表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

2-1 Iの行動の理由

「あなたの想像することはこんなものですか」


 醒めた声音は彼の本心なのだろう。


「いいえ、いけなくはないですよ? あなたがそう望むのであればそれでいいのではないでしょうか」


 彼はノートを閉じ、ただですね、と続けた。


「せっかくそのペンを差し上げたのに、あなたはつまらないことばかりを書くのですね」


 狡猾そうな男の視線が、わざとらしいほどゆっくりと動き、私の手の内にあるペンへと到達する。


「……望む物を具現化し、望む事象を実現する、究極のペンだというのに」


 私の視線も自然とペンへと移動した。


 古ぼけたペン。

 インクはナチュラルブラック。

 記すものすべてをこの世界にあらわすことのできるペン。

 そしてこのペンを私によこした当の人物は彼だ。

 若いようで年老いているかのような、謎の男。


 私は黙ったままでいる。

 初対面の時以来、彼とは口をきいていない。

 彼が一方的に私に語るだけだ。


 私はノートを奪い返し彼に背を向けた。

 ペンを持ち、次に書くべきことを考える。


 机の上で開いたノート、そこには私の筆跡でふざけたことばかりが記されている。


 水を飲みたい。

 白梅が紅梅になる。

 ポチがにゃーと鳴く。


 他にも馬鹿みたいなことを延々と書き連ねている。


 二流とはいえ小説家である自分には、その実、大した想像力はないことが露見している。

 その点だけは彼を否定できない。


 だが、ある時から。


 このノートに人の名前が加わった。


 藤堂美緒。

 私の孫。

 腰まである黒髪を頭頂部で一つに結び、切れ長の瞳が印象的な美少女。

 幼少期から鍛え上げられた剣道の腕は町内で知らない者はいない。

 通称は『剣術小町』。


 本当の孫は、剣道どころか竹刀一つ持ったこともない。

 運動は得意ではなく、かといって他に何か取り柄があるわけでもない。

 容姿は平凡、頬には常に複数の赤白く膿んだニキビが居座っている。


 それもそうだ。

 私の孫なのだからそんなものだ。


 思春期と言えば聞こえはいいが、孫は中学に入学してしばらくたつと、情緒不安定になり、家族に対してひどく反抗的になった。


 一番の標的となったのは温厚な妻だった。

 孫も祖母相手だと自由に何でも言えたのだろう。


 ある日、妻との口論の最中に孫が叫んだ。


「私が何にもできないのは、元をたどればあんた達のせいなんだよっ」


 そのとき、妻がひどく悲しそうな表情となったのを私はよく覚えている。


 私のもっとも愛する妻をなじった孫を、その日から私は冷めた目で見るようになった。

 本当はその頬が赤く膨れるほどに打ち叩いてやりたかったが、妻が余計に悲しむのは分かりきっていたからしなかった。


 彼からペンをもらい、いくつか試し、もっとより大きなことに使えないかと考え始めたとき、真っ先に思いついたのはこの孫を使っての実験だった。


 孫は私の与えた設定によって、唐突に、見事に変身を遂げた。


 私以外の者は誰もその変化に気づかず、元からそのような少女であったと思い込んでいる。

 孫自身もだ。

 だが強い自分、美しい自分というものに心が追いついていないようだった。


 素直なところだけが取り柄の孫だった。

 しかし今のこの世で素直でいられることがどれほど尊く難しいことか。

 だが、素直だからこそ当の孫は傷つくようだった。


 成長するに従い、周囲とうまくやれない自分にいら立ち、突出した長所のないことを堂々と悲しんだ。

 家族に正直な想いを告げざるを得ない鬱憤、そんな自分の言葉で家族を傷つけている自責の念。


 決して悪い子供ではないのだ。

 それはよく分かっている。

 心から愛しているとは思えないが、孫には確かに他人には覚えない憐憫を感じていた。


 そんな孫だからこそ、かの日の怒りを抑え、理想的かつ幸福な少女像を与えたのだが……。

 私の小説の中でもっとも若い世代に人気のある少女像を……。


 そして、藤堂健一。

 私の息子。

 普段はどこにでもいる会社員、だがその正体は超人的な能力を持つ正義の味方。


 私は息子に対して一つの大きな悔恨の念を抱いてきた。息子が小学生のとき、いじめられていたクラスメイトを助けようとしなかったことを散々になじったのだ。なぜ、と聞かれても自分でも分からない。だがその時、私は急に聖人にでもなったような気になり、我が息子を叱咤しないではいられなかったのだ。


 息子はそれから私に対して怯えるようになった。

 人付き合いが苦手になり、常に周囲の顔色をうかがうような人物になってしまった。


 それでも大学を卒業し就職、家族をもつまでには至ったが、早々と離婚をし、今では仕事先でもあまりうまくいっていないようである。家にいるときは自室に一人こもることが多く、私や孫とも最低限の会話しかしないありさまだ。


 四十代も半ばになり、この頃では息子の明るい笑顔を見たことはほとんどない。

 頭頂部は私よりも薄く、膨れ上がった体型は不健康そのものだ。


 孫に与えた変化の影響を観察、分析し、私は息子にはより慎重に、より詳細な設定を与えた。


 あり得ない設定ではなく、過去に基づいたあり得る設定に。

 しかし夢とやりがいのある設定を。


 息子は物心ついたときから正義の味方が登場するテレビ番組を好んでいた。私は毎週かかさず息子に付き合って番組を観たし、クリスマスや誕生日にはおもちゃの武器や変身ベルトなんかを買い与えていた。


 そう、あの頃は息子の笑顔を見ることができていたのだ。


 設定を与えた瞬間、息子は嬉々として正義の味方を勤めはじめた。

 毎日どこかで何かしらを解決し、その奇抜な衣装と人間とは思えない動きは、テレビやネットを通じて一躍広まった。

 達成感と自信に満ち溢れた表情、それに筋骨隆々とした大柄な体は、見ているこちらも清々しい。


 息子は名実ともに正義の味方となったのだ。


 だが一年もたたないというのに、息子は疲弊し顔色も以前よりも悪くなっている。

 今日、愛犬と近所を散歩していて偶然見かけた息子は、平日だというのに公園でベンチに座りこんでいた。


 その目は赤ん坊をじっと見ていた。

 ベビーカーの中、すやすやと眠る赤ん坊は、まだ首がすわったばかりの乳児だった。


 私は衝動的にノートを開いていた。

 ノートは常日頃から鞄に入れて持ち歩いている。

 続けてペンを取り出すや、私は考える間もなく新たな設定を、肉親以外では初めてその赤ん坊に与えていた。


 息子を立ち直らせる力を持つ赤ん坊、そんな抽象的な設定一つを与えていた。



 かくや息子は活力を取り戻した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ