何かがいる
今度は秀喜に代わって、僕が先頭で進んでいく。
後ろの誰かがいなくなるのではと不安だったが、秀喜は僕の服の裾をつかんでいる。姿は見えなくても、人の感触があるなら安心だ。
階段をおりると、一階の様子がはっきりと確認できた。
冷房がきいているのだろうか。妙に肌寒く感じる。上着を羽織ってくれば良かったかなと少し後悔した。
皆がついてきているか不安になって後ろを見る。今度は欠員もなかった。秀喜と笹田、工藤が確認した僕を見つめて複雑な表情をしている。
勝手に消さないでくれ。ちゃんとついてきているから――そんな声が聞こえてきそうだ。
「じゃあ、捜そうか。僕と秀喜は右側の席、笹田さんと工藤は左側を見てよ。空席にいる可能性が高いから、背格好の似ている人には注意して」
――班長なのだからしっかりしなくては。そんな責任感のせいか、いつの間にか僕は先頭で指揮をとっていた。
乗客の顔を見ながら少しずつ進んでいく。地味な作業だが乗客の数が多いので一苦労だ。
しかも、機内が薄暗いので遠くの人は見にくい。思わず目を細くしてしまう。
窓に顔を向けながら寝ている人もいて、宮本や田淵ではないと確認するのに数分要した。
奥に進んでトイレやドリンクバーも覗きこんだが、担任も二人の姿もなかった。
「いないな。どこに消えちゃったんだろう……」
何の手がかりもなくなった僕たちは、トイレの前で考えこんでしまう。
その時だ。
「!」
カシャンという音とともに鍵の音が響いた。僕の後ろにはトイレがある。鍵の色は赤表示。つまり、誰かが入ったということだ。
しかし、秀喜と笹田、工藤の三人は鍵の色を見たまま、全身を硬直させている。彼らが動けなくなった理由を、僕はすぐに知ることとなった。
「おい、今、誰か入ったの見たか?」
聞いた秀喜の声が震えている。
誰でもいいから見たと言ってくれ。質問というより、そんな秀喜の魂の訴えが聞こえてきそうだ。
そんな秀喜の訴えを裏切るかたちで、笹田と工藤は首を横に振った。こんな状況で嘘をつく意味などない。それを証拠に、二人の顔面も蒼白になっている。
トイレに背中を向けていたので、僕は誰が入ったのか見ていない。けれど気配を感じなかったのは事実だ。
「……疑問をほうっておくより確認しよう。誰が出てくるのか待てばいい」
僕の案に三人は生唾を飲みこむと、言葉なく首を縦に振った。緊張の中、息を潜めて出てくるのを待つ。
程なくして、鍵の開く音が響き、表示が緑になった。トイレの扉が少し開く。
しかし、十秒、二十秒、一分と待っても、人が出てこない。
不思議から不安に、最終的に恐怖の感情に切り替わる。掌だけではない。全身から汗がどっと噴き出てくる。背筋に悪寒がはしっているから、これは冷や汗だ。
「……声かけようか? 中で倒れているかもしれない」
秀喜は言うが、当人にそのつもりはないのだろう。視線を僕に向けたまま動かさない。
僕は思いきって口を開いた。
「誰か入ってますか?」
訊いてから、自分が馬鹿馬鹿しいと感じた。
誰が入ったのか見ていない。そう三人は言っていて、僕は確認していないのだ。
けれど、自動的に鍵が解錠するなんて、現実的にはありえない。
返事がないので、僕は扉に手をかけた。
「開けますよ」
中の人に語りかけるように扉を開く。そこには――。
「!」
いるはずの人がいなかった。
「嘘だ――」
目の前で自動的に開いた鍵。しかも、扉も確かに開いたのだ。いないわけがない。
当然、トイレは窓のない密閉空間だ。それに、窓があったとしても、高度一万メートルの上空では、開けて逃げようなどとは誰も考えつかない。
不意に笹田が言っていた、バミューダ現象を思い出した。
フロリダ半島とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ、魔の海域。行方不明事件においては、こちらのほうが知名度は高いだろう。
テレビで、何百もの飛行機や船が行方不明になった海域と聞いたことがある。機全体と人だけが姿を消す現象との違いはあるが、どちらも消滅したという共通点がある。
更に、バミューダ現象とともに言われている怪奇現象が逆バミューダ現象――。
何十年も前に行方不明になった飛行機が、突然、空港に着陸するという話だ。そして、機体内は普通の状態ではなく、乗客全てが白骨化しているという事件。
いたはずの人はどこに行き、消えたのか? この機は同じ現象の中にいる。
「やっぱりいない……」
秀喜が目を見開いたまま呟く。僕も見た現実を脳裏から消し去ろうと扉を閉めた。
――が、僕の思いは次の瞬間、打ち砕かれた。
誰もいないはずのトイレの中から、水が流れ出す音が響いたのだ。
「うわあああああああっ!」
僕が後ずさりするより早く、秀喜が悲鳴をあげて逃げ出そうとした。
別行動をするといけない。僕が秀喜を呼びとめようとすると、笹田と工藤が秀喜の腕を片方ずつつかみ取っていた。
皆、わかってきたのだ。
この機には『何か』がいる。その『何か』が、乗客を一人ずつ消している。別行動をすることが、逆に悲劇をもたらすであろうというのを。
工藤が真剣な面持ちで、僕と笹田、秀喜を交互に見る。
「よく聞いてくれ。この機内には乗客を一人ずつ消す化け物がいる。だから、互いの手を繋いだまま行動するんだ。まずは席に戻ろう。馬鹿にされるかもしれないけど、皆に報告したほうがいい」
工藤の意見に誰も反論しない。無言のまま、三人同時で首を縦に振った。
誰が先頭で進むか? という雰囲気がただよい、仕方なく班長の僕が、先頭を行くことに決まった。続いて笹田、秀喜、工藤の順だ。
工藤は「最後じゃ怖い。真ん中にしてくれ」と、お化け屋敷に入る子供のような懇願をしたが、秀喜の「俺も怖いんだよ」という気迫ある言葉に押されて従った。
恐る恐る一歩、二歩と、すり足状態で客席に向かいはじめたその時だ。
僕は前方に黒い大きな影が、通り過ぎていったのを見た。機内に鳥が飛んでいるはずがない。いや、その影は鳥とは言えないほど巨大な物だった。全身が引き裂かれるような、ぞくりとする悪寒を感じる。
恐怖のあまり、その場で僕は動けなくなってしまった。後ろを振り向くと、三人の視線が僕に向けられている。後ろの三人は見えなかったのだろう。隣にいる笹田は先に進んでとせがむように、握った手で押している。
あの影が一体何なのかわからないまま、僕は仕方なく、前に進みはじめた。
しかし、通路から客室に移動した時点で、僕らが目を疑う光景が眼前にあった。
「……あっ」
僕は吐息のような声をあげることしかできなかった。