第2話 われた鏡
『翔吾ってさぁ、昔の事どれくらい覚えてる?』
何の変哲もない夜の九時。
ベッドに放置された翔吾の携帯が、鏡子からのメールを受信した。
「昔…?またなんか約束でも忘れてるのかな。」
何かあるたびにまず自分の非を疑うのは、天才に挟まれて育った翔吾の癖だ。
『俺の記憶力は知っての通り。昔ってどれくらいだよ。』
そんな返事を携帯に打ち込む。
鏡子とメールするようになってから、翔吾の親指はかなり鍛えられた。
無意識のうちに送信ボタンに指が進む。
すると…
ブブブブブブ…
−受信1件−
『小学生くらいの時のことだよ。』
まだ返事を送信していないのにも関わらず、翔吾の返事を見越したメールが届く。
小学生くらいの時…。
それはつまり翔吾にとっての暗黒期だ。
重病を患い、ほとんど病院でしか過ごしていない時期。
タイミングが悪く、それからしばらくして鏡子が父親の仕事の都合で転居。
お見舞いに来てくれる友達も、小学生という年齢を考えるとそんなにいないわけで、流一や鏡子と遊んだ記憶しかない。
『病院の記憶は結構ある。外に出れないから、交換日記とか書いたよな。あと隣のじいさんから車椅子を借りて障害物競走とか。言っておくけど、そんな昔の約束とか覚えてないからな。』
自分が凡人だという自覚だけは売るくらいある。
記憶力にいたっては人並み以下だ。
『そうそう、その約束なんだけど… 本当に覚えてない?』
文字だけのメールだから、鏡子がこの文章にどんな意味を持たせているのか判りにくい。
『あいにく、こっちは天才じゃないので、まったく覚えてない。』
しらを切るつもりでそう打った。
『うん…そっか。実は約束なんて一個もしてないよ。よかったねー、正常で(笑)』
相変わらず、予想の一歩上をいくメールが返ってくる。
ここまでの流れは一体なんだったんだと、軽く憤っても見せるが、所詮は携帯電話を目の前にバタバタしている凡人の悪あがきである。
せめてもの反抗心から、返信もせずに携帯を放置していた。
ブブブブブブ…
携帯電話が抗議の声を上げている。
−受信2件−
そんな反抗心など許さない鏡子の追い討ちメールが届く。
しかも2件。
『でもさ、昔の事をよーっく思い出して欲しいんだぁ。確かに約束は一個もしてないけど、君は何か勘違いをしてる。』
『じゃないと、結構私も危ういんだよね(笑)あ、このメールは流一には内緒でね!』
天才のメールは判りづらかった。
通学時間30分もかけて、翔吾が学校につく。
教室では流一と鏡子が他の学科の男子に感謝されていた。
なにやら翔吾の知らないところで、何らかの事件が何らかの形で解決されたらしい。
このクラスには名探偵が二人もいるんだから、その辺の謎なんて夏場のアイスより早く解けるだろう。
「おはよう、翔吾。ずいぶん遅いじゃないか。」
「おはよう。なんかあったのか?」
流一がなにやら言いにくそうな素振りを見せる。
おそらく内密的な相談を受けたので、べらべら話すわけにもいかないのだろう。
「名探偵雨宮鏡子が、名脇役と一緒に事件を解決したんですよ。」
いつもどおりのふざけた声が聞こえる。
「誰が脇役だ。」
抗議の声をあげる流一を無視して、鏡子は翔吾の手を引いて廊下にでる。
「って無視かよ!」
相変わらずの貴族っぷりを見せる鏡子は、流一から見えない位置で携帯電話を指差した後に唇に人差し指を当てた。
メールの内容を流一に喋るな。
そう言いたいのだろう。
鏡子が流一を振り向く。
「いいですかワトソン君。ミステリーにおいて脇役を軽んじる者に幸はないと思ってください。」
「は?」
「ミステリーの醍醐味はちょっとした伏線と地雷なんですよ。なんでもないような単語がのちのち効いてくるのです!」
鏡子は意味不明な事を言いながら自分の席に歩き出した。
「だから、深みにはまる前によく考えることです。」
鏡子がちらりと翔吾をみる。
どうやら最後の一言は翔吾に向けた言葉だったようだ。
…そんな何でもないような日々が続くと思ってた。
けど、現実はそうじゃない。
あの日。
流一の誕生日。
バースデイ・パーティーが終わったあと、3人は流一の部屋で飲み会を開いていた。
パーティーには著名人も数多く駆けつけ、とても豪華なものだった。
だけど、豪華なパーティーが必ずしも楽しいとは限らない。
それは3人とも知っていた。
3人にとって楽しいパーティーは、3人で居ることだったのだ。
その楽しいパーティーもやがて終わりを告げる。
翔吾が厨房に酒を取りに行き、流一も父親に呼ばれたために席を立つ。
後になって見れば、これが最後。
翔吾にとって、最後に見た雨宮鏡子の笑顔だった。
「なあ、流一…嘘だろっ!?冗談だよな?」
普段、冗談なんか言わない流一にしては最高の冗談だと思った。
「残念ながら、本当だ。済まない…翔吾。翔吾を苦しめるつもりはないんだ…信じてくれ。」
携帯から響く流一の声。
小さい声で何度も謝罪を繰り返す。
「済まない。本当に済まない。済まない…」
狂ったように。
壊れてしまったかのように。
ずっと。
済まない…と。
翔吾には意味が判らなかった。
判りたくもなかった。
意識が薄れる。
こんな急な終わりが信じられない。
急な眩暈が翔吾を襲った。




