離陸
〈○○八便、○○行きをご利用のお客様に申しあげます。搭乗のご案内をいたします〉
空港に案内をしらせる、女性のアナウンスが鳴り響く。
これを聞いた僕たちは搭乗手続きをすませると、担任の後についていくかたちで飛行機に乗りこんだ。案内されたばかりなので、機内に人影はなく、僕たちが一番のりのようだ。
「荷物を小さくするように」と、担任から注意されていたのだが、思いの外、荷物が大きくなってしまった。それなので、狭い通路を進んでいくだけでも一苦労である。
けれど、飛行機の離陸には十分時間があるし、二階は僕たちの貸し切り状態だ。
慌てず指定された自分の席をさがせるし、他の客の視線を気にする必要もない。
出掛ける前の教室で「飛行機に乗った経験のある者は?」と、担任に質問されて、手をあげた生徒の数は十人ほどだった。
初心者も同然である僕たちが搭乗に手間どって、他の客に迷惑をかけてはいけない。学校側は、そう判断して搭乗時間に余裕をもたせてくれたのだろう。
さて、勘の鋭い人なら、既に僕が飛行機に乗った理由を悟っていることだろう。
一生に一度の思い出だから。クラス全員が声を揃えて言う。
そう、今日僕たちは高校生活最大のイベント、修学旅行の初日なのだ。
行き先は海外。海外旅行がはじめてという者も多く、みんな期待して大いにわいた。
冷静に傍観するつもりだった僕も、心の中で地元名物を食べてみたいと考えて、今日という日がくるのを心待ちにしていたのだ。
それで、恥ずかしいことだが現在の僕はというと、興奮で寝つけずに、そのまま朝を迎えてしまった。それが理由で睡魔に襲われ、意識が朦朧としている。
それでも、
「班長、俺たちの席発見! ここだぜ!」
隣の席に座る親友の伊藤秀喜に言われて、僕は意識を取り戻すことができた。
しかし、「誰もなりたがらないからお前やって」と、半ば無理やり押しつけられた『班長』という肩書で呼ばれるのは何かこそばゆい。
「あのさ、いつも通り、名前で言ってよ」
僕が席の上にある棚に荷物を入れながら言うと、
「りょうかーい。立花亮さま!」
秀喜はおどけた口調で改めて言って、荷物を手渡してきた。
自分の荷物も入れてくれということなのだろう。お互い、荷物が大きいせいか詰めこむのに苦戦したが、何とか作業を終えて席に深く腰掛ける。一息吐いて生き返った気分だ。
「本当はタッチー、俺とよりあっちと隣同士で座りたいんだろうけど」
隣に座った秀喜はあだ名で僕に話しかけると、機内に入ってきた他の生徒に目を向けた。
秀喜が見る視線の先には、笑いながら席を探す女子たちがいる。その中に、同じ班である笹田紗枝の姿があった。
僕は小学校四年生の時、偶然隣の席になった彼女のことが好きになった。
突然、体育館の裏に呼び出して「好きです」と告白できる勇気があったなら、苦労なんてなかっただろう。活発で笑いを絶やさない、成績も優秀で皆に人気がある。
そんな彼女に対して僕は、クラスの中心人物でもなく、成績も運動も全てにおいて普通。中途半端な僕が、笹田さんに釣り合うわけがない。無視されるのがオチだ。
当時の僕は告白する勇気もなく、自分にも自信が持てなかった。だから、彼女への想いを内に秘め、遠くから見守る道を選んだ。
中学の時には同じクラスになり、部活も同じバスケ部で告白するチャンスはいくらでもあった。
しかし、いざ向かい合うと緊張でまともに彼女の顔を見られなくなり、話すらできない。
進展もないまま中学生活を過ごし、遠目で見つめるのが僕にできる精一杯と思っていた。その頃だ。友達の口から「笹田がお前のこと好きらしいぜ」と聞いたのは。
友達というのが今、隣にいる秀喜であるのだが、女同士で好きな人を言い合う場面を偶然見て、思いがけず彼は聞いてしまったらしい。
「笹田のこと、好きって言ってたよな? 多分、両想いだから告白してみろよ」
秀喜から聞いたのと中学三年生で卒業もあって、僕は思い切って卒業式の二か月前に、笹田を体育館の裏に呼び出して「好きだ」と告白した。
「私も――」というのが笹田の答えだった。「私も――」に続く言葉はくぐもって、よく聞こえなかったが、僕には十分すぎる答えだった。
高校の合格発表を一緒に見にいき、互いに番号を確認して喜んだ。帰りも待ち合わせするし、買い物も一緒にいく仲になった。
そして、僕と笹田の中で、あるひとつの約束が交わされた。
みんなの前ではくっつかない。一緒にいるのは学校以外の場所で。
そんな付き合いかたなので、僕と笹田の関係は、親友の秀喜だけが知るところとなっている。
〈○○八便、○○行きをご利用のお客様に申しあげます〉
アナウンスが響くと同時に、機内が騒がしくなりはじめた。離陸時間がちかづいているのだろう。数時間後には海や国境を越えて、異国の地に足をつけているはずだ。
〈当機はただ今より、離陸いたします〉
女性のアナウンスとともに、機体が動くと浮きあがり地面が離れていく。通路側にいる僕は、外を見て興奮する秀喜の脇から景色を眺めた。
「楽しみだね」
声に気づいて横を見ると、通路越しにいる笹田と目が合った。
皆に気づかれないように付き合う。
それが僕らの暗黙の了解だったが、通路越しで隣り合わせなら気づかれないだろう。
機内での席順を決める時、計画的に彼女と通路越しになれるようにしたのだ。
笹田は「楽しみ」と僕に言ったが、なんとなく不安そうな表情が見てとれる。
『飛行機に乗るのははじめて』という笹田が言っていたのを、不意に思い出した。
「耳がおかしくなった時は、あくびをすればいいよ。気圧の変化でそうなるらしいからさ。耳の中の気圧と外の気圧を同じにすればいいんだって」
少しでも笹田の気持ちを和らげようと、僕は彼女に親から教わったことをそのまま伝えた。