1-7 Bの活動
くだらない遊びに付き合うのはひどく手間だ。
一度何も言わずにいたら、この女はそれを一時間にわたって延々と続けた。
涙ぐみながら、感覚のなくなった腕をふるわせながら。
きっと頭がおかしいのだろう。
だが、忠誠心が並々ならないことだけは実証された。
だからそれ以降、私は五回実行したら次の行動に移ると決めている。
女の腕の中に納まったところでいつものように手を伸ばす。
すると女は勝手知ったる様子で「はいはい」とナイロンバックから私の宝物を取り出した。
蕩けるような顔で渡されたそれはまるで供物のようだ。
この女は私の母ということになっている。
生物上の母だと。
だが覚醒した私にとって、この女は私の家来、私の意を叶えるための取るに足らない側女でしかない。
私は奪いとったそれを口に含んだ。
咥える瞬間、口内にたまっていた涎が溢れ、つたい落ちた。
それをまたこの女は「あらあら、仕方ないわね」と眉を下げながら、しかし嬉しそうにガーゼのハンカチでぬぐった。
そうだ。
私の身を汚さないように四六時中気を使うのだ。
それがお前の仕事なのだから。
口内は快い圧迫感で満ちている。
歯茎で挟むようにしごくと、脳がマザーのシステムに即座にアクセスした。
目をつむることで瞼の裏にディスプレイを開く。
まだ一度も実物を見たことのないシステム本体が、宝物をしごく強弱とリズムに連動して、リモートで活性化されていく。まるでわが物ように。そのことに私は光悦すら感じる。ひれ伏して感謝したいほどに。
鍵を一つずつ開けていくように、システムの中、私は最奥のフォルダへと近づいていく。
「あらら、リョウちゃんったら。本当におしゃぶりが好きなんだから」
女の声が遠くの方で聞こえる。
私はそれをいつものごとく無視し、大海のごときシステム内を慎重に泳ぐ。
くむくむくむ。
くむくむくむ。
「にゃー……!」
どこかで場違いなほどの大音量で獣の鳴き声が響いた。
だが今はそれどころではない。
探索ワードを掛け合わせると、目的のプログラムの在り処が分かる。
最短でその場へ移動、起動するやターゲットを合わせる。
男の存在にカラムを重ねたところで強めにしごく。
くうむ。
『――疲れた』
声をキャッチし、私はしばらくその状態を保持することにした。
くむくむ。
『俺はいつまで正義の味方をしなくちゃいけないんだ』
『悪を見過ごせば罪になるというなら、俺はもう』
『もう……罪人になったっていい……』
つい眉間にしわを寄せたところ、女が私の眉間を無遠慮につついた。
「あーら、もうおねむかしらねえ」
首を振って指から逃れる。
女の声は変わらず無視する。
今は緊急事態だ。
私は急いで宝物をしごく。
くむくむくむ。
くむくむくむくむ。
やや時を置いて薄目を開けると、そのくだびれた男がやにわにベンチから立ち上がった。
クリーンアップ、実行完了。
くむ、くむ。
最後の仕上げとばかりに実行したのは、マザーの高潔なる意志を実現するための新たなプログラムのインストール、そして強制的再起動だ。
このプログラムを入れることで、あの男もしばらくは正常に動くだろう。
――マザーの下僕の一人として。
「よおし、もっと頑張るぞお!」
晴天の青空に突き出された男の拳と大声に、女が隣でびくりと震えた。
「なあにあの人、怖いわね。いい年して昼間から公園にいておかしな人ねえ」
私は最後にもう一度宝物をしごいた。
くむ。
瞼の裏に映っていたディスプレイが掻き消える。
代わりにそこに現れたのは、マザーだ。
両手を広げ、私を迎え入れようとするマザーの姿がホログラムになって浮かび上がる。
私は強く目を閉じる。
早く夢の世界へ行きたい、それだけを願って。
「……あら、リョウちゃんったらもう寝ちゃったのね」
大きく広げられた腕の中へ、私は喜び勇んで飛び込んでいく。
温かい抱擁に私は幸福を噛み締める。
今、私はマザーと共にいる。
任務を終えた後の数時間、私はマザーの元に還ることができるのだ。
「……もうおしゃぶりはいらないようね」
女が私の口から宝物をとりはずす気配がした。
私は抵抗することも怒鳴りつけることもしなかった。
必要がなかった。
マザーのために私はここにいる。
マザーのためなら、どのようなことでもする。
幻でもなんでもいい。
この時間のために、マザーのいるこの世界のために――。
すべてはマザーのために――。