戦争体験が語るもの2
次に取り上げます語られて来た戦争体験となりますと
2つ目。お粗末な参謀
先程述べましたいくさをする相手からあらかじめ燃料となる油を買い付ける施策にも言えることなのでありますが、今思いますと無謀とも思えることを当時の日本は大真面目に取り組んでいた。と、学校の授業や本。更には報道や記録映像などを通じ紹介されたものを述べていこうと思います。
戦いが絶望的な状況にあることを覆い隠すことが出来なくなり、攻め込んでいるにも関わらず敵の戦闘機が頭上を我が物顔に舞い、当たり前のように爆弾が投じられる中。いよいよアメリカ軍が本土に上陸してくることが確実となってくる中。国が国民に対し、アメリカ軍を倒すために求めて来たものがありまして。それはどのようなものであったのか?と言いますと
『木と木の間に紐を結び付けることにより道路を封鎖し、その紐で持ってアメリカ軍の戦車を足止めさせ、手に取った竹槍で持って突撃する。』
と言うものから始まりまして
『片道切符の燃料だけを積んだ飛行機の先に弾頭を付け、敵艦に突っ込ませる。その飛行機には人が搭乗しているもの。』
『それを魚雷と言う形で具体化したもの。もちろん中には人が乗っています。』
幸いこれは実現に移されることは無かったそうなのでありますが
『80キロ近い装備を背負った人が海底に潜み、敵艦が頭上を通過するタイミングを見計らって持っていた先には機雷が付いた棒を突き上げる。』
と言った代物など。
今。日本に暮らすモノの感覚からしますと
(思いついてしまったことすら恥ずかしい……)
ようなことが大真面目に語られ、実行に移されていった……。
身近に起こり得る事例とは少し離れるもっと大枠の話もありまして。その一つが同盟相手。とても連携をとることの出来ない遠く離れたドイツとイタリアとの関係を深めてしまった。と……。そのドイツとイタリアと遠く離れたアメリカを相手と想定しているにも関わらず。イギリスについては共通の敵と定めてはいましたが、こと日本がイギリスと相対する場所はアジア。そのアジアに当時。ドイツとイタリアは進出してはいないため、アメリカ、イギリス双方共に日本は自力で持って戦わなければならなかった。日本が中立協定を結んでいましたソ連とドイツは戦争をしている。いったい何のための同盟であったのか。
『こんなことして勝てるわけないですよね。だから戦争は良くないものでありますよ。』
と言った方法で持って戦争の愚かさを伝える取り組みが、特に8月15日に合わせ為されて来たように記憶しています。