都市解放
「斬り捨て御免――」
その一言とともに、悪魔が両断される。蜥蜴人特有の巨体に迫る長大な太刀を鞘に納め、シグルムは息を吐いた。
「ふむ。これであらかた終わりですかな」
「悪魔ってもっと強いと思ってたけど、大したことなかったね!」
「さて、わたしたちもアルフレッド様の元に参るとしましょう」
あれから、主にシグルム、ティーダ、レヴィアの三人によって都市に潜む悪魔たちは瞬く間に討伐されていった。人に化けていようが、住人になるべく混乱を起こさぬように同じく人に化けた<屈服毒>影響下の悪魔たちによって正体を見破られてしまうのだ。傍目には人が突然襲われ、殺されるようにしか見えないので、目撃した住人の間に多少の混乱は起こってしまっていたが、対策もあった。
「慌てないでください! 実は、この都市に悪魔が紛れ込んでいることがわかりました。現在、討伐作戦を行っていますので、作戦が終わるまでなるべく家を出ないようにお願いします!」
中央都市は、他の街に比べて圧倒的にギルドの影響力が強い。その分、他の街より冒険者に対する審査が厳しいのだが、それが住人の信頼に繋がっていた。アルフレッドと別れた五人は、冒険者ギルドへと向かい、そこで冒険者の協力を得ることにした。彼らにも話は伝わっていたようで、アルフレッドに届いた依頼書を見せると快く協力を申し出てくれた。
「しかし、みなさま恐ろしくお強いですね。流石は使徒様の仲間というべきでしょうか」
「栄えある中央都市の冒険者殿にそう言っていただけるとは、光栄ですな」
「いえ、シグルムさんなどわたしと同じ銀等級だというのに、わたしなど足下にも及ばないほどですよ」
「ははは、冒険者の等級とは何も強さのみで決まるわけではありますまい。銀等級であるからには、それに見合う活躍をしたということ。謙遜は不要、自信をもたれよ」
「ありがとうございます。ところで、悪魔はほとんど倒したようですが、この後はどうするのですか?」
「うむ。おそらくアルフレッド殿がいるであろう場所に向かおうかと」
「それは……監獄ですか? いくら使徒様といえど、あそこの守りを破るのは一筋縄ではいかないのでは……」
「ふむ……あの監獄は拙者も知っております。確かに、通常の方法であれを破るのは骨でしょうな」
愉快そうに顎を撫でながら、シグルムは続けた。
「しかし、アルフレッド殿であれば何の問題もありますまい。ひょっとしたら、我らが到着する頃にはもう終わってしまっているかもしれませんぞ?」
「さて、この建物の構造はよくわからないが……」
「よくわからないのに壊したのですか!? 音で誰か来ちゃいますよ!?」
「問題ない。どこに誰がいるかわからずとも、近づけば<探知毒>で感知できる。なら、こそこそするより建物内を駆け回って探す方がいい」
「貴様ら! そこで何をしている!」
「来たか。しかしたかだか数人では――……」
こちらに走ってくる五人の兵士。その後ろから、さらに十数人の兵士たちがやって来るのが見えた。
「…………」
「あ、あの、アルフレッド様……?」
「……流石に急ぎすぎたか。作戦変更だ。しっかり掴まっていろ」
「は、はいっ!」
メアリーを背にアルフレッドが駆け出す。兵たちの間を縫うようにすり抜け、向かう先は――。
「あ、アルフレッド様!? そっちは壁ですよ!?」
「わかっている」
そのままアルフレッドは壁に向かって跳んだ。垂直の壁に取っ掛かりなどはなく、手を伸ばしても無様に滑り落ちるだけかと思われたが、なんとアルフレッドは手だけで壁に張り付くと、凄まじい勢いで壁を登り始めた。
「な、なんだと!」
「バカな、いったいどうやって!?」
「手のひらから粘性の高い毒を分泌しているからだ」
驚愕する兵士たちにそう言い放ち、アルフレッドはずんずん壁を登っていく。だが、兵士たちはすぐさま悪魔としての姿を現すと、飛んで追いかけてきた。
「そう簡単にいかせてはくれんか」
さらに悪魔たちは、魔法を撃ち出して追撃してきた。視界の外から襲いくる攻撃を、それでもアルフレッドは躱して壁を登る。だが、徐々に距離が縮まってきていた。
「アルフレッド様、このままでは追いつかれてしまいます……!」
「問題ない。飛ぶぞ」
「へ?」
不意にアルフレッドが手を放した。重力に従い、二人の身体は落下を始める。そこを逃す悪魔たちではなく、魔法が正確に二人目がけて放たれ――。
突然、何かに引っ張られるように二人は急上昇した。空を切った魔法が壁に炸裂し、破片を散らす。
「え? 何が――」
見れば、アルフレッドの手から黒い触手のようなものが飛び出し、壁に張り付いていた。それに引き寄せられて上昇したのだ。
「<毒肢>だ。なるべく隠しておきたかったが、仕方あるまい」
そのまま大きくスイングして宙を舞い、屋上へ着地。メアリーを降ろすと、懐から何かの種を取り出し、アルフレッドは上着を脱ぎ捨てた。アルフレッドの紫の瞳が怪しい輝きを放ちはじめる。
「な、なにをなさるのですか?」
「この監獄全体に探知をかける。ここまで能力を使うのは久しぶりだが、ここには大きな反応が一つある。それを喰らえば問題なかろう」
「大きな反応? それはどういう――」
「《蝕毒変性》」
アルフレッドは躊躇なく種を飲み込んだ。そして屋上に手をつくと、能力を解放する。
「成長しろ、《植毒庭園》――!」
アルフレッドの腕から植物の蔓が飛び出した。通常の緑のものとは違い、毒々しい紫色の蔓。その数は爆発的に増大し、見る見るうちに監獄を覆っていく。
「わ、わっ! なんですかこれは!?」
「<成長毒>で急激に成長させた植物で監獄を覆い、それを介して<探知毒>による探知を行う。発動中は動けないのが欠点だが、まあ心配ないだろう」
「動けないって、大丈夫なのですか? 悪魔たちもいるのに――」
「問題ない」
そうこうしているうちに、悪魔たちがアルフレッドらを追って屋上に現れた。二人に向けて魔法が放たれるが、おびただしい数の蔓が繭のように二人を覆い、二人に攻撃は届かない。
「す、すごい……!」
――これが、イニシエーター。
この都市を拠点とする三人の使徒とは知り合い――いや、友人である彼女であったが、思えば彼らの実力をほんの僅かでもこの目で見たことは今までなかった。初めて目にする使徒の圧倒的な力に、ただただ圧倒されるメアリーだった。
「――見つけたぞ。この建物の構造もだいたい把握した」
腕を覆い尽くした蔓をざわざわと蠢かせつつ、アルフレッドが言った。
「終わりにするぞ」
「なんだ、この蔓は……?」
「……来ましたね。予想より早いとは、さすがはアルフレッド様ですね」
「アルフレッド? ……もしや、例の使徒か?」
「その通りでございます、王よ。メアリーは上手くやってくれたようですね」
「本当ですか!? あの子が無事でよかった……!」
突然天井を突き破って伸びてきた蔓に対して、檻の中にいた三人の男女はそれぞれ反応を示した。
一人は、まだ見ぬ使徒に思いを馳せて。
一人は、最大の切り札の到着を確信して。
一人は、妹の無事に安堵して。
蔓はするすると伸びて格子に巻き付く。鉄の格子はギリギリと悲鳴を上げ、やがてぐにゃりと歪められて穴を開けた。
「鉄格子を容易くこじ開けるとは、なんという植物だ……!」
「なんにせよ、これは好機です。脱出しましょう」
他の檻も同様の状況になっているらしく、続々と人々が脱出を始めていた。
悪魔たちはというと、あちこちから伸びる蔓の相手に必死で、逃げる人々の相手どころではないようだった。
外に出ると、監獄の全体が見渡せた。至る所を蔓に覆われたその姿は、さながら紫色の箱庭のようであった。
「なんと凄まじい……。これが一個人の力だというのか……」
「見たところ、蔓は屋上に見えるあの繭のようなものから伸びているようです。おそらく、そこに『彼』がいるのでしょう」
「アルフレッド・ヴェノマイザー……。ジークは親友だと言っていたが、どんな男なのか……」
「じゃあ、あそこにメアリーも……?」
「おそらくは。ですが、ここまで派手にやったからには相手も黙ってはいないはず――」
その言葉とともに、屋上で爆発が起こった。
「来ましたね。この監獄の『主』が――」
そう言って女――中央都市のギルドマスターであるレオナは屋上を見上げるのだった。
「けほっ、けほっ……、いったい何が――」
「さっき言った大きな反応の正体だ。上級の悪魔――これを倒さねば都市を解放したことにはならん」
ゆらりと、煙の中から二人の前に一人の悪魔が姿を見せた。
「……アルフレッド・ヴェノマイザーだな」
「そうだ」
「もはや状況は我々の負けだ。だが、少しでも情報を持ち帰らせてもらう」
「お前たち悪魔は肉体が滅びても魔界で復活するからな。厄介なことだ」
「ふ、ほとんど不死身の使徒に言われたくはないな」
「……そうか。そうだな」
「では、いくぞ」
そして、戦いが始まった。
「躱せるか! この攻撃が!」
悪魔が《魔力矢》の魔法を大量に生み出し、撃ち出す。
「――これは」
アルフレッドは踵を返し、メアリーに駆け寄ると、その身体を抱き上げた。
「きゃっ! あ、アルフレッド様!?」
「見破られたか! だが、その状態でどれだけ逃げ回れる!?」
どうやら、狙いはアルフレッドではなくメアリーだったようだ。使徒であるアルフレッドであれば何発当たろうと平気だったかもしれないが、彼女では一発当たっただけで致命傷は確実だろう。魔法としては最低クラスの威力である《魔力矢》だが、その操作性は随一である。一度躱してもすぐに軌道を変えて襲い来る魔法に、アルフレッドは徐々に追い詰められていった。
「卑怯とは言うなよ! これは決闘とは違うのだから!」
無数の魔法のうち、一発がアルフレッドを打ち据えた。一瞬、動きが止まる。そのせいで、四方を魔法に取り囲まれてしまった。逃げ場はない。とっさにアルフレッドはメアリーを抱き寄せた。
「もらった!」
《魔力矢》だけではない。いくつもの魔法がアルフレッドを滅多打ちにする。メアリーに当たらぬよう、アルフレッドはそのすべてを身体で受ける。
「アルフレッド様!」
「…………」
何も言わず、目を閉じたままアルフレッドは攻撃を受け続けた。イニシエーター特有の再生能力によって傷は治っていくが、悪魔の魔法はそれを上回る速さで傷を負わせていく。アルフレッドは見る間に傷だらけになっていった。
ふと、メアリーを抱き寄せたまま、つい、とアルフレッドが身体を逸らした。直後、アルフレッドの右腕が斬撃の魔法によって斬り飛ばされる。宙を舞った腕が、どちゃりと音を立てて落下した。
ずるりとアルフレッドの身体がメアリーを離れ、地面に倒れる。見るも無残なその姿は、ぴくりとも動かない。
「……死んだか。案外、呆気ないものだ」
「アルフレッドさま……! いやあ……! こんな……!」
泣きじゃくり、亡骸を抱きしめるメアリーの背後にいつの間にか悪魔が立っていた。
「今なら復活する前に縛って捕まえられるかもしれん。それを渡せ」
「いやです! アルフレッド様は絶対に渡しません!」
「そうか。なら力ずくで奪い取るまでだ」
自分では悪魔に敵う道理はない。それでも、メアリーは悪魔から決して目を逸らさず、涙ながらに迫る悪魔を睨みつけていた。
ぴちゃりという音がして、悪魔はふと足下に視線を落とした。そこには、アルフレッドから流れ出た血液が血だまりを作っていた。
「――ふ、ふふふ。ふはははは……!」
悪魔は動きを止め、どうしたことか笑い出した。
「――見事。わたしの、負けだ……!」
わけがわからず、メアリーが戸惑っていると、ひゅん、と音がして、何かが悪魔の胸を貫いた。
<毒肢>だった。
アルフレッドの背から飛び出した<毒肢>が悪魔を貫いたのだ。悪魔が崩れ落ちる。
「や、やられた振りをして油断させ、血だまりと見せかけて<麻痺毒>を仕掛けるとは……!」
最期にそれだけ言うと、悪魔は消滅した。メアリーの腕の中で、死んだと思っていたアルフレッドがむくりと身体を起こす。
「あ、アルフレッド様……」
「……ふむ」
アルフレッドは消滅した悪魔に目をやると、一言だけ告げた。
「――卑怯とは、言うなよ」