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 僕の獄中生活において最初で最後の面会が終わり、月日が流れた。ブルデは僕よりも少し先に出所し、残された僕は後からやってくる自分の出所に備えて、日々の刑務作業をこなした。ブルデの様に、小さな冗談を言い合ったりする相手が居れば少しは気持ちも紛れただろうが、今の僕にそんな仲間は居なかった。以前に付けていた一日の振り返り記録も止めてしまった。新しい気持ちが抱けないくらい、僕には何も無かった。

 そして出所当日、僕は収監時に来ていた服に袖を通し、預けた手荷物と刑務作業の対価として出所時に得られるわずかばかりのお金を受け取った。晴れて僕は前科持ちの一般人になった。

 久々に自分の服を着て外に出ると、今までよりも自分の目に映る景色が輝いているように見えた。だが美しく見えるのも今のうちだけで、一週間も経てば輝きを失い鬱々とした光景になってしまうだろう。何もないという事は、人間から慈しみや思いやりの心さえ奪ってしまう。

 監獄の正門を抜けて、僕は東の道路に向かって歩き始めた。その道を選んだ理由は、最初に見えた大きな道路だったからだ。ここから東方に向かっても面白い物は存在しないと、諦めかけていると、道路上に男と女が立っているのが見えた。誰だろうと思って目を凝らすと、それは先に出所したブルデと妹のアイセだった。

「よう、元気だったか」

 朗らかな声でブルデは僕に声を掛けた。

「何か用?妹さんも一緒に」

 僕がブルデに質問すると、ブルデはこう続ける。

「お前、ここを出たら行くところが無いんだろ」

「まあ」

 曖昧な返事を返すと、今度はアイセが僕の顔を覗き込みながらこう言った。

「行くところが無いなら、私達の故郷に来てもらおうと思って」

 思いがけないアイセの言葉に僕は戸惑った。

「でも、良いのかい。俺みたいなよそ者が行っても」

「大丈夫よ。とりあえずこの先の街まで行ってまた考えるのもいいし。私達はこの先の船着き場まで行くから。良かったら来なさいよ。一緒に」

 アイセに迫られると、僕はこの提案を受けるのも悪くはないなと思った。



 それから僕達三人は道路を進み、川岸にある小さな船着き場のある集落に着いた。ブルデとアイカの故郷は、ここから川を行く連絡船にのって一日の距離にあるらしい。そんな離れてお金のかかる距離を、アイセは収監されている兄に会う為に移動しているのかと思うと、僕は肉親を思いやる強さに心を打たれた。

「船に乗った後、そこからさらに一日北に歩いて着くのが、私達の故郷よ」

「いいのかい、僕みたいな人間がそこに行っても」

 上機嫌に説明するアイカに僕は質問した。

「大丈夫だよ。俺らの住む村は人口が少なくて、若い男に飢えているんだ。多少経歴に不備があったり、脛に傷のある人間でも、真面目にやってくれるなら歓迎するよ」

 ブルデは僕を迎え入れてくれる理由をそう語った。僕は自分が周囲から見捨てられてはいないのだと胸が熱くなり、その後自分の瞳に涙が浮かぶのが分かった。

「泣くなよ。湿っぽい事をする為にお前を迎え入れる訳じゃないんだから」

 僕は涙を拭いながら無言で頷いた。

 やがて川を航行する連絡船がやって来た。目的地までの運賃は、僕が監獄で刑務作業の対価として得た金額とほぼ同じ。船内の行商人から果物の一つでも買えば、一文無しになってしまう。

「船を降りたら、俺は全財産が無くなってしまうよ」

「それなら、俺らの村で働いて稼げばいい。やる事は前に居た場所と同じさ」

 ブルデは冗談交じりに僕へ返した。住む場所とするべき事があるのは、何物にも代えられない大切な財産であるような気がした。

 連絡船は積み込む荷物の間違いや不手際により、予定よりも大幅に遅れて船着き場を出た。僕たち三人は一番安い料金で乗船した客が乗り込む雑魚寝の船室に入り、腰を下ろして目的地までの到着を待った。

 船室には様々な人間がいた。行商人も居れば、家族連れに一人の老人も居る。若い人間だけでこの船室に居るのは僕達だけのようだった。

「コウの故郷は何処にあるの?言葉の訛りとかで南の人っぽいけれど」

 不意にアイセが僕に質問する。僕は戸惑いを覚えたが、今までの自分を総括する意味で語る事にした。

「大陸南部に住むガニ族の生まれなんだ。故郷を離れたのは十五歳になってから」

「他の民族とあまり交流せずに、自分達の文化と生活を続けている人達ね。王都から持ち込まれた百科事典の本に書いてあったわ」

 僕はアイセの言葉に「ああ」と漏らした。彼女の言葉にあった〝他の民族とあまり交流せず、自分達の文化と生活を続けている〟と言う部分に、自分の故郷が閉鎖的で異質な場所として見られているのが気になった。故郷を捨ててまだ三年しか経っていないが、新しい価値観や思考、生活習慣でもたらされた経験は、僕に故郷と言う存在を始めて客観的に認識させた。

「何か、独自の催しとか儀式はあるの?」

 今度はブルデが質問した。考えてみれば、お互いの事を色々語る機会と言うのは今回が初めてだ。僕は記憶の引き出しの中から故郷の語れる部分は無いだろうかと考えたが、思いついたのは「トロワニの儀式」の事だった。

「俺の村では、トロワニの儀式って言うのがあって、十二歳で一人前と見做されるんだ」

 僕はトロワニの儀式について語るのに少し抵抗があったが、概要だけ語れば大丈夫なような気がして二人に説明する事にした。

「十二歳で?早いな」

「身体が大人になろうとするからでしょ」

 ブルデの言葉にアイセが続けた。

「そう。元々は世界を作った神々に、自分達が一人の人間として世界で生きて行ける事を証明する為に、夜に川に浸かるんだ」

「冷たくないの?」

「服を着ないで川に入るからかなり冷たいよ。夜で足元も見えにくいしね」

 僕の話したトロワニの儀式の概要に、アイセは少し驚いた様子だった。

「服を着ないで川に入るの?十二歳の人間が?」

「そう。男も女も服を着ないでね。身体には獣の脂と赤土で作った顔料を身体に塗るんだ。そして川に浸かって、誓いの言葉を唱えながら耐えるんだ。まあ、我慢できる能力を身に付ける通過儀礼だね」

 僕はトロワニの儀式の目的と役割を語った。羞恥に耐えて我慢する能力を身に付けるという事は、生きてゆくのに必要不可欠な能力であると、ブルデとアイセなら理解してくれるだろう。

「裸になるのは、恥ずかしくないの?女の子の身体とか見て何も思わない?」

 アイセが掘り下げるように質問する。〝女の子の身体〟という言葉が記憶の奥にしまっていたルカの事を呼び起こすが、以前よりも激しい感情を抱かせる事は無かった。

「何も思わないというか、普通にしていたよ。通過儀礼で臆病になっても仕方ないから」

 僕が事実を元にした返事をすると、アイセは自分の知らない世界があるのだと少し驚いた様子で頷いた。ブルデもそれ以上トロワニの儀式の事を聞く意欲がなくなったのか、萎縮したように黙ってしまった。

「それより、これから向かう二人の故郷について教えてくれよ」

 気分と話題を切り替えるつもりで、今度は僕が質問した。



 目的の港には夜も明けぬ次の日の早朝に着いた。まだ寝ている乗客達も居たが、今の時間に降りれば、昼前には二人の故郷に着くらしい。僕は思い瞼を開けて他の乗客を起こさないように慎重になりながら、二人と共に靄の立ち込める船着き場に降りた。

 船着き場には僕たちと同じような乗客が数人、船を降りていた。見張りについていた船員に感謝の言葉を述べて、ブルデとアイセと一緒に目的地まで歩く。暗闇と靄に隠れているが、自分が何も知らない土地に降り立っているという実感は、一歩一歩踏みしめるたびに伝わって来た。

 やがて東の方から太陽の光が差し込んでくる。明かりと共に周囲の様子が分かるようになると、どうやら僕は平野部を歩いているらしい。地面の近くを漂っている靄が太陽に照らされ、次第に消えて行く光景は見ていて壮観だった。

「綺麗な光景だね」

 僕は地平線を見ながら呟いた。進行方向に視線を移すと、目指す方向には山が幾つかあるようだった。

「今の季節はね。先に見える山の手前に私達の村があるわ」

 答えてくれたのはアイセだった。僕はどういう訳だか嬉しい気分になった。



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