ゼヨン登場
翌日、朝から馬を走らせることしばらく。日差しが真上に差し掛かったあたりで、前方に街が見えてきた。
「見えてきました。あれが西の街です。大森林に面しているので、『森沿いの街』とも呼ばれています」
「わあ、大きな樹がたくさん見えます!」
「てっぺんからはどんな景色が見えるんだろう! ティーダ、登ってみたいなあ」
「それはまたの機会に。さて、どうやら今は検問の類いはないようですが、このままの格好では問題があるかと思いまする。如何いたしますかな?」
「ナトラさんの話を聞くに、あの街も何らかの工作によって亜人のみなさまを排斥しようとしているようですね」
「工作? あそこの住人は元から亜人を迫害している、というわけではないのですか?」
「いえ、アルフレッド様は何度か行商のためにあの街を訪れていますが、一度だけティーダを連れて行ったことがありました。しかし、街の住人に特に何かされたりはしませんでしたね」
「そうなのですか……。というか、行商? アルフレッド殿は行商人でもあるのですか?」
意外な単語に、ナトラは思わず質問を返した。
「そうだ。俺の本職は薬師だ。冒険者はジークの奴に半ば無理やり登録させられてな。薬の材料集めになるから悪いとは思っていないが」
「本職でないのに金等級とは、凄いですね……」
「……あの、一つ思いついたんですけれど」
セーラがおずおずと手を挙げた。視線が集まる。少し緊張しながら、彼女は頭に浮かんだ考えを話した。
「……ふむ、気付かれてはいないようですな」
荷台に隠れたシグルムが小声で囁く。
セーラの提案により、一行は行商人とその荷物に扮して街に潜入することに成功した。アルフレッド、レヴィア、セーラが馬車を引き、ティーダ、シグルム、ナトラが荷台に潜む。ガラガラと車輪を鳴らして通りを進んでいると、声をかけられた。
「あら、薬売りの商人さん? 最近仕事で腰を痛めちゃったんだけど、腰に効く薬はあるかしら?」
「ある。が、まずは荷物を降ろしたい。宿をとってからまた来る。できれば人を集めておいてくれるか」
「ええ、いいわよ。お薬よろしくね」
そして一行は宿へ向かった。ちゃんと馬小屋があり、そこに馬を繋いで三人を降ろす。ティーダやナトラはともかくシグルムは顔が隠せても長い尻尾が隠せないので、亜人の三人には小屋で待っていてもらい、残った三人で宿を取りに向かう。受付の女性がにこやかに一行を出迎えた。
「いらっしゃいませ! ご用件はなんでしょう?」
「…………一晩泊まりたい。空いている部屋はあるか。できれば二部屋」
「はい! 二階の突き当たりの部屋とその手前の部屋が空いてますよ! 後で食事をお持ちしますね!」
やたらと元気の良い受付に見送られ、三人は宿を出た。馬小屋に戻ると、アルフレッドは荷台から小瓶や麻袋を引っ張り出しながら今後の方針を話す。
「薬を売りつつ情報を集める。悪いが三人は部屋で待っていてくれ」
「うむ。承りました」
「むー。おとーさんのお手伝いしたかったなあ」
「頼みました。どうか無事でいてください、シルヴィア……!」
大通りで薬を売り始めると、途端に人が集まってきた。中には、先ほど声をかけてきた女性もいる。
「それは銀貨三枚だ」
「銀貨三枚!? ちょっと高くないかい? まけとくれよ」
「そうだな。役に立つ情報があれば安くしてやらんこともない」
「ホントかい? で、何が知りたいんだい?」
「この街では亜人に対する風当たりが強いと聞いたが、本当か」
「ええ、そうよ。メルヴィナ様がそうしろと言われたからね」
「メルヴィナ様、とは」
「この街に新しくやってきた領主さまだよ。女神さまのような美しさで、みんなあの方のために一生懸命働いてるんだ」
「ふむ……中央都市では亜人を差別することは禁じられているが、それはどうなんだ」
「そんなの関係ないよ! あたしたちにとってはメルヴィナ様の言うことこそが絶対さ!」
「……なるほど。最後にもう一つ。最近森の方から亜人が来たりしたか」
「ああ、ちょっと前に森妖精と蜘蛛人の二人組が来たよ。メルヴィナ様が捕らえろとおっしゃったので森妖精の方は捕まえたんだけど、蜘蛛人の方には逃げられちゃったわね。……それにね、実を言うと森妖精の方もその後逃げちゃって、誰かが手引きしたんだって噂もあるねえ」
「メルヴィナとやらは、あそこにいるのか」
アルフレッドが指差す先に、大きな屋敷があった。厳重に警備されているようで、門番の姿も見える。
「そうだよ。でも忙しいお方だから、日中はなかなか街にいないんだ。夜に帰ってくることが多いねえ」
「……ふむ、一度会おうと思っていたが、今はいない可能性が高いか。わかった、銀貨一枚にしておく」
「ありがとさん! これで腰の痛みもマシになるよ!」
その後も薬を求める客に対して聞き込みを行い、客がはけた頃にはもう夕暮れだった。
宿に戻った三人は部屋へ向かう。あの元気な受付の姿はなく、別の女性がカウンターに座っていた。
部屋に戻ると、そこにはシグルム、ティーダ、ナトラの他に、見慣れぬ顔が二つあった。
「おお、戻られたか。実はお三方がおらぬ間、思わぬ収穫がございまして」
「シルヴィアだな」
迷わずアルフレッドはナトラの横にいた森妖精にそう言った。
「やはりご存知でございましたか」
「森妖精とくればな。で、そこのは……」
「やあ、ぼくはゼヨン! しがない旅人さ。よろしくね!」
「……ゼヨン?」
一瞬、アルフレッドが微かに怪訝な顔をしたが、すぐにいつもの無表情に戻る。
「アルフレッド殿、ゼヨンさんこそこの街で捕まったわたしの友人、シルヴィアを助けてくれた恩人なのです!」
「ナトラから話は聞いてるわ。森妖精の族長の娘、シルヴィアよ。ここの向かいの部屋でゼヨンさんに匿われていたの。ゼヨンさんに助けてもらっていなければ、わたしは今頃どんな目に遭っていたかわからないわ。本当にありがとう」
「いーよいーよ! たまたまこの街に用があっただけだから」
「じゃあ、あとはメルヴィナさんをどうするかだけですね、アルフレッドさん」
「そうだな」
「メルヴィナ……あの悪魔ですか」
シルヴィアが苦々しい顔で言う。
「やはり悪魔か」
「はい。彼女は高度な<魅了>の使い手で、この街の人々を洗脳してわたしたち亜人を迫害しています」
「……なぜ、俺には敬語なんだ」
「し、使徒さまに対して普段通りの言葉遣いなんて……!」
「別に使徒だからといって偉いというわけでもない。俺は言葉遣いなど気にしない」
「……やっぱりナトラの言う通り、寛大な方ね。わかったわ」
「で、そのメルヴィナはどうするの? やっつける?」
うずうずした様子でティーダが聞いてくる。退屈な時間が彼女には我慢できないようだ。
「……いや、それは森の異変を解決してからでいいだろう。こちらの目的に気付かれる前に森へ入る」
了承の意を示す面々。ティーダも残念そうにしながら頷く。
「じゃあ、ぼくは部屋に戻るね! もうこの街に用もないし、明日の朝にはここを出るから。縁があったらまた会おうね!」
陽気に笑ってゼヨンは部屋に戻っていった。最後に彼女はセーラを振り返り、にやりとして言った。
「そうそう、セーラだっけ? キミ、面白いね!」
「え、面白い、ですか? わたしが?」
「うん! じゃあ、またねー!」
ゼヨンを見送ったあと、何とも言えない微妙な顔をしたセーラが言われた言葉を反芻した。
「……わたしが面白いって、どういうことでしょうか?」
「……わたしにもわかりませんね。アルフレッド様はどう思いますか?」
「あいつなりの褒め言葉だろう。深く考えなくていい」
「そうでしょうか? うーん……?」
釈然としない思いを抱きながらも、とりあえず褒め言葉として受け取っておこうと思うセーラであった。
しばらくして、最初に見た受付が料理をもって部屋にやってきた。芋などいくつかの野菜を煮込んだスープと、何かの肉を焼いたものである。やや質素ながらも味は申し分なく、大いに食事を楽しんだ一行は眠りにつくのであった。
……真夜中、皆が寝静まったのを確認してからアルフレッドは寝床を抜け出した。もともと使徒である彼に睡眠は必要ない。
そしてアルフレッドは向かいのゼヨンの部屋に向かった。静かに扉を開け、そして閉める。部屋には誰もいなかった。
「来てくれたんだ。そのまま寝ちゃってたらどうしようかと思ったよ」
突然背後から抱きつかれた。驚くわけでもなく、アルフレッドは淡々と言葉を述べる。
「俺に睡眠が不要なのは知っているだろう」
「やだなあ、冗談だよ。じょーだん。相変わらず真面目だね」
静かにアルフレッドは振り返る。はたしてそこには、ゼヨンがいた。
「で、こんなところで何をしている。ゼオン」
「そんなの、大好きなお兄ちゃんに会うために決まってるじゃない」
「……兄、か。造られたのはお前の方が先だと思うが」
「気にしない気にしない。ぼくにとってはアルフレッドがお兄ちゃんなんだから」
「……そうか。それで、シルヴィアを助けたのは気まぐれか?」
「まあね。旅人ゼヨンとして放っとけなかっただけだよ。それより、もっとぎゅーってしていい? 長いこと触れ合ってなくてぼくもう限界!」
再び抱きつくゼヨン改めゼオン。幸せそうに密着する彼女に呆れつつも微笑んで、アルフレッドは彼女の頭を撫でてやった。
「長いといっても一月前じゃないか。お前からすれば一瞬にも満たん時間だろう」
「アル兄に会えない時間なんて一日でも長いの! ……ふふふ。で、ぼくの作ったごはんどうだった?」
「……後で食事をお持ちします、か。律儀だな。……味は悪くなかった」
「んふふー。練習した甲斐があったね! 今度はアル兄が作ってよ」
「……わかった。そうしよう」
「やったあ! 楽しみだなあ」
満面の笑みでゼオンはぐりぐりと頭を押しつける。アルフレッドは何もせず、黙って受け入れる。やがて、彼女はアルフレッドから体を離した。
「ふう、満足満足。じゃ、もう行くから。またね、アル兄!」
そう言って大輪の向日葵のような笑みを浮かべてから、ゼオンは窓から飛び降りた。それなりに高さはあるはずだが、着地の音すら聞こえてこない。ややあってアルフレッドは窓まで行き、下を見下ろした。そこには夜の闇が広がるばかりで、あとは何もなかった。
「……弟。いや、妹――……どちらでもいいな。俺の家族には変わりない」
暗い部屋で、アルフレッドは一人呟く。彼を知る者が見れば驚くだろう、はっきりとわかる笑みを浮かべて。
「少しくっつき過ぎだと思うが、あそこまではっきり好意を示されるのも悪い気はしないな」