて、僕の肩に頭を乗せて来た。

「ああ、ずっと続いていたんだ。目に見えないトロワニの儀式が」

 僕はそう答え、アイセの事を見た。アイセと目が合うと、僕とアイセはお互いの額を合わせた。

「それも今日で終わったよ。俺はこれから本当の一人前の人間として、これから歩いて行ける気がする。好きになったルカの為にも、アイセの為にも皆の為にも一人前の人間として生きて行く」

「そう。良かった」

 アイセは優しく答えてくれた。故郷は違う場所で、僕は本当にトロワニの儀式を終えて一人前の人間になったのだった。




 以上が異世界の取材で知りえた面白い話の全体である。通過儀礼を経て一人前になるというのは、世俗化した私達の世界でも見られなくなった。だがその通過儀礼によって人生の道を誤り、またやり直す物語があると思うと興味深い。

 よく我々が異世界に転生したり転移するのは、一説によると現実世界からの逃避があるとされる。だが初めから異世界に住んでいる人間は、元の世界の記憶を引き継いで別世界に移り住む事など行わないから、目の前に降りかかる苦難や試練を自分で乗り越えるしかない。この世界に住む我々も、逃げる事よりもまずどう対処すべきか、一度考えて、行動してみてはどうだろうか。と私は考える次第である。


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