同じ夢
それからどれくらい時間が経っただろうか。
冷たい空気で僕は目を覚ました。思わず自分の体を見る。生きている。
機内を見ると、離陸した時と同じ平和な空間がそこにあった。
古今東西ゲームをする女子の姿も、大富豪をしている男子の姿も見える。
とんでもない夢を見た。縁起でもない。隣にいる秀喜や笹田に話したらきっと笑われるだろう。
「変な話するんじゃねえよ」と、怒られるかもしれない。
両隣を見れば、秀喜と笹田は寝ている。
そして、冷えた空気のせいだろうか。トイレに行きたくなってきた。
シートベルト着用のランプがついているか見ると消えている。取り敢えず安全だ。隣にいる秀喜を起こさないように、シートベルトをはずすと席を立つ。機体は順調に目的地に向け、飛行しているようだ。揺れもないし床も水平で足元も安定している。
しばらく体勢を変えてなかったので、歩くのに妙な感覚がある。少しふらついた。
その時だ。
僕は座席に宮本と担任の姿がないことに気づいた。宮本とつるんでいる鈴木と田淵の姿もない。夢の中での出来事を思い出して血の気が引く。
僕は正夢を見たのだろうか。
怖くて用を足すのも我慢して席に戻った。寝る前のことを思い出す。
工藤の話を聞きながら寝入ったのは覚えている。そこまでは現実に間違いない。
それから目を覚ました後、用を足しに行ってトイレの前で鈴木に相談されたのだ。
これは多分、夢だったのだろう。
宮本たちを捜しに行って、一階の人たちが消えたのを見たのもきっと夢だ。
しかし、どこからが夢で現実なのかははっきりしない。今だって夢を見ているのかもしれない。
横で「なあ」という声がしたのに気づいて見ると、目を覚ました秀喜がいた。僕に声をかけた秀喜は、機内全体を見ると、
「先生と宮本たちの姿が見えないな……」
僕が気にしていたことをズバリ訊いてきた。
「えっと、全員でトイレに行ったんじゃないかな」
馬鹿なことを言ったな。完全にしどろもどろな答えになってしまっている。
秀喜は突っこんでくると思いきや、
「ふーん」と言うと、座席を後ろに倒した。バタンと勢いよく倒れた座席は、後部座席側を狭くする。その影響で秀喜の後ろにいる工藤がアイマスクをはずすと、眼鏡をかけながら、迷惑そうにこちらを見てきた。
工藤も寝ていたのだろう。大きな伸びをすると彼も機内全体を見る。
「宮本たちは?」
工藤も秀喜と同じことを訊いた。
僕は知っている。秀喜と工藤は宮本たちが嫌いだ。
秀喜が宮本たちを嫌いな理由は、つるまなければ威張れないのに、いつも喧嘩腰だから。
工藤が宮本たちを嫌いな理由は、授業中に馬鹿騒ぎするから。
その二人が起きざまに宮本たちの心配をした。これは偶然なのだろうか?
「ねえ、先生は?」
横から声が聞こえたので見ると、笹田が心配したようにこちらを見ていた。
「宮本くんたちの姿も見えないみたいだし」
笹田の問いに、秀喜と工藤が顔を見合わせる。
「あのさ!」
そして、二人同時に声を出した。互いが譲りながら「先に言えよ」と言い合っている。
「変な夢を見たんだ」
僕が間に入って言うと、秀喜と工藤がぴたりと話すのをやめ、笹田も両手で口を塞いだ。
「もしかして、みんなも同じ夢を見たのかと思って訊いたんだけど……」
「変な夢は見た。お前と同じ夢かは知らないけど、みんなが消えていく夢だ」
即座に秀喜が返す。僕と同じ夢に間違いない。
工藤と笹田を見ると二人ともくぐもった声で「僕も見た」「私も」と答えた。
秀喜は機内の様子を見る。
「これは現実なのか? 夢なのか? それとも俺たちは――」
「それ以上は言わないでくれよ!」
工藤が秀喜の話を制した。
「言わないでくれよ……お願いだから」
頭を抱えながら呟く工藤。しかし、話を続けないわけにはいかない。
秀喜はこう言いたかったのだろう。『それとも俺たちは――死んだのか、生きているのか?』
「宮本たちは?」
僕が秀喜の言おうとしたことの続きを話そうとすると、級友の声が聞こえた。
先程の夢の中では、宮本の連れである鈴木が僕に相談するところからはじまっている。
夢とは違った進行に少しだけ安堵した。
しばらく黙って見ていると、トイレから鈴木が出てきたのが見えた。これも夢の内容とは違う。取り敢えず、正夢を回避することはできた。
戻ってきた鈴木が「宮本を一緒に捜してくれないか?」と頼んできたとしても、今度は「すぐに帰ってくるだろうから待ってよう」と言おう。
全員揃って一階に捜しに行くのだけは、気分的に避けたい。たとえ僕が行こうと言っても、同じ夢を見たであろう秀喜や工藤、笹田も「嫌だ」と即答するはずだ。
鈴木がこちらに歩いてくる。僕たち全員は緊張した。
しかし、心配は無用だったようで、鈴木は僕たちのいる席を通り越す。秀喜が深い溜め息を吐いたのが聞こえた。秀喜も同じ心配をしていたのだろう。
すると――。
「立花の姿も見えないみたいだぞ」
通り過ぎて行った鈴木が、妙なことを言った。
彼は確かに僕たちの横を通り過ぎて行ったのだ。見ていないわけがない。
「本当だ。秀喜も工藤も笹田までいないぞ。珍しいよな。あいつら、優等生なのに」
級友まで信じられないことを言いはじめた。彼だって僕たちの席を確認したのだ。
「おい、冗談はやめろよ! ただでさえ、こっちは変な夢を見て気分悪いのに!」
秀喜が声を荒げながら級友の肩を叩く。
が、秀喜は級友の体をするりと抜けて、そのまま転んでしまった。
「えっ?」
当惑した。今、秀喜が級友に触れた時、透けたように見えたのは秀喜のほうだったのだ。
「嘘だ……」
秀喜もそれに気づいたのか、自分の両手を見ながら震えている。僕も秀喜に近づくのを躊躇ってしまった。自分も同じ状況にいると信じたくなかった。
「嘘じゃない。君たちは現実を直視しなければならない。そして選択するんだ」
すると、聞き覚えのある声がした。見ると夢に出た軍服の男が立っていた。
「俺は空軍に所属する操縦士だ。俺は空軍機を操縦し、数時間前に離陸した。その直後、君たちが乗っている旅客機と空中衝突したんだ」
あの夢の中ではわからなかったが、男の体は透過し、むこうの景色が見えている。
「俺自身、自分が生きているのか死んでいるのかさえわからない。まるで魂のような存在になってしまっている」
その時、階段をあがる音と、どなり声が割れんばかりに響いていた。
見ると行方不明だった先生と、宮本たちの姿がある。夢の中で協力してくれたスチュワーデスも一緒だ。
しかし、宮本たちは入ってこないで、その場で立ち尽くしていた。目を見開いたまま機内を見回している。
「宮本たちがいない」と言っていた級友の反応もない。すぐ背後に宮本たちがいるのに気づきもしないのだ。
まるでお互いの時間が違う場所にあるかのように。
男の話を聞きながら、僕の中で全ての疑問が繋がりはじめる。
あれは夢などではなかった。彼が見せた現実。
人の顔があるという影は、男が乗っていた戦闘機だろう。勝手に出てきた酸素マスクは、その戦闘機との激突で飛び出した物だ。
皆の姿が消えたのは、僕等の魂の居場所と、皆の魂の居場所が違う場所にあったためだ。
つまり、「生の世界」と「死の世界」。
どちらが生きていて死んでいるのかはわからない。男が言う「選択」とは自分たちの運命を選んで、生きるか死ぬかの道を選べということなのだろう。
宮本たちに答えるか、級友に答えるか。それが生死の選択になる。