第5話 うそつきな鏡
6月30日、13時00分。
澤里翔吾は人と会う約束をしていた。
この馬鹿げた現実を終わらせるために。
失踪した雨宮鏡子が残した本当のメッセージを受け取るために。
待ち合わせの場所は、市街地にある小さい喫茶店。
翔吾がカウンターに座り、約束の時間を待っていると、やがて一人の女性が店にはいってきた。
「ブレンドのMを一つ。」
彼女は翔吾の隣の席に座り、コーヒーを注文する。
「初めまして、澤里翔吾さん。」
「初めまして。」
彼女が名刺を差し出す。
−KYOKO−
雨宮鏡子と同じ名前だった。
名刺の右下には、小さく『女優』と書いてある。
「私の事はキョウコと呼んで下さい。」
「判りました。」
翔吾は何かに耐えるように、拳を強く握っていた。
彼女はそれに気づいている。
「覚悟、できたよね?」
翔吾がうなずく。
「あなたが思い出した事、話してみて。事の真相を。」
事の真相。それがこの密会の目的だった。
「わかりました。」
翔吾がキョウコを見つめる。
「俺は昔、原因不明の病気にかかって入院してました。とても辛い病気でした。けれど、流一が支えてくれたおかげで、なんとか生きていられました。この病気の症状は、ある時突然に意識が無くなったり、記憶が混乱したりするといったものでした。」
コーヒーが届き、少しだけ話を休める。
「もう一人、いたんです。」
「もう一人?」
「ええ、雨宮鏡子っていう子でした。俺のことをずっと支えてくれた子です。俺ら3人は毎日一緒に遊びました。それはもう元気に。車椅子で障害物競走するくらいね。」
翔吾が彼女に微笑む。
「この二人が居たから、俺は生きてます。いや、生きてこれました。」
「うん。そうだね。」
「おかしいんです。なんで重病人のはずの俺が元気に遊んでるんでしょう?障害物競走なんかできっこないのに。」
翔吾は日記から真実の記憶を拾ってしまった。
それは小さな記憶の欠片。
記憶のパズルのピースだった。
たった一つのピースが、絶対に噛み合わないことに気づいてしまう。
「けれど、できたんです。日記の中では。あの日記には嘘の生活が書いてありました。健康になって、一緒に遊ぶっていう生活が。たったそれだけの…俺と、流一の願いが。」
いつのまにか、翔吾の瞳は濡れていた。
「俺には一緒に遊べる友達は流一くらいしか居なかったはずなのに。でも、俺の記憶の中にはもう一人居たんです。それが…。」
雨宮鏡子。
空想上の少女。
「全部思い出したんです。友達の居なかった俺たちは、雨宮鏡子っていう女の子を創りました。二人だけだと寂しいけど、三人なら寂しくなかった。日記の中の俺たちは、ずっと楽しかったんです。」
翔吾と流一は空想上の少女だと知りながら、雨宮鏡子を創り続けた。
たった一冊の交換日記の中に。
一人の女の子を創ったのだ。
何年もかけて。
「けれど、俺の病気は残酷だったんです。必死に病気と戦っていたのに…負けそうになったんです。ある日、高熱に襲われて死にそうになりました。その時、俺は雨宮鏡子が居てくれたらがんばれるって、そう思ったんです。」
翔吾の告白を、キョウコは静かに聴いていた。
「俺の中で鏡子は空想じゃなくなってました。その時に、流一に言ったんです。鏡子に会いたいって。」
翔吾の涙は止まらない。
「流一は悩んだと思います。死に掛かってた俺を助けるために。そして…」
「私が呼ばれた。」
キョウコが言葉を受け継いだ。
これ以上、翔吾に語らせるのは酷だと思ったのだ。
雨宮鏡子が現れた事で、澤里翔吾の記憶は"都合のいいように"修正されてしまった。
雨宮鏡子が居ない時期は、転居していたから。
突然現れたのは、ふらりと帰ってきたから。
そういう風に。
記憶が変容し、歪んだまま固定されてしまった。
「私は、雨宮流一さんの依頼を受けたリアルアクトレス。依頼の内容は、死んだ親友の演技でした。つまり、あなたのいう…雨宮鏡子です。雨宮流一さんは多額の報酬と引き換えに、雨宮鏡子を現実世界で創ったんです。」
リアルアクトレス。
現実という舞台で演じる女優。
「私は、雨宮鏡子が架空の人物だとは知らずに演技していました。雨宮流一さんが書かれた“脚本”の通りに。」
キョウコがコーヒーカップを手に取る。
「そして、今にも死にそうだったあなたの目の前で演技しました。あなたがその後回復し、病と闘っている間もずっと。」
それはまるで。
罪の告白のようだった。
「あなた達が日記で作った設定の通り、天才的な女の子になるため努力しました。そして、雨宮鏡子を演じている時に、雨宮流一さんが何を考えているか、段々判ってきてしまったんです。」
キョウコが目を細めて翔吾を見る。
「雨宮流一さんは、私を殺そうとしているのではないかって。」
翔吾は呼吸をするのも忘れてしまいそうだった。
「雨宮鏡子をどう扱っていいものか、図りかねていたのでしょう。雨宮流一さんは、いずれあなたと雨宮鏡子に永遠の別れを与えなければならないと考えていたはずです。いつまでも女優を雇っているわけにもいきませんからね。雨宮一族はおそろしい、女優一人の口を塞ぐことくらい簡単でしょう。」
天才女優の鋭いまなざしが、翔吾の瞳を貫く。
「けれど、それは行き過ぎた杞憂でした。」
コーヒーは口を付けられることなくテーブルに戻される。
「あのバースデイ・パーティーの日、私は日記を見つけて仮説が確信に変わります。雨宮鏡子という人物は存在しないということに。私は雨宮流一さんに、この役を降ろさせて貰えないか頼みました。雨宮流一さんは、真相をあなたに知らせないことを条件に、私の提案を受け入れました。」
キョウコは一度言葉を区切りって、そして…
「澤里翔吾に、雨宮鏡子はもう必要ないと感じましたから。」
沈黙がしばらくつづいた。
「それが…失踪の理由ですか?」
「ええ。だから、ここであなたに会ったことは違約。雨宮流一さんに報酬は全額お返しします。」
翔吾は鞄から日記と手紙を取り出した。
「この手紙には二人の人物の名前が書いてありました。」
「ええ。」
「それは"雨宮鏡子"と"私"、つまりキョウコさんです。一人称の違いですが…」
「回りくどく書いたのは、雨宮流一さんに見られてもすぐには気づかれないようにするためです。私は役を降りる時に、一通だけ手紙を書いてもいいか聞きました。書いたあと、彼にも一度見せています。まさか日記まで盗んだとは思ってなかったでしょうね。」
「え?」
「私が読んだ日記を、記憶の限り復元しました。原本は雨宮邸にあります。天才・雨宮鏡子にとっては造作も無いことでしょう?さすがに原本を盗んだら彼にばれちゃいます。」
キョウコの微笑みは、まるで雨宮鏡子の微笑みのようだった。
「どうして、俺に教えたんですか?」
「雨宮流一さんはあなたをとても大切に思っていた。なのに、あなたを信じていなかった。真実にはとても耐えられないと推測したのでしょうね。」
それが、つまり…
「雨宮流一さんの唯一の弱点です。あなたの事だけは特別視しすぎて、正しく理解できなかった。」
けれど…
キョウコは言葉を続ける。
「雨宮鏡子は違った。あなたの事を大切に思っていた雨宮鏡子は、あなたを信じ抜いたんです。」
キョウコは日記の最後のページを指差す。
今日の日付だった。
「あなたを信じた結果は、この交換日記の通りです。」
今日の日付の交換日記。
そこには、キョウコと出会ったこの喫茶店の住所と、短い日記が書かれていた。
6月30日
真実を知った澤里翔吾は、それでも前に進み続ける。
雨宮流一はそんな澤里翔吾を応援する。
日記には、雨宮鏡子という文字が無かった。
雨宮鏡子が存在しない、初めての日記だった。




