思い出香るローズマリー
ドラグニカ様が愛情込めて育てた花たちが咲き誇る中庭では、花以外にも野菜を栽培する菜園があったりします。
規模は大きくないのですが、野菜の種や苗を植えるプランターを並べたウッドデッキが私の領域です。
薬にもなる香りのよいハーブやキャロットやトマトなどを主に育てていまして、今日の私は新しく葉ネギを育てようとせっせと準備していました。
「うぅん……」
プランターの底に鉢底石を敷く私の後ろで、ドラグニカ様がうんうん唸りながら手芸をしています。
ちらっとベンチに腰掛けるドラグニカ様を振り返り見てみれば、針穴に糸を通そうとしているところでした。
糸通しを使えばいいものを、目を眇めて懸命に糸を通そうとしています。
……表情が恐いですよ、ドラグニカ様。
ちなみに糸通しは糸通しという名前ではなくてニードルスレイダーというのが正式名称なんですよ。知ってましたか?
「ふんふんふふーん……」
しばらくすると鼻歌が聞こえ始めたので、どうやら糸を通すのに成功されたようです。
ご機嫌なドラグニカ様の鼻歌をバックミュージックに私もノリノリで準備を進めていきます。
葉ネギは暑さにも寒さにも強く病害虫にも強い葉野菜で、健胃と殺菌効果もあるので料理の薬味でよく使っているのです。
ネギをたっぷり入れたお味噌汁って美味しいですよね!
(……今日の夕ご飯、お味噌汁作りましょう)
想像したら食べたくなりました。
おかげで夕食のメニュー一品決定です。
そんなこんなで互いにしばらく目の前の作業に没頭すること一時間。
(……この匂いは?)
集中してちょっぴり疲れたところへ、風が清涼感のある香りを運んできました。
ツンと刺激するようなハーブ系の香りです。
そういえばと思い風が吹いてきた方を見てみれば、そこにはローズマリーを植えたプランターがありました。
香りの源は、このローズマリーでしょう。
現在私が栽培しているハーブはローズマリーだけですから。
まっすぐ伸びた茎に細長い葉を生やし薄紫色の小さな花を咲かせたローズマリー。
香りが強いので肉や魚の臭み消しに使われたり、リラックス系のアロマで使われることで有名です。
放っておくとぐんぐんと成長してしまうので、そろそろ剪定し収穫しようかなと思っていました。
(そうだ、ドラグニカ様もまだ集中されてますし、ローズマリーティーでも淹れましょうか)
ローズマリーの香りにはリラックス作用もあるので休憩にぴったりです。
私の方はもうしっかりと葉ネギの苗を植える事ができたので、早速剪定バサミを手にローズマリーのプランターへと移動しました。
集中力を発揮しているドラグニカ様は移動する私に目もくれずお裁縫に勤しんでいらっしゃいます。
実はドラグニカ様、花以外にお裁縫も趣味だったりするんです。
……ドラグニカ様がお裁縫好きになられたのは、まあ私の影響だったりするんですが。
(あれはいつ頃のことだったでしょうか……?)
長く伸びた茎を選びながら短く切りすぎないよう注意してハサミをいれること数回。
ローズマリーの香りが私の思い出を呼び覚ましてくれました。
それは私がドラグニカ様のお側に付いてからしばらく経った頃の事でした。
私は暇を見つけては裁縫をして縫いぐるみを作るのが好きだったのですが、魔王家のルールや屋敷内の設備等の把握などやる事が山積みだった為に暇を作ることが出来ませんでした。
そんなある日、ここでの生活に慣れてきたおかげか少しだけ時間に余裕が出来たのです。
普段、ドラグニカ様の過ごす離れには私以外の使用人がいません。
私が来るまで食事時や週に一度の清掃の日くらいしか離れに人が来るくらいだったそうな。
そう、ドラグニカ様はずっとひとりぼっちでした。
出来損ないと言われ一族からいない者と扱われ、たった一人この離れに放られたドラグニカ様。
まだ十歳の子供だというのに。
そんなドラグニカ様の為に、少しでも寂しく思わないように離れを賑やかにしようと思ったのです。
何より私は嬉しかったのです、優しく迎えられた事は今までで初めてだったので。
そんなドラグニカ様だからこそ、してあげたいと誠心誠意を尽くしたいと心からそう思えました。
というわけで私はその空き時間を使ってクマの縫いぐるみを作る事にしたのです。
私もまだまだ子供でしたからね、単純な事でした。
それはもう夢中になり、気づけばあっという間に夕暮れ。
私が来てからはこの離れに関する事全て私一人が請け負っているというのに。
「……うーん、久しぶりに作ったせいかどうもバランスが……」
「―――ア」
「いや、型や寸法は間違っていないはず。ここをもう少し……」
「――ニア」
「あ、やっぱり。いい感じになってき」
「ルジェラニア」
「――ひゃあっ!?」
没頭していた若かりし頃の私(今も若いですが)はすっかり油断していて、突然掛けられた声に素っ頓狂な声を上げてしまいました。
驚き振り返った先にはドラグニカ様がいて、不思議そうに私の手元を覗き込んでいました。
「ドドドドドドドドドドラグニカ様っ!?」
「驚かせてごめんなさい、集中しているから声をかけようか迷ったんですけど」
どもる私を見て苦笑するドラグニカ様。
私はその時になってようやく辺りが暗くなり始めている事に気が付きました。
もの凄く焦りました。本来ならとっくに夕食の支度を始めなければならない頃だったんですもの。
「も、申し訳ございませんドラグニカ様! 今すぐお夕食の準備に取り掛かりますからっ!」
私は慌てふためきながら作りかけの縫いぐるみや裁縫セットを片付け始めます。
しかし、片付けをする私の手をドラグニカ様が止めました。
え……? と顔を上げると、優しく微笑むドラグニカ様と目が合います。
「慌てなくていいですよ。僕は夕食よりこちらが気になります。何を作っていたんですか?」
ドラグニカ様は穏やかにそう尋ねてくるものの、私は迷いました。
流石に正直に言っていいものなのかと。
ドラグニカ様は優しいです。
大抵の事は笑って許してくれそうな人柄ですが、主としての厳しさは分かりません。
お付きの使用人が仕事をサボり趣味に没頭していたなんて、ドラグニカ様でもお怒りになるかもしれません。
「これは……もしかしてクマですか?」
「…………」
まだ未完成の縫いぐるみをジロジロと観察するドラグニカ様の問に私は黙っていました。
「……ルジェラニア?」
黙りこくる私を不審に思ったのか、ドラグニカ様が私の顔を覗き込んで来ました。
するとドラグニカ様は納得したように『ああ』と声を発し、かと思えば手がスッと伸びてきました。
「――――!」
私は思わずビクッと身体を震わせてしまいました。
殴られる、と思ってしまったのです。
「…………?」
しかし想像とは裏腹に拳が飛んでくる事も横っ面を張り叩かれる事も無く、私の頭をポンポンとされただけでした。
「あ、あの……?」
まさかそんな事をされるとは思わず、むしろそんな事をされたのは初めてだった私は戸惑いながらドラグニカ様を見上げました。
「僕は怒ったりしません。僕はルジェラニアを……家族だと思っていますから」
そう言って穏やかにふわりと微笑むドラグニカ様。
――――家族。
ドラグニカ様と血なんて繋がっていないのに?
まだ会って間もないというのに?
「あ、違いますね。正確には『家族になりたい』と思っていますから」
ふふふと笑うドラグニカ様に私は益々混乱していきます。
家族になりたいってどういう事なのでしょう?
困惑する私はドラグニカ様に座るよう促されたので素直に座りました。
ドラグニカ様は私の隣の椅子に腰掛け、私の右手を取りそっと両手で包みます。
ドラグニカ様の手から温かなものが伝わり、不思議と心が落ち着いていきました。
「僕はご存知の通り一人でこの離れで過ごしています。僕には父上や母上、兄上や姉上もいますが、もう何年も会っていません。彼らがこの離れに来る事はありませんでしたから……僕も特に会いたいとも思いませんでしたし」
ドラグニカ様はそうサラリと言うものの、その顔はどこか寂しげでした。
私は手を取られたまま静かに話を聞きました。
「使用人の皆さんも用がある時くらいしか来ませんし、そんな環境でずっと過ごしてきた僕に家族と呼べる人はいませんでした。しかし、ルジェラニアに初めて出会った時、僕はようやく家族になりたい人に出会えたと思ったのです」
ドラグニカ様の頬がほんのりと紅くなりました。
なぜ紅くなるのか分かりませんでしたが、この頃を思い出すと私も照れくさくなってしまいます。
――――家族になりたい、だなんてやっぱりプロポーズみたいですし。
「ああこの子もずっと独りだったんだなと、ルジェラニアを見た時分かりました。でも可憐で綺麗なルジェラニアの孤独を癒したい、幸せにしてあげたいと思ったのです。だから笑って温かく迎え入れようと、貴方が部屋に入ってきた瞬間思ったのです」
「ドラグニカ様……」
私はつい泣きそうになってしまいました。
ドラグニカ様の言葉が嘘で無いことが分かるから。
本当に私は素晴らしい主に出会えた事を誇りに思います。
「……わたし……」
私は意を決して口を開きました。
「温かく迎え入れられたの、初めてだったんです……。それで嬉しくて、ずっとドラグニカ様のお役に立っていきたいと思って……それで……」
「……うんうん、それで?」
ドラグニカ様は私の手を握りしめたまま、私の話に耳を傾けてくれています。
私は話の続きを――私の思いを口にしました。
「ドラグニカ様に……家族を作ろうと思ったんです……。私一人じゃ足りないと思って、少しでもお屋敷を賑やかにしようと……」
私がそう言うとドラグニカ様は意外な答えだったのかきょとんとしておられました。
やがて数回瞬きをしたあとで、ぽっと花開いたように微笑んでくれました。
「ルジェラニア……僕、嬉しいです」
そしてギュッと抱きしめられました。
「ど、ど、ど、どらぐにかしゃま!?」
思いがけない出来事に私も天パっていたようで、今思い出すと恥ずかしくて顔から火が出そうです。
「ルジェラニアも僕と同じ気持ちだったんですね! 貴女がここへ来てくれて本当に良かった!」
ギューっと強く私を抱き締めた後、パッとドラグニカ様が離れました。
「さあ、一緒に家族を作りましょう。僕にも教えてください」
「え……? でもお夕食は……」
「そんな事より今は『家族作り』の方が大事ですっ! さあさあ、やりましょう!」
ドラグニカ様はやる気満々です。
私は気後れしながらも、片付けようとした縫いぐるみや道具をもう一度取り出し説明を始めます。
「これは針と言って、ここに糸を通すと……」
「ふむふむ……」
こうして一緒に完成させた熊の縫いぐるみ。
『ジョージ』と名付けられ、現在は奥様の『カナリア』と子供の『シャロン』と三人並んで屋敷の玄関で私達を出迎えてくれています。
そして……
「ルジェラニア!」
「はい、ドラグニカ様」
清涼な香りが立つお茶の用意をしていると、るんるんなドラグニカ様に呼ばれました。
「見てください! 新しい家族が増えましたよーっ! 今度はウサギの『シャーリー』です、可愛いでしょう?」
振り返り返事をすると、ニコニコと嬉しそうに出来たばっかりのウサギの縫いぐるみを私に見せてくれるドラグニカ様。
すっかりお裁縫にハマりこんだドラグニカ様によって、今では屋敷のあちこちに『家族』がいるようになりました。
気づけば本当、大家族になったものです。
「シャーリー、ジョージにご挨拶にいきましょうねぇ。ハァイ、ゴシュジンサマー!」
しかしドラグニカ様、いい年なんですからお人形遊びは遠慮なさったほうがよろしいかと思います。
……なんてツッコミは口にせず、私は黙ってローズマリーティーをドラグニカ様に差し出すのでした。