無題
「直観は、知識を超越する。」
二コラ・テスラの言葉が頭をよぎる。これは危険だと、人類が開けてはならないパンドラの箱だと、口にしてはならない禁断の果実だと、脳ではなく目が、耳が、鼻が、口が、肌が、脊髄が感じていた。それほどまでに、目の前の直径12cm程度の紫色の物体は俺にとって脅威だと全身が告げていた。
俺は財前真教。今日は10月10日。世間はすっかり秋になり、数週間前は半数以上が半袖で生活していた様子がウソのように、ほとんどの人々は長袖を着て歩き回っている。そろそろ自分も長袖を出さなければ、などと考えながら、ファストフード店で人を待っていた。
壁に貼られたポスターには、気味悪いひよこのキャラクターとともに「バイト募集中!」と書いてあり、昼時でも入店時にレジが一つしか空いていなかったところを見ると、バイトの人数が足りていないことが見て取れる。
ふとレジの方に目をやると、スレンダーな体型をした女性が、ウンウン唸りながらメニューを睨んでいる様子が見えた。その後ろには7,8人ほどの人だかりができており、明らかにその女性がメニューを決め兼ねて、他の客が注文できていない状態なのが分かった。俺はどうにも見ていられなくなり、その女の元へ歩み寄り小声で話しかける。
「おい、他の客が並んでるぞ。」
女はこちらを振り返る。そしてそこで後ろに並んでいる人々に初めて気づいたらしく
「えっ? やだ、ごめんなさい!」
と叫びながら、慌てて並んでいた人々に深々と礼をした。そして頭を上げると、小声で俺に尋ねる。
「ねえちょっと、期間限定のハンバーガー三つのうち、どれがいいと思う? 多岐亡羊で中々決められなくて」
一瞬戸惑ったが、周囲と彼女の視線に耐えられず、俺は即座に写真がないメニュー表から適当なセットを指さして注文し代金を支払った。プレートと番号札を受取りレジ前からそそくさと立ち去り、レジから一番遠くの隅で忙しそうにノートパソコンとタブレット端末を交互にいじっている客を横目にしながら席につく。
「ごめんなさいね。視野狭窄で……」
そう言いながら壁際のソファに座る彼女の名前は、戸村柚穂。私の同級生である。先ほどのように周りが見えなくなることがあるけども、並外れた集中力を持つ優等生だ。彼女とは学内での発表をきっかけで知り合い、それ以降趣味のロボット製作で行動を共にすることが多くなった。しかしたまに馬が合わないこともあり、互いに技術提供し合っているというのが本音である。
「気にするな。それより昨日のの話の続きをだな……」
「うん。で、何をどこまで話したんだっけ?」
店員がプレートに置いた紙ナプキンを丁寧に扇形に並べながら、彼女は答える。
「次に作るロボット、風丸2号の話だ。脚部はこの前にネットで見つけたものを3Dプリンタで印刷して、次にバランスの制御方法はどうするのか、までは聞いたな」
「あー。」
彼女は思い出したように右手でこぶしを作り、左手に打ち下ろす素振りで相槌を打つ。
「その話だけど、バランス制御方法は鼻先思案でいいと思う。2足歩行ロボットのバランス制御プログラムなんて、今となっては一昔前の製品レベルのものがオープンソースで出回っているもの。」
一枚の紙ナプキンを広げて三角に折りながら彼女は続ける。
「なんなら、バランス制御プログラム入りのマイコン付モータードライバ基板も数千円で買えるわよ? むしろ問題なのは、マイコンに指令をだす脳の部分。風丸二号が、何を考え、何をするか。どんなロボットにしたいかを、私たちが考えないと」
全く考慮していなかった事柄に一瞬固まってしまったが、パッと思いついたものを口に出してみる。
「アト美とか……」
アト美とは、1960年代に放映されたアニメ「剛腕アト美」の主人公である。心を持ったロボット戦士として、悪に立ち向かう正義のヒロインだ。現在まで何度かリメイクされており、俺はそのリメイク作品でアト美を知り、そこから全ての作品を観直しグッズも揃えるくらいのファンになっている。
「笑止千万。無理難題よ、バカマッチ」
戸村は俺の言葉を遮りながら鶴を折りあげ、俺のプレートに置く。しかし、彼女はすぐに
「しかし……。空も飛べる二足歩行ロボット……悪くないわね……フフ、フフフ……。」
とつぶやき、おもむろに右手人差し指で下あごを撫ではじめた。彼女がよからぬ考えを持っているときは大抵、このような素振りを見せる。こうなるとよっぽど興味を引かない限り独り言が止まらなくなるのは、戸村柚穂の悪い癖だ。
「いや、飛行機能もロマンに溢れているが、俺が言いたいのは、そうだな……。『心のあるロボット』だよ」
「心……?」
珍しく興味を示したのか、独り言が止まった。頭頂部のアホ毛がピクピク動く。数秒硬直した後、彼女の目がこちらを向く。もうひと押しだ。
「そう、心だ。自分で物事の善悪を判断し、自分の信じる正義に従い行動するロボットだ!」
俺はできるだけ雄弁に語ってみたが、彼女の反応は薄かった。
「正義のロボット。面白い……けど、今はどのAIも学習段階で、正義とか悪とか、まだわからないんじゃないかしら。まさか一から開発する、ってのはナンセンスだし……」
当然の疑問だろう。しかし俺にはまだ策があった。
「それなら心配ない。ちゃんとアテがある」
心底驚いたように目を丸くしながら、彼女は言った。
「えっ? 貴方を信頼しないわけじゃないけど、人格まで完成しているAIなんて、逸事奇聞よ……?」
「ある。母さんの研究成果の一つだ」
俺は即答した。
西部劇で銃で撃たれた悪役のように大げさにのけ反った後、戸村柚穂は
「なる、ほど……。はは、凄い切り札を持っているのね、貴方……。」
と呟き壁にもたれかかった。長く息を吐いた後、もう一度勢いよく息を吸い、彼女は目を輝かせながら言った。
「いいでしょう、その案、乗った!」
戸村柚穂とは一年ほどの付き合いだが、彼女が俺の意見を一発で通すのはこれが初めてだ。よっぽど、この提案に興味が湧いたのだろう。思わずガッツポーズしてしまう。
「一応聞くけど、本当にいいのね? 私、貴方のお母さんのAIをこき使うことになるわよ!」
俺はすぐに答えた。
「一向に構わない! 是非やろう!」
「お待たせしました! パープルバーガーセットとチーズバーガーセットになりまーす!」
ちょうど会話が一段落したタイミングを見計らって、店員がハンバーガーとポテトを小さなバスケットに入れて持って来た。
「どもどもー!」
戸村は普段の声より一オクターブほど高い声で返事をしバスケットを受け取る。
「どうも。」
俺も自分のを受け取り、店員に軽く会釈をした。そして、今聞き慣れない名前があったことに気づく。
「いや、ちょっと待て。……パープルバーガーってなんだ?」
店員は満面の笑顔で答える。
「期間限定のバーガーになります! パープルバーガーはバンズや野菜などが全て紫色なバーガーになっております! 玉ねぎ、ナス、紫芋、プレーン、シソエキス入りブルーベリージャムが入っています!」
「ごめん財前! やっぱりチーズバーガーとチェンジで!」
店員が内容物を言い終わるよりも早く、戸村は俺のチーズバーガーの包装を開けチーズバーガーに口をつける。やられた。
それを見た店員は、一礼してそそくさと離脱する。きっと、すぐに離脱しないと文句の弾丸をその身で受けるという事を学習しているのだろう。……そうだ。きっと、売る方も大変なのだ。
恐る恐る包装紙をチラッと開けると、まず最初に紫色のバンズが目に入った。俺が想像していたバンズの色はせいぜい白が混ざった薄い紫色程度の色だったが、実際に出てきたのは「でんぷんを感知したヨウ素液のような色」で、紫と言うよりは青紫、青紫というよりは黒に近い色であった。またシソの香りが思いのほか強く、本来は食欲を増強させるはずの香りが、用途を間違えられているためか食欲減退に大きく貢献している。この時点で全身の毛が逆立つのを感じたが、俺は勇気を振り絞り包装を半分開けた。
こうして、冒頭へと繋がるのである。
目の前でその様子を見ていた戸村は申し訳そうな顔をしつつも、チーズバーガーとポテトを交互に頬張っていた。そうだ。戸村が食べているチーズバーガーを見ながら食べれば、見た目のインパクトを軽減できるかもしれない。そう思いながら彼女のハンバーガーを見つめてみる。
「ちょっと、何ジロジロ見てるのよ。……いや、やりたいことはなんとなくわかるけど、一応異性なんだから気を付けなさい?」
「……そうだったな、すまない」
「あと、一応ここは全国チェーン店よ? 不用意に不味いものを出すわけないじゃない。……きっと。」
そうだ。
全国チェーン店で商品化しているのだ、まずいわけが無い。
そうだ。
実は、甘みと肉の旨みがマッチして味はとても美味しく仕上がってるかもしれない。
そうだ。
何を俺は恐れていたんだ。怖いことなんて、この見た目と香りだけじゃないか!
そこで俺は、勇気を振り絞ってパープルバーガーを一口食べてみることにする。
すると、脳裏にニコラ・テスラの言葉が浮かんだ。
「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである。」
本当に、天才の言葉は何にでもハマってくれる。今まで何度もこのハンバーガーチェーン店に足を運んでは様々な美味しいハンバーガーを食べてきた。
それらのバーガーを99%の努力と言うならば、1パーセントのひらめきこそがこの、パープルバーガーだったのだ。
この商品の開発者は紛れもない天才だ。そしてこのハンバーガーは、天才の作ったハンバーガーだ。なぜなら、有象無象のハンバーガーの全てを過去のものにしたのだから。
自然と笑みがこぼれる。優れた才能に直に触れることができた喜びで、身体の震えが止まらない。体温も一気に上昇し、汗がフツフツと出てくるのを感じる。こんなバーガーを食べられるなんて、俺はなんて幸せ者なんだ。涙が零れ出す。
「だ、大丈夫……?」
戸村が心配そうな顔でこちらの顔色を窺っている。
大丈夫だ、心配ない。俺は、今の幸せを彼女に伝えるための言葉を必死に探した。天才の作ったハンバーガーの味が簡潔かつ明確にわかるような、そんな言葉を。
そして俺は、一つの結論を導き出した。
これだ。これしかない。
一言で伝えよう。
時間をかけて食べていた一口目をやっと飲み込み、俺は言った。
「うん。まずい!」