9.見えない死神
目では見えない何かは、人の心を蝕んでいく。
この世界は見えないものがたくさんありすぎる。
「美智子…珠代…お父さん…もうダメだ」
34年も会社に捧げてきた。趣味も夢も投げ売って。家族のために。何万回も自分に言い聞かせて。
大きなミスをした時も。
上司に心なき言葉で罵られた時も。
会社の連中に陰口を叩かれても。
家族のために
その魔法の言葉で、ここまでこれた。
だけどもうダメみたいだ。
16階建ての会社の屋上に一人佇む男。フェンスにしがみつき、虚ろな目で下界を眺める。働きアリがたくさん見えた。キリギリスはほんの一握り。あとは全てアリなのだ。これがこの世界の掟。
ここ1年ほど殺虫剤を撒かれ続けたようだ。身体が、内臓が痛い。身も心もボロボロだった。ごまかし続けてきた胃潰瘍。薬がないとメシも食べられない。
何やってんだろうなぁ
必死で働いて、俺の金で娘は育った。妻は少ない俺の給料でうまくやり繰りしてくれた。
しかし。会社に裏切られ、妻にも裏切られた。何もかも俺が悪かったんだ。
「…今日が俺の命日だ。」
フェンスに足をかける。三メートルほどのフェンスを少しずつ登る。
「ホントウニ、オマエガワルイノカ…?」
自分の脳内で言葉がこだまする。
『お前は一生懸命働いてきたじゃないか。この会社を支え続け、業績も残した。なぜ解雇した?』
『必死で働いてたんだ。家族に時間を使えなかったことはしょうがないじゃないか。それを知っていてなぜ妻は不倫をした?』
ドス黒い感情に包まれる。
怒りを感じる。胃がキリキリと痛んだ。
「俺は、悪くないよな…」
「オマエハ、ワルクナイ。」
「ドウセ死ヌナラ、シカエシシテカラ死ネ」
新太は結局テスト勉強はしなかった。
髪を洗い風呂に浸る。
ちゃぷん。
ーーー長い1日だった。
ピアスをギュッとつまんでみる。何も反応はなかった。そして外すことを試みたが、やっぱり外れなかった。
さっき風呂に入る前に、洗面台の鏡で改めてピアスをじっくり見てみた。
ストーンショップに売っているような、小さなピンク色の石のついたピアスだ。
耳の後ろを確認すると、至って普通のキャッチがしてあるだけでこんなに硬く取れないのは異常だと再確認する。
そして何と無く違和感を感じる。昼に学校の鏡で見た時は、もう少しストーンが大きかった気がするのだ。小さめの真珠くらいあったのに、今は一回りくらい小さくなったような…そんな気がした。
新太は勢いよく湯船を出た。明日は早起きをすると決めている。
「あのオッさん探し出してやる」