戦争体験と似ている現在の事象
戦争体験が語られることが必ずしも戦争を抑止するものにはなっていない。と感じる出来事が現在の事象にもありまして。それは何かと言いますと
『世界各地で巻き起こっています武力衝突を伝える報道』
でありまして、どのような取り上げられ方をされているのか?
と言いますと
「砲撃を加えられ、破壊された建物と、その砲撃により大きな怪我をされたかた。命を落とされたかた。家を失われてしまったかたの様子を伝えるもの。」
「家を失い着の身着のまま故郷を追われることになってしまったかた。向かった先での入国を拒否され、途方に暮れるかたの様子を伝えるもの。」
「戦闘により捕虜となられたかたに待ち受けているその後の運命。」
これらは先ほどまで取り上げました太平洋戦争にまつわる戦争体験と似ている方法で持ちまして現在の報道におきましても展開されております。被害者の悲しみ苦しみを取り上げることにより、『戦争の愚かさ』を強調する報道を目にする機会があります。これらの報道を通しまして、直接ないし攻撃を加えた側に対しての制裁を加えるなど間接的に。今、苦しまれているかたがたへの支援の手が差し伸べられる切っ掛けとはなっているのであります。切っ掛けとはなっているのではありますが、だからと言いまして
(……その戦闘そのものが収まることは決してありません。)
(……白黒ハッキリされるまで終わることはありません。)
なぜなのか?
それは太平洋戦争において日本国土が焦土と化していようとも、アメリカ軍はお構いなしに空襲を繰り返したように、攻撃する側にとって、今報道されている事柄の全てが、攻撃する側にとって望むべき事象。予定通りの出来事であるからであります。もっともその惨状が報道されることは望んでいないと思います。余分な敵を作ることになってしまうのでありますから。焚書・坑儒のような事柄は世の東西。時代の違い問わず行われるのではありますが……。
戦争体験を語ることにより、共感してくれるかたがたが戦争を起こすことを抑止することは出来たとしても、共感してくれないかたから攻め込まれる。そのことにより共感してくれたかたがたを戦争体験を語ることにより守ることは残念ながら出来ません。戦争による惨劇を止めることは出来ない。そのことはたぶん語り手のかたがたも知っていることと思われます。その後、70年以上の世界の動きを見て来たかたがたでありますので。それでも何故戦争体験を語り継ごうとされているのか?彼らの太平洋戦争に対する位置付けから探っていこうと思います。