少女の憂鬱
セーラは日課となった部屋の掃除をしながら、ため息をついた。
部屋といっても、自分の部屋ではない。ここは冒険者ギルドの運営する宿で、彼女のような新米冒険者は宿泊料金の一部が免除される仕組みになっていた。
「はあ……、今日も薬草集めですかね……」
この街に来て一ヶ月。
朝起きて部屋の掃除をして、ギルドに行って薬草探しの依頼を受けて、街の近くの森で薬草を採取して持ち帰り、報酬金をもらったら宿に戻って寝る。
毎日それの繰り返し。
もちろん、新米冒険者のすべてがそんな生活をしているわけではない。下水のネズミ退治やゴブリン退治など、様々な依頼をこなしながら金と実力を得て、彼らは上位の冒険者となる。もちろん、途中で挫折したり死んだりする者も多いが。
ではなぜ彼女が他の依頼に手を出さず、薬草集めばかりしているのかというと、それは彼女にパーティを組む仲間がいないからであった。
彼女は魔法使いなのだが、一般的な魔法使いと違い、魔法学園を卒業していなかった。
貧しい農村の孤児院の出身だった彼女は、孤児院のみんながなけなしのお金で買ってくれた、魔導書というにはあまりに粗末な本を必死に読み解き、血の滲むような努力の末に『点灯』と『魔力矢』の二つの魔法を修得した。『点灯』は明かりを灯す魔法で、『魔力矢』は魔力の矢が敵に向かって飛んでいく魔法である。
しかし、魔法学園の卒業生にとってこの二つの魔法は基礎中の基礎ともいうべき魔法であり、他の魔法使いはみな彼女より多彩で強力な魔法を修得していた。
そのため、彼女とパーティを組む者はなく、結果、このような生活になってしまったというわけだ。
冒険者ギルドに入ると、依頼の貼られた板の中から、薬草集めの依頼をとって受付まで持っていく。
「あ、セーラさん。おはようございます」
すっかり顔なじみとなった受付嬢、マリーがあいさつしてくる。長い茶髪がふわりと揺れた。
「おはようございますマリーさん。これ、お願いします」
「薬草集めですね。承りました。……あの、セーラさん」
「……これも、立派なお仕事ですから」
そう言って微笑み、背を向けて歩き出すセーラを、マリーは複雑な心境で見送るのだった。
「ふう……そろそろ日も暮れるでしょうし、今日はここまでにしましょうか」
薬草をポーチにしまい込み、そう呟くと、セーラは近くにあった切り株に腰を降ろした。羊の胃袋で作った水筒を取り出し、ごくごくと喉を鳴らして水を飲む。ぷはあ、と息を吐き出し、額に浮かんだ汗を拭う。透き通るような金髪が、木々のざわめきにあわせてさらさらと揺れた。
「……」
自分は何をしているのだろう。
ふと、そんな思いが頭をよぎった。
たくさんの人の役に立ちたくて、冒険者になった。
薬草集めだって、人の役に立つ。
しかし、魔物の出ない森の入り口で集めるのは、誰だってできることなのだ。冒険者であればもっと奥で、魔物と戦いながら、より貴重で効力の高いものを探すべきだ。
だが、セーラは自分がどんな魔物にも勝てないことを知っていた。
『点灯』は攻撃に用いる魔法ではない。唯一の攻撃手段である『魔力矢』は一度の戦闘で一回が限度で、それ以上は休息を必要とする。
訓練を積んだ魔法使いなら、弱い魔物であれば『魔力矢』一発で倒すこともできるだろう。
だが、セーラはまだその域になく、『魔力矢』を一度放ってしまえば、あとは非力な娘が残るだけ。
いや、それでもよかったのだ。彼女に仲間がいたのなら。
血の滲むような努力をした。しかしそれは無駄だった。
才能・金・時間。環境に恵まれた者たちの壁は、彼女には高すぎた。
じわりと、彼女の瞳に涙が浮かんだ。その時だった。
「おい」
「わひゃあっ!?」
突然、背後から声をかけられ、セーラは奇声を上げて切り株から飛び上がった。急いで振り返ると、全身黒ずくめの見慣れぬ男が立っていた。フードを被り、顔には包帯のようなものが巻かれ、ほとんど肌が露出していない。まるで暗殺者のようだった。
「……すまない。驚かせてしまったようだ」
「い、いえ。わたしの方こそ、変な声あげちゃってすみません」
男が頭を下げたので、セーラも慌てて頭を下げた。
「それで聞きたいんだが、ここで何をしている? ここはまだ安全だが、この森には魔物が出る。それに、近頃は人さらいも現れるそうだ。早く帰ったほうがいい」
怪しげな格好ではあったが、男は親切にそう忠告してくれた。
「ご忠告ありがとうございます。わたしは冒険者で、ここには薬草を取りに来たんです。ここでちょっと休憩してから、帰ろうと思っていたところです」
セーラがポーチから薬草を取り出して見せると、男は納得した様子だった。
「なるほど、冒険者だったか。いずれにせよ、気をつけて帰ることだ」
「……えっと、あなたは、街に向かうのではないのですか?」
「いや。俺は街で用事を終えて、これから帰るところだ」
「この先に行くんですか?」
「そうだ。俺の家はこの先にある」
「大丈夫なんですか? その、魔物とか……」
「ああ、問題はない」
顔が見えないのでわからないが、男の背丈はセーラより少し高いくらいで、声もちょうど声変わり前の少年のようだったので、セーラは男を自分と同じ十五歳くらいだろうと考えていた。それが、魔物が出る森を一人で平気だというので、驚いたのだろう。思わず男に尋ねていた。
「あなたも、冒険者なんですか?」
「そうだ」
一月の間、毎日ギルドには顔を出していたが、このような人物は見たことがない。おそらく、自分と同じ新米冒険者で、用事というのは冒険者登録のことだろう。ならば、まだパーティを組んでもいないはずだ。
そう思ったセーラは、思い切って男に言った。
「あ、あのっ! もしよろしければ、わたしとパーティを組んでいただけませんか?」
「おまえと? ……職業は?」
「ま、魔法使いです」
「使える魔法は?」
ごくりと、つばを飲み込む。震える声で、セーラは言った。
「ら、『点灯』と『魔力矢』が一回ずつです」
「……いいだろう」
「ほ、ほんとですか!?」
「ああ」
男は黒手袋に包まれた手で、セーラのポーチを指差すと、こう続けた。
「一人でそれだけ薬草を集めるとは、大したものだ。……おまえには、見込みがある」
「あ、ありがとうございます!」
「ああ。では、明日ギルドへ顔を出すから、それでいいか?」
「はい! よろしくお願いします! わたし、セーラといいます!」
「アルフレッドだ。では、また明日」
「はいっ!」
アルフレッドと別れ、街へ向かう街道を小走りに駆けながら、セーラは心の中で歓喜の声をあげていた。
ついに、ついにわたしとパーティを組んでくれる人が現れた!
しかも、「見込みがある」と褒めてくれた!
思えば、街に来てから一度も褒められたことなどなかった。毎日毎日、薬草取りをしていたのは幸運だった。薬草の生えていそうな場所を熟知していたおかげで、一人であれだけの薬草を集めることができたのだから。
宿に戻ったら、明日の準備をしよう。
折角、落ちこぼれの自分にもかかわらず、パーティを組んでくれる人物が現れたのだ。
幻滅されてパーティ解散なんて絶対にならないようにしなくては。
はやる気持ちをおさえ、街道を急ぐセーラ。
そして、街まであと少しというところで、彼女は誘拐された。