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ある小説家志望の十二カ月

ある小説家志望と爆弾

作者: コーチャー

『かえましょう、かえましょう』


 一月七日。大勢の人々が叫びながら両手を一月の寒空に向けて伸ばしている。その手には拳一つ分くらいの袋が握られており、なかには『うそ鳥』と呼ばれる鳥を模した彫刻が入れられている。そして、その袋を本殿から響く太鼓の音に合わせて近くの人と交換していくのである。僕が手にしたうそ鳥も近くにいおじさんからおばさん、受験生風の女子高生、という具合に遠くへ飛び立っていった。


 隣を見れば、藤阪さんが去ってゆくうそ鳥を寂しそうな表情で見送っている。


 藤阪さんは、僕が所属する文芸サークル『あすなろ』の隣に居を構える占いサークル『千里眼』の一年生である。考えてみれば、僕と彼女は六月に彼女の盗まれた傘を取り戻したことが奇縁となっている。それから半年で初詣に一緒に行くことになるとはわからないものである。


 いま僕たちが参加しているのは「鷽替え(うそかえ)」と呼ばれる神事で、学問の神様である菅原道真が祀られている天満宮の年中行事の一つである。昨年あった不幸をウソに変えて幸福に変える。そのため、交換するのはウソと音が同じうそという鳥の置物なのだという。


 昨年、僕の身には様々な不幸があった。もちろん、不幸だけではなかったが、一年をならしてみれば不幸がやや勝るという印象であった。


 そんなことを考えていると、本殿から一際大きな太鼓の音が鳴り渡り、うそ鳥の交換が終わった。僕の手にはどうにも目がとぼけたうそ鳥が降り立っている。隣をみれば妙に目元が涼やかなうそ鳥がこちらを見ている。


「森久保先輩のうそ鳥は可愛いですね。それにどこか似ていますよ」


 それは、僕とこの鳥が似ているということだろうか。だとすると僕は彼女にこんなとぼけた顔をしていると思われている、ということにある。これまで頼れる先輩をやってきたと思っていたのが、急に心もとなくなってきた。


「そっちのはかっこいい顔しているよね。澄ましているというか……」

「ゆとりがある。鳥だけに。とか言わないでくださいね」


 藤阪さんは笑顔で渾身の冗談を牽制した。なぜバレたのか。僕は全身から嫌な汗がじっとりと流れ出すのを感じた。彼女はそんな僕のことなど気にならないようにうっとりとした表情でうそ鳥をみつめている。気に入ったのだろう。


「しかし、知らなかったよ。大学の近くでこんな行事をしていたなんて」

「マイナーな行事ですから。でも、私も久しぶりに参加しました。おかげで今年はいい年になりそうです」


 弾むような声で言うと、彼女はうそ鳥を大事そうにカバンの中にしまいこんだ。明るいオレンジ色の革の鞄でどことなく品がある。一方、僕はといえば高校時代から使っているカーキ色のショルダーバックであり、お世辞にも品があるとは言えない。


「さて、初詣と厄落としもできたしお昼ご飯でもいこうか?」


 わざわざ後輩を休日に呼び出して初詣に付き合わせたのである。昼ご飯くらいは奢らなければ先輩としての面目がたたないというものである。なによりも今日は神社の場所から時間まで藤阪さんに段取りしてもらっているのだ。それくらいのお礼は礼儀というものだろう。


「お昼ですか? まだ早いですよ。どうでしょう? 一度大学会館に行きませんか?」


 時計を確認すればまだ十一時である。確かに昼ご飯というにはいささかはやい。大学まではバスで十分もかからないので行くのは構わない。だが、しめ飾りもとれない七日に何があるというのだろうか。


「大学会館? 開いてるのかな?」

「大丈夫です。前衛美術同好会『月と六ペンス』が四科会の新春展を模した五課展というイベントをやっています」


 前衛美術同好会『月と六ペンス』といえば藤阪さんの傘を盗んで色とりどりの巨大てるてる坊主を制作したサークルである。事件のあと傘が何に使われていたかを知った彼女はひどく興味を持って『月と六ペンス』に写真を見せてもらいたい、と言っていた。が、展示会にまで顔を出していたとは知らなかった。


「面白いの?」

「面白いですよ。変なものが多いので。大量のホストイットで作ったモナリザとか、床にパイプをつけただけの出る杭とか。時間を潰すにはちょうどいい感じなので」


 きっと僕が「美しいの?」、と聞いていれば彼女は「まったく。でも面白いですよ」、と答えたに違いない。僕は藤阪さんにそこまで言われる『月と六ペンス』の展示会を見るために大学へ戻った。まだ冬休み中の大学は人もまばらで、警備の職員や自主練をする運動部くらいしか見当たらない。その中で『五課展』と書かれた看板を持って寒さに震えている男に僕は見覚えがあった。


「あっ、いつぞやの正義の味方さんじゃないですか!」


 おかっぱ頭をした男子生徒が僕を見て言う。茶色だった髪にはピンクと紫のラインがつけ加えられ、毒キノコみたいな色になっている。僕は正義の味方をしたわけではないが、彼から見れば僕は「女生徒のために傘を取り戻しに来た正義の味方」ということになるのだろう。


「あのときはどうも」


 僕がぶっきらぼうに答えると「いえいえ、あれは勝手に持っていった俺が悪いんで。でも、ほんとにあのあと戻しに行くつもりだったんですよ」、と軽い口調で言った。どうやら彼の頭には反省という言葉はないらしい。それから彼は僕の隣にいる藤阪さんに気付いたらしく急に顔をこわばらせた。


「展示会を見たいのですがいいですか?」


 藤阪さんが言うと、きのこヘアーの男子生徒は表情に明るさを取り戻した。


「どうぞどうぞ。いくらでも見に行ってよ。ホント助かった!」


 あとで聞けば、この看板持ちは交代制で誰か客を連れて行かない限り変わってもらえないのだという。この寒空の下よくやると思うが、そこまでしなければ集客できないのだと思うと不憫にさえ思える。


 きのこヘアーに案内されてたどり着いた大学会館では閑古鳥かんこどりが鳴いていた。受付と思われる女生徒は記名帳に落書きをすることに忙しいらしく僕たちが入ってきたことさえ気づかなかった。


「おい、中野! 客! 客!」


 きのこヘアーが声をかけると中野と呼ばれた女生徒は我に返ったのか顔を記名帳からあげた。


「あ、え、あえ、すいません」


 見事な狼狽であった。女生徒は顔を真っ赤にしながら僕たちを見た。そして、藤阪さんをみると「学園祭ではありがとうございました!」と深々と頭を下げた。学園祭のときに何があったのか興味があったが藤阪さんが「私は何もしていませんので」と苦笑いを浮かべたので尋ねることはできなかった。


「見学いいですか?」

「はい、大丈夫です。では、ここに記帳を……」


 中野さんが出した記名帳にはアニメのキャラクターで埋め尽くされており、名前を書くスペースを探すほうが難しかった。藤阪さんはそれでもどこかに名前を書こうと手にしたボールペンを構えていたが「無理ですね」、と諦めた。


「ごめんなさい! 次のページを使ってください」


 再び真っ赤になった中野さんは身を小さくして記名帳のページをめくった。


「中野はほんと間抜けだよな。さっきも缶コーヒーこかして中身ぶちまけてただろ」


 きのこヘアーが大声で笑う。


「うるさいなー。金原は早く外へ戻って看板持ってきなさいよ」

「残念でした。俺はいま客を連れてきたから交代なんだよ。次は北川先輩の番なんだよ」


 このとき僕ははじめて、きのこヘアーの名前が金原君だということを知った。僕たちは記帳を済ませると、パーテーションで仕切られた展示室へと足を踏み入れた。


 そこには、針金で作られたネズミやルーズリーフで作られたであろう木々が『はりがねずみ』、『かみの木』と題されていた。そのなかでも異彩を放っていたのが『曽呂利そろり青年像』と書かれた大きな人物画であった。


 人物画といったが曽呂利青年と思われる人物の肌や目は微細な花の絵で出来ている。この絵は遠目には青年に見えるが、近づいてしまうと花の絵にしか見えないのである。


「だまし絵ですね。日本だと歌川国芳の人寄せ絵が有名ですけど。あれは変に生々しいので気色悪いですが、これなら綺麗でいいですね」


 藤阪さんが感嘆の声をあげる。確かに花でできた青年は鮮やかで美しかった。


「確かにこれはすごい。これだけの花を書くのはとても時間がかかっただろう。それに花の所々ある水雫が本当に光っているように輝いている」

「それは、きっと油絵具のなかにアルミの粉末が混ぜられているのだと思います。私たちが日常で使うペンや塗料の銀色や金色はアルミの光沢なんです。でも、そんな理屈抜きに瑞々しい色合いですね」


 藤阪さんとそんなことを話していると、手が作品の横にあるサイドテーブルに触れた。そこには赤い花が入った花籠はなかごと一緒に『作 御丘玲子おおか・れいこ四回生。大学美術展金賞受賞作』、と書かれた木板が置かれている。なるほど、この作品なら金賞と言われてもおかしくはない。傘でできたてるてる坊主が金賞と言われたら首をひねっていただろうが、これなら文句のつけようがない。


「気に入っていただけましたか?」


 振り返ると、金髪の女生徒が立っていた。髪が派手なのに対して顔立ちが地味なせいでどうしようもない違和感がある。ハムスターの群れの中にラットを一匹入れた。そんな感じである。


「ええ、とても素敵です」


 藤阪さんが賛辞を送ると、御丘先輩はまんざらでもない顔で笑った。


「これだけ大きな絵を描くのは大変だったでしょう?」

「ええ、とても大変でした。花を描けども終わりが見えないので何度筆を置こうとしたことか。ですが、私の熱い美術への情熱がこの作品を完成させたのです」


 御丘先輩は、それからしばらくこの絵を仕上げるまでにかかった苦労話をみっちり一時間にわたり、僕たちに聞かせてくれた。就職活動の片手間に書く大変さ。下書きだけでも一ヶ月かかっていること、など様々である。昼ご飯までの暇つぶし、という意味では十分であった。最初は笑顔で話を聞いていた藤坂さんも十五分を過ぎた頃から笑顔を貼り付けたまま「へぇ」と「そうなんですか」、「すごいですね」しか言わなくなった。


「御丘。それくらいにしないと他の作品が観てもらえなくなる」


 渋い顔をした男子生徒が御丘先輩をたしなめるように言う。御丘先輩は明らかに嫌悪の表情で男子生徒に「あら、私の作品がこの中じゃ一番目を引くと思うわ。あなたの冗句みたいな作品とは違うのよ」ときつい声で言った。


「それは……僕の作品は君ように派手ではないけど」


 そこまで言って男子生徒は僕たちのことを思い出したらしく「すいません。お客さんの前で」と謝った。それから彼は改めて僕たちに自己紹介をした。


「僕がこの同好会『月と六ペンス』の会長をしている四回生の滝口太郎と言います。会長と言っても腕前はこの通りであまりうまくないんですけどね」


 滝口先輩はルーズリーフでできた木を指差すと乾いた笑いを響かせた。


「いえ、僕はああいうものも好きですよ」


 僕は気を使って好意を示したが、誰から見てもお世辞にしか聞こえなかったに違いない。


「学園祭で展示してあったホストイットのモナリザは会長の作品ですか?」


 藤阪さんが尋ねると滝口先輩は妙に嬉しそうに首を縦に降った。


「そうなんだ。あれは僕が作ったんだ。覚えてる人がいたなんて嬉しいな」

「本当にそうね。あんな工作を覚えている人がいるなんて奇跡だものね」


 御丘先輩が冷水をぶちまけるようにいうと滝口先輩は、しなしなと暗い顔になった。気まずい雰囲気から僕はアイコンタクトで藤阪さんにそろそろ行こうか、と合図しようとしたときだった。


「あの、良かったらコーヒーでもいかがですか?」


 と、中野さんが缶コーヒーを持ってきていた。一時間以上立ち話をしていた僕たちに気を使ってのことであろうが、この際は間が悪い、としか言い様がない。


「そうね。せっかくのお客様に何もなしじゃ悪いものね」

「そうだね。立ち話で疲れただろう。部屋の隅に簡単な席があるからそこに座るといい」


 二人にに促されて僕たちは部屋の隅に置かれたパイプ椅子に腰をつけた。ずっと立っていたので有難かったが、まだ彼女らの話を聞かなければならないのかと思うと気が重い。それは藤阪さんも同じようで彼女は僕の顔を見ると疲れたような笑みを浮かべた。


「私はブラックを」

「僕は微糖を」


 僕たちは出された缶コーヒーを手に取る。缶コーヒーは最近流行りのキャップ式でプルタブ式のように飲みきらなくても再びフタができるものだった。これなら、コーヒーを飲みきらなくても適当なところで逃げることができる。またアルミなのでスチールよりも軽くて持ち運びしやすい。


「中野さんの作品はないのですか?」


 藤阪さんが尋ねると中野さんは少し困ったように御丘さんの顔をみたあとで「私、筆が遅いもので間に合わなかったんです」、と答えた。


「……そうですか。残念です。学園祭で見た中野さんのひまわりが大変綺麗だったので」


 心底残念、というように藤阪さんは小さなため息をついた。


「まぁ、中野は一回生ですから次があるわ」


 御丘先輩がうなだれる藤阪さんと中野さんに声をかける。滝口先輩はそれを少し怒ったような表情で見ていた。


「しかし、君は僕たちの展示会をよく見てくれているんだね」


 滝口先輩が話を変えるように藤阪さんに尋ねる。確かに、彼女は僕が思っている以上に前衛美術同好会『月と六ペンス』の作品をよく知っている。傘を盗まれた縁があるとは言え、そこまで彼女が美術が好きだという印象は僕にはない。


「それは……」


 彼女が口を開いたときだった。僕たちの後ろで何かが爆発したような音がした。爆発といっても大きいものではない。市販の打ち上げ花火を打ち上げるときのような軽い音だ。音ともにツンとした匂いが部屋を充満する。火薬が燃えた匂いとは違うなにか酸っぱいような匂いである。


「一体何だ!」

「えっなに?」

「落ち着け!」


 僕たちが音のほうを見ると例の曽呂利青年像の横に置かれたサイドテーブルにあった花籠が吹き飛んでいた。中に入っていた赤い花は無残に飛び散っている。床には爆発に巻き込まれたのか僕たちが飲んだのとコーヒーと同じアルミ缶ひしゃげて落ちている。また、その周りに花の保潤材だろうか。なにかの液体がぶちまけられたように広がっていた。


「わ、私の絵が!」


 ひときわ甲高い金切り声を上げたのは御丘先輩だった。曽呂利青年像を見ると絵全体が白く汚れている。先程まで瑞々しく見えていた花々は白くくすみ生気を失っている。青年を構成する花々が生気を失うと青年自身も枯れたようで、とても気味が悪い。


 御丘先輩が慌てて、絵に触れると「熱っ!」と叫んで手を離した。

「御丘! 絵から離れろ」


 滝口さんは御丘さんを後ろから掴むと強引に絵の前から引き離した。騒ぎを聞きつけたのか金原君が部屋に入ってくると、滝口先輩は全員に展示室から出るように指示をした。僕たちは追い出されるように展示室から受付にまで戻った。


「一体何ですか。あの音は?」


 金原君が尋ねると滝口先輩が「何かが爆発した。御丘の絵はそのせいで白く汚れたんだ!」と早口で答えた。


「私の絵が……」


 御丘先輩は、糸が切れたように床にへたりこんでいる。自分の力作が無残な姿になったのだ。とても気丈にはいられないに違いない。


「金原、中野はここで御丘を見ていてくれ。俺は中をもう一度見てくる!」


 滝口先輩はそう言うと、展示室へと入っていった。


「藤阪さんは怪我とかない?」


 僕が尋ねると藤阪さんは全身を動かして「大丈夫です」と答えた。少し声が強張っていたが僕が見る限りでも彼女に怪我はない。しかし、何が爆発したのか。サイドテーブルにあった花籠が爆発しているように見えたが、花籠が爆発するなんて海野十三の『爆薬の花籠』ではないか。


「森久保先輩も大丈夫ですか?」


 心配げな顔で僕を見る藤阪さんの言葉で僕はようやく自分も怪我をしているのではという可能性に気づいたが、どこにも痛みはない。


「大丈夫だよ。問題ない」

「良かった……」


 藤阪さんが安堵した顔をしたのを見て、僕も少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。


「しかし、何が爆発したのか?」


『爆薬の花籠』ではBB火薬という少量で強力な爆発を引き起こす架空の物体が登場する。だが、これは現実である。そんな火薬は存在しない。


「森久保先輩、あれは爆発じゃなくって……」


 藤阪さんが僕に何か言いかけたとき、


「皆、これを見てくれ!」と、展示室から慌てた顔で滝口先輩が戻ってきた。


 彼の手には一枚の紙が握りしめられている。そこには、こう書かれていた。


「 ――オモイダシテクダサイ。アナタタチノツミデ、アノエハ、スデニウシナワレタ。ワタクシノテニヨッテ、バクハツシタノデス。ソレガコマルナラ、ニドトエフデヲモタヌコト。ケイサツニツゲレバモウイチド、スグバクハツサセマス。ワタクシハ、イツモチャントミテイマス」


 気味のわるい脅迫状であった。そして、変な脅迫状である。


 ――思い出してください。貴方達の罪であの絵は、既に失われた。私の手によって、爆発したのです。それが困るなら、二度と絵筆を持たぬこと。警察に告げればもう一度、すぐ爆発させます。私は、いつもちゃんと見ています――という文面である。


「これは?」

「あの花籠の底にあったんだ!」


 興奮した様子で滝口さんが言うと、中野さんと御丘先輩の顔が青くなった。金原君は驚いた顔をしていたが、どこか他人事のように「御丘先輩が狙われたんですねよね」、と冷たい声を上げた。滝口先輩はそれを無視するように「金原、外で看板を持っている北川を呼んできてくれ」、と言った。


「これはルーズリーフですね」


 爆発の衝撃かひどくくしゃくしゃになっている脅迫状を伸ばしながら藤阪さんがいった。確かにこれはルーズリーフである。どこにでも売っているものでここから犯人を見つけるのは難しいだろう。


「おい、なんか爆発したって?」


 看板を片手に持った身長の高い男子生徒が金原君と一緒に駆け込んできた。彼が北川先輩なのだろう。


「そうなんだ。皆、あの花籠がいつからあの場所にあったのか分かるか?」


 滝口先輩が質問すると、金原君と中野さんが手を挙げた。


「あれはちょうどこの人たちが来る前に、花屋が持ってきました。「金賞おめでとう。OB・OGより」ってメッセージがあったのでそのまま受け取ったんだよな? あと、そのとき中野が缶コーヒーこかして、服にコーヒーがついたからってトイレに行きました」


「いらないこと言わないでよ。はい、そうです。私と金原で受け取りました。受け取り伝票もあります。受け取ったあとは私がサイドテーブルの上におきました。それから、破裂が起こるまで花籠には近づいていません」


 伝票には僕らがここに現れる少し前、十一時に納められたことが書かれている。花屋の名前を見ると大学の近くの花屋で僕も知っている店の名前だった。


「それなら俺も見たわ。金原と看板持ちを変わるまで俺も展示室にいたから見ていた。そのあとはこの二人が展示室に入って来る前に金原と看板持ちを変わったからそのあとは知らんわ」


 北川はあっけらかんとした口調で言うと、僕たち二人を見た。そこには少しの疑念がこもっていた。彼は思っているのだ。僕と藤阪さんは北川と入れ違いで展示室に入った。その後、御丘先輩に声をかけられるまで展示室には僕たちしかいなかった。つまり、彼は僕らが花籠に何か細工をしたのではないかと、考えているのだ。


「私が早めの昼食を終えて展示室に戻ったとき、この二人が絵の前にいたわ」


 青ざめた表情の御丘先輩が言う。最後に滝口先輩が「俺が昼食から戻った時にはこの二人と御丘が話し込んでいた」、と付け加えると全員の目が僕たちに注がれる。疑われるのが僕だけなら良い。だが、藤阪さんもとなれば話は変わってくるのだ。


「まさかあのとき傘を盗んだことを根に持って!?」


 金原君が藤阪さんを睨むように言う。


「傘? なんのことだ。金原、説明しろ」


 滝口先輩が説明を求めると金原君は六月にあったことを手短に説明した。自分が藤阪さんの傘を無断借用し、それを取り返しに僕が部室に現れたこと。確かに僕たちには動機らしきものがあるように見えるだろう。だが、僕たちは花籠に触れてさえいない。


「……僕たちは脅迫されている身だから強くは言わない。だが、君たちが傘のことで恨みに思いこのようなことをしたのなら、もう二度とこのようなことをしないで欲しい。どんな作品でも壊されて怒らない作者はいない」


 強い口調で滝口は言うと僕たちを睨みつける。その側で、先ほどまで青い顔をしていた御丘先輩が般若のような形相で僕らを見つめている。このまま彼らの疑いをうけたままかけることはできる。僕一人ならそれでもいい。だが、藤阪さんも一緒なのだ。


 もし、これがもとで藤阪さんに何かあれば僕はきっと後悔するだろう。なぜあのとき、僕はちゃんと反論しなかったのだろう。犯人を見つけることができたのではないか。それは学園祭の時に味わったことだ。ちゃんと考えていれば分かることを人ともめるのが嫌で先送りした。そのせいで、多くの人がより不幸になった。


 考えろ。できるはずである。


「今回は、君たちがやったことを証明できない。だが、今度すれば僕は絶対に君たちを許さない。行きなさい。そして、僕たちの前に現れないでくれ!」


 滝口先輩はそう啖呵を切るとと、学生会館の出入口を指差した。出て行けということらしい。僕は大きく息を吸い込むと、自分でも驚くくらい冷たい声が出た。


「滝口先輩は、本当にそう思っているんですか?」


 北川先輩と金原君の二人が肩をいからせて僕に今にも飛びかかろうという姿勢を見せる。きっと殴りかかられれば僕は五秒と持たないだろう。だが、それでも言わねばならない。


「まず、最初に僕たちが花籠を爆発させる細工ができることは認めます。ですが、ここにいる人のなかでもできた人間が三人はいます。それは北川先輩、金原君、中野さんの三人です。まず、北川先輩は中野さんが花籠を置いていったあと僕たちが入るまでに細工ができたはずです。次に金原君は中野さんがトイレに行っている隙に細工ができたはずです。最後に中野さんは花籠を受付から展示室まで運ぶまでにその機会があったはずです」


 北川先輩や金原君、中野さんがお互いの顔を見合わせて「まさか」、という目をする。


「それは君たち以外でもできた、というだけで君たちじゃないという証明ではないだろ」

「はい、そうです。ですが、できないことが一つだけあります。それは脅迫状です。あれは僕たちには書けません」

「どうして? あれは傘を盗んだことを罪として書いたものじゃないのか? 金原が傘を無断借用した話は、金原を除けば俺達は知らなかった。なら、あれを書けるのはお前たちになるじゃないか」


 北川先輩が反論する。だが、これは想定のうちである。


「文面はそうかもしれません。ですが、あの脅迫状に使われた紙は僕たちには絶対に手に入れられないものです。滝口先輩。もう一度、あの脅迫状を出してください」


 僕と目線が合うと滝口先輩は少し嫌そうな顔をして、脅迫状を僕たちの前に差し出した。


「なんてことのないルーズリーフじゃないか? これのどこが絶対に手に入れられないだ!」


 眉間にしわを寄せて北川先輩が僕に詰め寄る。


「北川先輩は、滝口先輩のかみの木という作品を見たことがりますか?」

「そりぁ、知ってるよ。……まさか、それが」

「はい、この脅迫状はかみの木の一部です。いま展示室に行けば、まだ壊れたかみの木が残っているはずです」

「いや、それがかみの木の一部だとしても俺が展示室を離れて御丘先輩が戻るまでのあいだにお前が脅迫状を書いた可能性がある!」


 顔を歪めながら北川先輩はちらちらと滝口先輩を見つめて声を荒げた。


「いいえ、それは無理なんです。僕たちはこのかみの木を一緒に見ている。そうでしょう? 滝口先輩、御丘先輩」

「……ええ、見たわ。その時はちゃんと木の形をしていたわ」

「見たよ。君はそれが好きだと褒めてくれた。お世辞でも嬉しかったよ」

「滝口先輩。あなたは言いましたよね。どんな作品でも壊されて怒らない作者はいない。見に行きましょうか?」


 僕が展示室へ向かおうとすると滝口先輩が「行かなくてもいい。あの木はもう枯れている。僕が枯らした。脅迫状を書くために。他人に壊されるのは我慢できない。だが自分なら……」、と消え入りそうな声で言った。


 北川先輩や金原君が「どうして?」と問いかけるが、滝口先輩は黙ったまま口を開こうとはしなかった。だが、中野さんが「どうしてですか?」と言うと彼は口を開いた。


「悔しかったんだよ。同期の御丘が金賞をとっているというのに僕は下手の横好きの工作みたいな作品しか作れない。有り体に言えば僕は彼女に嫉妬したんだ。だから、彼女が自慢の種しているあの絵を吹っ飛ばしてやろうと思った。そして、爆弾入の花籠を用意して花屋に届けさせたんだ」

「あんたが!」


 御丘先輩が手を大きく振り上げて滝口先輩の頬を叩いた。パンと乾いた音が室内を響く。御丘先輩は、その後も滝口先輩を罵るような言葉を叫んでいたが、それは彼女自身の涙と嗚咽によってほとんど聞き取れなかった。


「もう、いいだろ。すべては僕がしたことだ」


 すべてを諦め切った顔で滝口先輩がつぶやく。


「認めるんですね」

「ああ、僕の最大の失敗は君たちを犯人にしようとしたことだろうね。変に色気を出して脅迫状なんて書かなければよかった。そうすればバレなかったかもしれないのに……」


 自重するように笑うと彼は、北川先輩の肩を叩いて「次の部長はお前だ。すまんな。最後の最後でこんなことになって」と笑顔を見せた。それはあまりにも痛々しい笑顔でとても直視できるものではなかった。北川先輩は、言う言葉が見つからないのか口を二三度開こうとしたままついに言葉を発しなかった。


「滝口先輩が脅迫状を書いたことを認めたところで、誰が御丘先輩の絵をあのようにしたのか、を説明しましょう」


 この場にいるすべての人々の目線が僕に集まる。滝口先輩はさきほどまでの力ない表情が嘘のように敵愾心に満ちた表情で僕を睨みつけている。いらないことを言うな。そう言いたいことが見るだけでわかる。


「正義の味方。悪いけど、それはさっき滝口先輩が自分がやったと言ったじゃないか? 爆弾も先輩が用意して花屋に運ばせた。違うのか?」


 金原君が複雑な表情で僕に問いかける。確かに滝口先輩は自分がやったといった。だけどそれには絶対的な間違いがある。


「違います。まず一つに、花屋はメッセージカード程度なら運んでくれますが、それ以外のものは運んでくれません。だから、滝口先輩があらかじめ爆弾を用意したというのは無理があります。次に展示室で爆発など起きていないからです」

「爆発してない? 花籠の花があんなに吹き飛んで絵もむちゃくちゃになってるというのに?」


 わけがわからない、とばかりに首をひねりながら金原君が頭を抱える。


「それは、私が説明します」


 藤阪さんはすっと僕の横に立つと静かに口を開いた。


「まず、爆発と言われている現象は基本的には燃焼のことです。では、燃焼とはなにか。それは物体が酸化する際に熱と光を発することを指します。これがより急速に行われることで圧力を伴う熱と光、そして音を発することを爆発といいます。では、今回の事象で起きたことは何か? まず音です。私たちは何かが爆発するような音を聞きました。次に絵に触れた御丘先輩が熱を感じて、絵から手を離しているのを見ています。ですが、光を見た人がいるのでしょうか?」


 僕が「見ていない」と言うと、しばらくの沈黙のあと御丘先輩が「見ていないわ」と述べた。

 滝口先輩と中野さんは黙ったままであった。


「そうです。今回、光が生じていないのです。つまり、展示室で起きた現象は爆発の条件を満たしていないことになります。では、何が起きたのか。それは破裂です。破裂は密閉された容器内の圧力が上昇し、容器の限界を越えた際に生じます。このとき、圧力が解放されるため爆発音に似た音が生じます。また、気体の圧力が上昇すると分子の運動が盛んになるため熱が生じるのです」


「仮に破裂が起こったのだとして、花籠みたいに穴だらけのものでは密閉なんて無理ではないか? それともあの部屋にそれに代わるものがあると?」


 必死の形相で滝口先輩が反論を述べると、藤阪さんは悲しそうに首を左右に振った。


「あります。それは缶コーヒーの缶です」

「馬鹿な! プルタップは一度開ければ二度としめようがない」

「いいえ、できるものがあるんです。あの部屋で私たちが飲んだようなキャップ式の缶ならそれができるんです。現に床には缶が落ちていました」


 確かに床にはひしゃげた缶が落ちていた。


「いや、だがどうやって缶の内圧を上げる、というんだ? それができないなら机上の空論だ!」

「それができるんです。アルカリ洗剤です。強いアルカリ洗剤は缶の材料であるアルミと反応すると水酸化アルミニウムになります。このとき、大量の水素が生じ缶内部の圧力を上昇させます。そして、圧力に缶がたえられなくなったとき……」


 藤阪さんは細い指をぱっと開いて見せた。


「アルカリ洗剤なんてどこにあると言うんだ?」


 北川先輩が力のない声をあげる。きっともう彼は何も知りたくないに違いない。知らなければ、今までどおりでいられるのだ。それは僕だってそう思う。だけど、ダメなのだ。


「ありますよ。とても身近なところにトイレです。大学みたいに清掃業者が入っている場所ではかなり強い洗剤が使われている。つまり、缶さえ持ち込めば、誰でも洗剤は手に入れられるんです」


 僕は北川先輩の僅かな希望さえも排除する。


「では、誰がやったと言うんだ!」

「それは、さっき滝口先輩が言ったとおりです。どんな作品でも壊されて怒らない作者はいない。でも、壊すのが自分なら?」

「まさか、御丘先輩が?!」

「そんな! 私じゃないわよ!」


 疑いの眼差しを向けられた御丘先輩が叫ぶように否定する。だけど、それは僕の耳には「私の作品じゃないわよ!」と聞こえた。そうあの作品の本当の作者がいる。それは――。


「そう。あの絵は御丘先輩の作品じゃありません。私のものです!」


 中野さんが意を決したという表情で応える。それを聞いた滝口先輩は「ああ」と言葉にならない苦悶を口にした。


「御丘先輩が僕たちに語ってくれたあの絵の制作秘話はなぜか下書き、時間のなさばかりであの見事な着色を語るものはありませんでした。本来ならあの複雑で瑞々しさに満ちた色合いにこそ苦労があったはずなんです。ですが、御丘先輩はそれについては全く語りませんでした。それはあの絵の色をあなたが塗っていないからではないですか?」

「それは、色よりも苦労があったから……だって」


 ふてくされた子供のように御丘先輩はだって、だって、と繰り返すばかりであった。それに業を煮やしたのか中野さんが言う。


「そうです。御丘先輩は下書きをしただけで、色はすべて私が塗りました。そして、そのせいで私の絵は完成せず。この展示会に私の作品は一つもありません。そして、なによりもこの絵が大学美術展金賞受賞したときに御丘先輩は私に言いました」


『私の構図の上手さがあったから受賞できたのよ』


「その言葉を聞いてから私はこの絵から色彩を奪いたいと思うようになりました。あとはそこの二人が言ったとおりです。わざと缶コーヒーをこぼしてトイレで洗剤を缶に入れる。花籠を持っていくときに籠に缶を入れれば誰にも見えません」


 彼女は他人事のように淡々とそれを述べた。だが、表情はずっと曇ったままである。きっと、彼女はこんなことしたくなかったに違いない。だが、それでも許せなかったのだ。自分の描いたものが他人のものとして評価されることが。ならば、自分の描いた分だけでも葬りたい。


「だから、アルカリ洗剤だったんですね?」


 藤阪さんが尋ねると、中野さんはただ静かに首を縦に振った。僕はそれが意味していることがわからなかった。それを察してか藤阪さんは説明を加えた。


「油絵具の油はアルカリ洗剤に触れると乳化して白く濁ります。また、絵の輝きに使われていた銀色はアルミの粉末です。当然、アルカリ洗剤に反応すると水酸化アルミニウムになってその輝きを失います」


「そう。そしてあの絵から色彩は奪われ、御丘先輩が言う構図の上手さが残ったのです。今のあの絵が本当に御丘先輩のいうものなら美しさはいまもあそこにあります。どうですか。あの絵はまだ美しいですか?」


 それはとても優しい声であったが、とても残酷な言葉だった。

 皆が黙り込んだ。


 あの絵はもうすでに美しさを失い枯れている。そのことは誰の目からも明らかだったからだ。


「最後に、滝口先輩。すいませんでした。私をかばおうとされたせいで……」

「いや、中野さんがあの作品を手伝って。いや、描いているのを知っていながら僕はそれを止めなかった。僕は会長としてするべきことをしていなかったんだ。謝るべきは僕なんだ。だから、僕は……」


 滝口先輩はただ黙って泣いた。中野さんはそれを抱きしめられるわけでもなく。自分も一緒に泣くわけでもなく、抜け殻のようにそれをじっと見つめていた。他のメンバーにしてもそれは同じようで言葉を発する者はいない。


 僕は小さな声で「行こう」と藤阪さんに言うと、彼女の手を引いて、その場をあとにした。

 真実を見つけてもいいことは少ない。だが、それでも見つけなければならないことがある。それが正しい、というのはきっと傲慢なのだろうことはわかる。今回で言えば、僕は藤阪さんのため、という理由で彼らに真実を突きつけた。


 だが、藤阪さんがそれを望んでいたか僕は知らない。だから、僕は傲慢なのだ。


「森久保先輩は黙っていたかったんですか?」

「どうかな。金原君が言うとおり、僕は正義の味方だったから、黙っていられなかったのかもしれない」


 僕は藤阪さんの顔を見ないよう言った。一瞬、自分の体がこわばったような気がした。繋いだ手からそれを気づかれたのか不安になった。だけど、彼女はそれ以上何も言わなかった。


「あー。お昼ご飯どうしようか?」

「あっさりしたものがいいですね。おせちばかり食べていたので胃もたれ気味なんです」


 よく考えてみれば今日は一月七日だ。七草粥でも食べるべきなのだろう。

 しかし、粥を出してくれる店を僕は知らない。藤阪さんは知っているだろうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今までの中で一番ミステリぽかったです。いつのまにやら伏線が張られていたり、妙に科学的な推理要素があったり。動機もありがちではありますが納得できるもので、ザ・短編ミステリって感じでした。 ちょ…
[一言] このシリーズ…めっちゃ好きです!
2015/09/22 22:50 退会済み
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