市街戦
「はあっ……、はあっ……!」
「逃がすな! なんとしても捕らえろ!」
人気のない裏路地を、一人の少女が駆けていた。その後を、兵士たちが追いかける。入り組んだ路地を次々と曲がる少女を兵士たちはなかなか捕まえられず、やがてその姿を見失ってしまう。
「伝えなきゃ……誰かに、伝えなきゃ――!」
物陰に身を潜め、息を整えながら少女は呟くのだった。
「通せ」
「ダメだ」
「なぜだ」
「亜人を入れるわけにはいかん」
中央都市。人間の王国であり、世界の中心とも呼ばれる場所。その正門にて、セーラはため息を吐きながら押し問答を繰り広げるアルフレッドと衛兵を眺めていた。
早朝、悪霊の沼地を出て森を抜け、街道を通り、予定通り昼頃に中央都市に着いたものの、検問の際にナトラが蜘蛛人であることが露見し、この有様である。
「以前はそのような理由で入国を断られることはなかったはずですが?」
「国の方針が変わったのだ。今後、人間以外の種族を入国させることはない。ここの冒険者ギルドに登録している人間でない冒険者も順次国を出てもらうことになっている」
「約束が違うな。種族による差別のない国にするという取り決めだったはずだ。約束を違えるのは使徒として許せん」
「『使徒』? この街の使徒は全員東へ向かっているはずだが……」
「俺の名はアルフレッド・ヴェノマイザー。ここのギルドより依頼を受けて南方からやって来た。紹介状もある」
すると、その言葉を聞いて衛兵の態度が一変した。
「アルフレッド・ヴェノマイザー…………失礼しました。そうとは知らず、とんだ無礼を……ですが、たとえイニシエーターであろうとも通すわけにはまいりません」
打って変わって丁寧な物腰になった衛兵だが、それでも先を行かせるつもりはないらしい。そのことについてアルフレッドが「なぜだ」と返し、また押し問答が始まるかと思われたその時、別の衛兵が声を上げた。
「通さんと言ったら通さん! おまえのような怪しい男が使徒だと? 信じられるか!」
「おい、口を慎め! 失礼だぞ!」
「ふん! この都市は人間のものだ。人間以外の存在は認めん! 獣臭い獣人や気味の悪い蜘蛛人など入れてなるものか!」
人は誰しも、絶対に許すことのできない一線というものが存在する。
個々の価値観によって色々違いはあるが、たとえばある男は過去の経験から「家族」というものに強い憧れと執着をもち、自分についていくことを誓った仲間を『家族』として大切にしていた。「彼」にとって家族への侮辱は万死に値する行いであり、もしそのような輩がいたら、普段の温厚で物静かな姿からは想像もつかないほどの苛烈な怒りが向けられることは間違いないだろう。
つまり、それは禁句だった。
何かが破裂する音がした。誰もはっきり捉えることはできなかったが、それはアルフレッドが衛兵の頭を掴んで地面に叩きつけた音である。言うまでもないことだが、即死だった。
「……一つ、聞きたいことがあるのだが」
今起こった出来事に理解が追いついていない様子の他の衛兵に向けてアルフレッドが声を発する。その口元からは目に見えるほどのどす黒い毒が漏れ出し、巻かれた抗毒布を黒く染め上げていた。
「人間以外の存在を認めぬというのなら、なぜ『悪魔』がここの衛兵をしている」
「はあっ……! はあっ……! ダメ、ここも見張られてる……!」
息せき切って駆ける少女。しかし、表通りに出る道はすべて兵士によって監視されており、このままでは捕まるのは時間の問題と思われた。
「どうしよう、このままじゃ……!」
「そこのお嬢ちゃん。そんなに急いでどうしたんだい?」
近くの家から男が少女に声をかけてきた。少女は少しためらったが、意を決して男に助けを求めた。
「助けてください! 追われてるんです!」
「なんだって……? ……ひとまず、入りなさい」
「ありがとうございます!」
男に招かれ、家に入る。少女が落ち着くのを待ってから、男が口を開いた。
「それで、なんだってお嬢ちゃんは追われてるんだい?」
「実は……わたし、見てしまったんです」
「なにをだい?」
「最近、この都市から亜人の方たちを追い出そうとする動きがあるのは知っていますか?」
「知ってるよ。なんでも、王の意向だとか」
「実は――あの王様は偽物だったんです! 亜人排斥に反対したわたしの家族は真ん中のお姉様以外みんな捕まってしまい、わたしも牢屋に入れられたのですが、そこにはなんと、王様がいたんです! そこで、今回のことはこの都市を支配するために悪魔が仕組んだことだと聞かされました。そのあと、秘密の抜け道からわたしだけ逃がしてもらって、誰かにこのことを伝えるために逃げ回っていたんです。お願いします! 信じられないでしょうが、どうかみんなにこの話を伝えてください!」
「いや、信じるよ。それより、他にこのことを知っている人はいるのかい?」
「いえ、いません。ただ一人捕まらなかった真ん中のお姉様は南方の街にいて、このことについてはなにも知らないんです」
「……そうか。それはよかった」
「え……?」
「つまり、こういうことさ」
男が正体を現す。黒い翼、頭から生えた二本の角、そして尻尾。男もまた、悪魔だったのだ。
「そ、そんな……!」
「手こずらせてくれたな。計画を知る者を生かしてはおかん。ここで死んでもらう」
悪魔が手を延ばす。その手には鋭い爪が生え、振るわれれば少女の命は容易く刈り取られるだろう。
「い、いやあ……誰か、誰か……!」
「無駄だ。おとなしく死ね」
その時、背後で戸が開いた。そこには、全身黒ずくめの十五、六歳くらいの少女――少なくとも少女にはそうとしか見えなかった――が立っていた。
「何だ貴様――」
「お前はどうでもいい」
悪魔の首が飛んだ。見ていた少女も、悪魔自身も、あまりの早業に何が起きたか理解できなかった。遅れて、頭部を失った悪魔の体が崩れ落ちる。少女の危機は、笑ってしまうほどあっけなく去ってしまった。
「メアリーだな」
「え、あ、え……?」
「俺はアルフレッド・ヴェノマイザー。お前の姉に、お前にもしものことがあったら守ってくれと頼まれた」
そしてアルフレッドは、無表情で淡々とそう告げるのだった。
「なぜ……なぜ、我らの正体が見破られた!?」
「この眼を欺くことはできん。それよりも、二人を侮辱したことは許さん」
抗毒布を外し、アルフレッドが衛兵たちの前に立つ。黒い霧のような毒を撒き散らすその姿は、一種異様な雰囲気を纏っていた。
「くっ、愚か者めが……! もしアルフレッド・ヴェノマイザーという『使徒』が来たら決して下手な真似はするなと命じられていたというのに……! 撤退を……いや、かくなる上は、少しでもこの都市に損害を与えるほかあるまい!」
衛兵に化けていた悪魔たちは次々に正体を現すと、都市へと踵を返した。もっとも、既に手遅れだったのだが。
「逃がさん」
「ぐ、がアっ……!」
悪魔たちは都市に入る前に苦しみだし、全員その場に倒れてしまった。
「あ、アルフレッドさん、今のは……?」
「<屈服毒>だ。見ていればわかる」
そうこうしているうちに悪魔たちは苦しむのを止め、立ち上がってきた。しかし、様子がおかしい。
「……命令を」
悪魔たちはみな意思の消えた瞳でアルフレッドの前に跪いた。<屈服毒>の効果――それは、抵抗に失敗した相手から意思を奪い、従わせるものであった。こうなってしまっては、アルフレッドの思うがままである。
アルフレッドは手近な悪魔から計画を聞き出した。それは、イニシエーターが不在の間に都市を乗っ取り、さらに亜人たちと人間との衝突を招いて戦争を引き起こすことだという。聞けば、東に現れた悪魔の軍勢も陽動のため、仕組まれたものなのだという。アルフレッドに依頼が届いていなければ、危うく中央都市が悪魔に支配されてしまうところだった。
尋問を終えたアルフレッドに、ナトラは感嘆しながら問うた。
「アルフレッド殿は魔蝕毒以外の毒も扱えるのですか?」
「いや、これも魔蝕毒だ。魔蝕毒は俺の意思によって効果も、影響を及ぼす対象も自由に選択できる。さっきは吐き出した霧状の魔蝕毒を悪魔たちに向かわせて吸い込ませた。制御にかなり体力を消耗するのが欠点だが」
そんなことを言いつつもアルフレッドに消耗は見られない。つくづく底の見えない人だ、とナトラは内心で呟いた。
「さて、お前たちに命令を与える。俺の仲間について、この都市に潜む悪魔を見つけ出して残らず殲滅しろ」
アルフレッドの命令に、悪魔たちは一斉に了承の意を示した。
「そういうわけで、俺は先に行くぞ。後は任せた」
「アルフレッドさん、行くってどこへ――」
セーラが言い終わる前に、アルフレッドは近くの家の屋根に跳び上がると、屋根から屋根へ跳び移りながらどこかへ行ってしまった。そんな彼を、セーラは言葉もなく見送るほかなかった。
「――そんなわけで、今俺の仲間たちがこの都市の悪魔を叩いて回っているところだ。心配はいらん。たとえ人間に化けていて、俺のような『眼』がなくとも他の悪魔が見分けてくれるからな」
「……えっと、つまり、大丈夫……ってことですか?」
「そうだ」
「よかった……! この都市は救われるんですね……!」
安堵した表情を見せるメアリーだったが、すぐに深刻な顔でアルフレッドに頭を下げた。
「お願いです! みんなを助けてください! 監獄に捕まっているんです!」
「わかった。案内を頼む」
「はい! 任せてください!」
そして、アルフレッドはメアリーを背に乗せて、監獄を目指し屋根から屋根へ飛び移る。道中、メアリーがいくつか質問を投げかけてきた。
「――あの、アルフレッド様はわたしのお姉様とは仲がよろしいのですか?」
「……お前の姉――マリーには恩がある。俺がまだ新人の冒険者だった頃、同じく新人の彼女にずいぶんと世話になったものだ。街の人間で俺が一番信頼しているのは間違いなく彼女だ」
「マリーお姉様も、よく手紙にアルフレッド様のことを書いていますよ。とっても強くて、とっても素敵で、最高の冒険者さんだって言ってました」
「……俺を見てもあまり驚かなかったのはそういうことか。俺が<探知毒>で熱源や魔力源を感知することも彼女は知っているからな」
言いながらアルフレッドが後方へ手投矢を投げ打った。それは通行人に命中し、死をもたらす。かと思えば、その体から角や尻尾が現れる。悪魔だった。
「見えてきました。あれが監獄です!」
二人の前方に、高くそびえ立つ石造りの壁が見えてきた。門同様、周囲を取り囲むこの壁によって監獄は鉄壁の要塞と化していた。
「どうしましょうアルフレッド様。このままじゃ入ることもできません……」
壁の前で途方に暮れるメアリーに、アルフレッドが声をかける。
「ふむ……いくらでも方法はあるが、手っ取り早い方がいいだろう。離れていろ」
「え? アルフレッド様、何を――」
轟音がした。アルフレッドが壁を粉砕した音である。それも何の道具も用いず、素手で。砕かれた壁には人が通れるくらいの穴が空いていた。
「入れたぞ」
呆気に取られるメアリーをよそに、何でもないことのようにアルフレッドはそう言い放つのだった。