使徒
「この先だ」
「……あの、見間違いでしょうか。わたしにはそこの看板に『悪霊の沼地』と書いてあるように見えるのですが……」
「そうだ。そこに俺の家がある」
「う、嘘だ……呪われた地に人が住めるはずが……!」
信じられないものを見たという顔でナトラが頭を抱えた。西の異変を解決するべく、中央都市からの依頼を受けたはいいものの、時刻はすでに夕暮れ。出発は明日ということになり、今日のところはアルフレッド宅で休息をとることになった。場所はもちろん「悪霊の沼地」。そこで、例の看板を見たナトラの反応が冒頭のものである。一日前のセーラのように、すべてが猛毒で構成されたこの場所に人が住むというのが信じられないのだろう。
「呪われた地?」
「ええ。我ら蜘蛛人の間では、かの地は元々ただの村だったのが、呪いによって変貌してしまったのだと言われています」
「……そうか。そんな話もあるのか」
「アルフレッド殿? どうかされましたか?」
「……いや、なんでもない。これを巻いておけ」
「なんですかこれは?」
「抗毒布だ。おまえとセーラは、それがないと死ぬ」
「死っ――!? やはり、噂通りの危険な場所ではないですか! それならそうと、なぜ事前に教えてくださらなかったのですか!?」
「教えようと教えなかろうと、どのみちここへやってくるのだから関係あるまい。それに教えたとして、おまえはその話を信じたのか?」
「うっ……そう言われますと、信じられない、と答えるほかありませんが……」
「なら別にいいだろう。早く行くぞ。このままここで問答していては日が暮れる」
そしてびくびくしながらナトラは一行について沼地を進んでいく。まるで何かを恐れているようなその姿に、セーラはどうしたのか聞いてみた。
「あの、ナトラさん。どうかしましたか……?」
「こ、ここには『沼地の悪霊』という得体の知れない恐ろしい存在がいるという噂があるのです……」
「それは俺だ」
「え? そうなのですか!? なぜそのような異名が……」
「街の者にどこに住んでいるのか聞かれて、答えたらそう呼ばれるようになった」
「……つまり、信じてもらえなかった、と」
「その解釈で間違っていませんよ。その呼び名にはアルフレッド様を揶揄する意味が込められています。当のアルフレッド様はまったく気になさっていませんが、聞いているわたしたちはあまりいい気分はしませんね」
苦い顔をしてレヴィアが話す。いつも余裕のある笑みを浮かべている彼女には珍しい姿だった。しかし、悪霊の沼地に住んでいるなどとても信じられることではないのはわかるとしても、だからといってアルフレッドが嘘吐き扱いされることはセーラとしても許せることではなかった。彼はパーティの仲間であり、彼女を助けてくれた恩人なのだ。彼女よりよほど付き合いの長いレヴィアならなおさら不愉快だろう。
ナトラも街の住人の態度を思い出したのか、不快感を顔に滲ませて黙り込んでしまった。だが、沼地の中心に到達したときにそんな思いはどこかへ飛んでいってしまったようで、一日前のセーラそっくりの反応を見せつつはしゃいでいた。礼儀正しい彼女だが、少女らしい部分もあるようだ。
こうして、一行はアルフレッド宅に戻ってきた。
「それでは、わたしはお夕飯の準備をいたしますね」
「ふむ、拙者も手伝いましょう」
「ティーダも手伝うよ!」
レヴィア、シグルム、ティーダの三名が台所に消える。セーラも手伝おうと三人の後を追いかけようとした時、アルフレッドとナトラの会話が耳に入った。
「まさかあの『悪霊の沼地』にこのような美しい場所が存在したとは……里のみんなが生きていたら、いい土産話になっていたことでしょう」
「仲が良かったのか」
「その通りです。父上や母上のみならず、みなわたしの家族のような存在でした」
「……家族、か」
アルフレッドがぼそりと呟いた。
「ならば、許すことはできんな」
もしかしたら、その時アルフレッドは怒っていたのかもしれない。
彼が背を向けていたために表情は見えなかったのだが、セーラはその言葉に微かな怒気を感じたような気がした。
夕食の後、明日へ向けて作戦会議が行われた。ギルドから馬車を借りているので、早朝に出発すれば昼頃には中央都市に着くだろうということだった。ちなみに、馬はあの看板の所に繋いである。この森で一晩放置していては、魔物に食べられたりするのでは、とセーラは思ったが、アルフレッドが周囲に毒を撒いておいたので平気だという。
直接西を目指さない理由としては、何かの陰謀の気配を感じ取ったとして、アルフレッドがこちらを優先すべきと判断したからである。ナトラも他人を自らの仇討ちに付き合わせようとしている自覚があるからか、その判断に口を挟むことはなかった。
「……初めて会った時からずっと気になっていたのですが、アルフレッド殿は何者なのですか? 中央都市はこの世界の中心にして、冒険者ギルドの本部がある場所。人づてではありますが、最高位の冒険者が複数在籍していると聞いたこともあります。いくら金の――第四位の冒険者とはいえ、そんな所から名指しで声がかかるなど、普通はありえないことなのでは? それに、たびたび話に挙がる『イニシエーター』とはなんなのですか? 詮索するなとおっしゃるならこれ以上は聞きませんが、どうか教えていただけませんか?」
が、疑問は止められないようで、ナトラが核心に触れた。
「……イニシエーターとは、使徒のことだ」
「使徒?」
「そうだ。神に選ばれた者のことをそう呼ぶ」
唐突に飛び出した「神」という単語にナトラは戸惑った様子で聞き返す。
「神、ですか?」
「そうだ。神は信じるか?」
「……はい。我々森に住む者はみな、原初のエルフ――エルフの祖先にあたるとされる方を森の守り神であるとして信仰しています」
「そいつもイニシエーターだ」
「な――――!」
六つの瞳を驚愕に染めて、ナトラは言葉を紡いだ。
「証拠は――」
「会ったことがある」
絶句する彼女に構わず、アルフレッドは話を続ける。
「この世界には、秩序の勢力と混沌の勢力の二つに分かれている。この二つの勢力のバランスが保てないと、この世界は崩壊してしまうそうだ。イニシエーターはそのバランスを保つために選ばれる。現在は七人だ」
「では、アルフレッド殿も……」
「俺もイニシエーターの一人だ。五年ほど前からな」
そして、アルフレッドはイニシエーターには共通する特徴がいくつかある、と続けた。
「まず、イニシエーターは基本的に不死だ。選ばれ、それを受け入れた時点で寿命はなくなる。加えて肉体も強化され、再生能力を得る。生半可な傷はすぐに再生し、致命傷を負っても時間が経てばいずれ直る」
「凄まじいですね……しかし、基本的に、とはどういうことですか?」
「イニシエーターが不死身なのはその者の魂と肉体が強く結びついているからだ。つまり、その者の意思が折れぬ限りは不死、と言い換えられるだろう」
「なるほど……では、ほかのみなさまもイニシエーターなのですか?」
「まさか。少なくとも拙者の実力ではアルフレッド殿や他の使徒の方々の足下にも及びますまい」
「ではなぜ、シグルム殿、レヴィア殿、ティーダ殿のお三方は毒対策もなしにこの場所で平気でいられるのですか?」
「それはわたしたちが『ファミリア』だからですよ」
レヴィアがお茶のおかわりを注ぎながら答えた。新たな単語にナトラは興味津々で質問する。
「そのファミリアというのは?」
「使徒の中には自らの従者などに力を分け与えることが可能な方もおりまして、力を与えられた者はファミリアと呼ばれ、不死性こそありませんが使徒に準ずる者となるのです。我々はアルフレッド様を主としてファミリアとなった身。よって毒などに耐性があるのです」
「そんな方までいるのですか……あれ? では、アルフレッド殿が抗毒布をつけているのはなぜなのですか?」
「アルフレッド様が抗毒布を身につけているのは、毒を吸い込まないためではなく、毒を出さないためなのですよ」
「毒を出す? どういうことですか?」
アルフレッドを振り返るナトラ。アルフレッドは膝に座ってきたティーダの頭を撫でてやりながら、「話の続きだが」と口を開いた。
「イニシエーターはその者を見出した神によって異なる力が与えられる。俺は毒神――毒の神に選ばれ、『魔蝕毒』という自然界に存在しない特殊な毒を与えられた。普段は完璧に制御できているが、怒りを感じた時などはこれの制御が乱れ、毒が漏れ出すことがあった。抗毒布を巻いているのはそれを防ぐためだ」
「……では、あの子鬼隊長を一瞬で倒したのは、もしや……」
「……ああ、あれはそんな名前だったか。一瞬だけ魔蝕毒を武器に発現させて切ってやった」
「たった、一撃で、ですか……」
話を聞き終えたナトラはアルフレッドの顔を見つめ、やがて静かに頭を下げた。
「改めてお願い申し上げます。わたしとともにゴブリンを討ち、故郷に平穏を」
レヴィア、シグルム、ティーダ、そしてセーラ。アルフレッドは仲間たちの顔を順番に見た。全員が一様に頷く。答えは既に決まっていた。
「わかった。その依頼、改めて俺たちが引き受けよう」
――「沼地の悪霊」アルフレッド・ヴェノマイザー。この事件をきっかけにその名が人々に知られることになるとは、このときは誰も考えていなかった。