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それから三年後、僕は村を出たいと両親や友人に直談判して村を出た。理由はルカを失った喪失感がいつまでもどこかに残り続けていて、彼女の事が頭から離れない事、もう一つは村の伝統を守って生活を続けていても、何の変化も無くただ年齢を重ねて寿命を減らしていくような人生しか歩まないような気がしたからだ。母や友人の一部は僕が故郷を離れる事に難色を示したが、僕の決意は変わらなかった。
村を出て北へ三日間歩き続けると、南部で一番大きな商業都市に着いた。街では様々な人や物が行き交い、地面には動物の糞や残飯、ゴミなどが散乱しており、辺境の村で育った僕を驚かせた。僕は何か働き手が無いか色々声を掛けたが、辺境の村で育ち、言葉に独特の訛りがある若者など、まともに雇ってくれる仕事は無かった。
その中でも唯一得られたのが、地元の若者グループの一員になっての借金の取り立てや脅迫の手伝いの仕事だった。野良仕事や狩りの手伝いでそれなりに腕力はあったので、反撃されても撃退するのに苦労は無かった。犯罪組織の手伝いで非合法の品物を運んだりするときなどは臨時で収入が増えた。ルカに働き者の掌と褒められた僕の掌は、いつの間にか悪事に手を染め誰かを悲しませる掌に変化して、ルカとの青い記憶を隅の方へと追いやっていた。
そう言う危険な生活を過ごすようになって、最初の冬を迎える日の午前中、僕は仲間のコルニから臨時の仕事があると誘いを受けた。その日は擦れた銀色の雲が空を覆いつくす憂鬱な気分になる日で、温かい地方に育った僕には寒さが堪える日だった。
「臨時の仕事って何だよ」
僕は以前よりはるかに粗暴になった口調で、コルニに訊いた。コルニはこの商業都市からはるかに西方の乾燥地帯出身の人間で、両親は売られてきた奴隷だった。
「女郎街の裏に、北方人のやっている薬店があるだろ。あそこに行く」
「行って何をするんだ?」
「俺の仲間と尊敬する人を侮辱した。それ相応の報いを与えるのさ。お前も手伝ってくれれば、手伝った分の報酬は手にはいるぜ」
コルニはそう答えた後、隠し持っていた棍棒を僕に見せた。侮辱したという難癖をつけて強盗に入るのだ。僕自身は商店に強盗に入るのは初めてだったが、様々な悪事に手を染めて来た経験が躊躇する心を抱かせなかった。
「いいぜ」
僕はそう答えて、コルニと共に目的の商店に向かった。途中女郎街のメインストリートを抜けると、芝居がかった女の喘ぎ声と、人間の肉体から湧き出る様々な分泌物の匂いが僕の鼻を打った。女郎街で働く女たちは出身も年齢も様々で、何か嫌な人間の欲望が集まっているような気がした。
メインストリートから裏通りに入ると、今度はまた別の顔が現れた。開け放たれた店の扉の向こうには上半身裸の女が座り、口をつぐんで感情を押し殺した眼差しで僕の事を見つめている。肌の色も乳房の大きさも形も様々な女たちが無言で店先に並ぶ姿は、
僕の心に邪な気持ちよりも得体の知れない不安を抱かせた。さらに進むと、先の方で若い女の喘ぎ声が聞こえて来た。通り際にその声の聞こえた店を覗き込むと、毛深く赤黒い肌をした猛獣のような男が、僕と大差ない年齢の女に覆いかぶさり、自らの性器を女の股に押し込んでいる。男の表情は喜びよりも弱いものに暴力をふるう時の快楽を味わっているような笑みに満ちており、女の顔はその苦痛に耐えている表情だった。男は女をもっと味わいたいのか、石の付いた棍棒のように太くごつごつした手で、女の豊かな乳房を握りつぶすように揉みしだいている。それが女には苦痛なのだろうか、先程よりも少し表情を歪ませて、早く終わって欲しいと願っているように見えた。
「おい、見とれるな」
コルニが声を掛けたので、僕は合わってその後を追った。すると、進行方向に男と女の行為に見とれていた僕を眺めていたらしい、四歳くらいの女の子と視線が合った。この女郎街で生活している女の子だろうか。男と女が交わる光景を見るのは彼女にとって普通の光景だろうが、その光景に見とれている人間は彼女にどう映るだろうか。
「女が欲しけりゃ、仕事をきちっと終わらせてからにしようぜ。中途半端な事はよくないぜ」
コルニはこれから悪事を働くのに真っ当な言葉を述べた。その奇妙な矛盾と先程の光景が、記憶の隅に追いやった筈のルカの事を呼び起こさせた。本物のトロワニの儀式の前に、自分達の姿をさらけ出して二人だけで行ったトロワニの儀式。男は働き者の掌を持ち、女は抱きしめて育てる為の乳房を持っている。子どもを授かるには性器の結合が必要だったが、その為には目に見えない優しい部分で繋がる必要がある。その事を思い出すと、僕は自分が酷い生活環境に居て、優しさとは無縁の行為を行っている事をようやく自覚した。
その自覚が僕の平穏だった心を乱し、得体の知れない恐怖で揺さぶるのが分かったが、僕とコルニは目的の薬店の前までやってきてしまった。
「俺が突っ込むから、お前は店の客や女房が騒がないように援護しろ。いくぞ」
コルニは勝手に僕に言い捨てると、隠していた棍棒を取り出して店に突撃した。子どもの頃に聞かされた、勇ましい戦士のような動作。だがその目的や動機は勇気から生まれたものではなく、他人の財産を奪い取る悪意と暴力に由来する動作だった。
コルニは店のドアを開き、大声を出しながら金を出すように言った。店内に居た北方出身の店主は少し驚いたが、棍棒を持ったコルニに怯えてはいなかった。
「おい、店を荒らされたくなければ、言うことを聞け!」
コルニは店主に向かって叫んだが、店主は動じなかった。店主が取り乱さない事を不思議に思ったコルニが店の奥を覗き込むと、奥の住居に繋がっている通路から、太った店主の女房らしい女性が、両手にクロスボウを持って現れた。その存在にコルニが驚いた瞬間、クロスボウの矢は放たれてコルニの胸を貫いた。コルニは何が起こったのか理解できないまま自分の胸に刺さった矢を見た後、そのまま気を失って前のめりに倒れた。
「奴隷の若造が、調子に乗って」
店主が吐き捨てるように言うと、怖くなった僕は慌ててその場を逃げ出した。
「仲間が逃げたぞ!」
逃げ出した僕に気付いた店主が叫んだ。僕は走って来た道を戻ったが、裏通りに通じる女郎街の用心棒に気付かれて、首根っこを掴まれて捉えられてしまった。
「何をしたんだ。お前」
用心棒は僕に質問したが、僕は答えず暴れて逃げようとした。その瞬間、用心棒の拳が僕の鳩尾に飛び込んできて、目の前が真っ暗になった。視界から次第に色が消えてゆくと、遠くで店主と用心棒が強盗にあったという趣旨の会話しているのが聞こえた。