花と緑に囲まれて
突然ですが、皆様にとって『魔王』とはどんなイメージがありますか?
例えば住んでいる場所はどんなところを想像するでしょう。
暗雲に覆われた魔界と呼ばれる世界。
自然は少なく荒れ果てた大地が広がっていて、火山から噴火したマグマが海や川となりあちこちを流れている――――大体は、そんな感じでしょうか。
魔王自身についてはどうですか?
非常に残忍かつ狡猾な性格で、世界各地の美女を攫っては好き放題する。傲慢で欲深い魔王……。
あくまでイメージの話でありますが。
では、実際のところはどうなのでしょう?
――――勇者と魔王の何度目かの大戦が終わりを告げてから早数十年が経ちました。
ヴェルデガイアはとても平和な日々が続いています。
ここはそんなヴェルデガイアのグランヴェリオ王国シルフ領、その端っこにある山間の森。
領主様より自然に溢れたこの場所をお借りし、家を建てたのはほんの一年前のこと。森の中の建物とは思えないほど立派なお屋敷に私達は住んでいます。
門を開けると、私のご主人様が丹精込めて育てた色鮮やかな花たち出迎えてくれる玄関までの道のり。今は赤や黄色のチューリップがプランターの中でかわいらしい花を咲かせています。
更に中庭は玄関よりも立派なもので、中央には有名彫刻家が造った女神像が立つ噴水に、それをぐるりと囲うように設置された花壇、綺麗に形を整えられた植木たち。
あちこちには花で造られたアーチなんかも見られます。もちろんその花もご主人様が育てられたものです。
ピンク色の薔薇のアーチをくぐり、私はそんな中庭をワゴンを押して進んで行きます。
ピッカピカに磨かれた銀製のワゴンは最近新しくしたもので、鏡のようにくっきりと銀の長髪を三つ編みにした赤眼の女性――私を映していました。
ちょっと太陽光の反射が眩しいです。
そのワゴンには白い陶器製のティーポット、それとお揃いのカップとソーサラー。そしてお茶請けにナッツやフルーツ、チョコチップを練り込んだ数種類のスコーン。
陽が傾き始めた昼下がり、そろそろ午後のティータイムなのでご主人様にお声を掛けに来たのです。
噴き出される水の向こう側につばの広い帽子を被る男性らしき姿が見えます。
「ふんふんふふ〜ん……」
その人は鼻歌を口ずさんでいました。とてもご機嫌であることが覗える歌声です。
そんな男性に向かって私は声をかけました。
「ドラグニカ様、お茶が入りましたよ」
声をかけられたドラグニカ様の肩が跳ね、ゆっくりとこちらを振り返ります。
――――紫髪の鬱蒼と垂れる前髪の隙間から覗く、細長く鋭い目。
その目は普通白であるところが闇のように真っ黒で、その中で妖しく光る金色の瞳がとてもインパクトがあります。
ああ、ドラグニカ様……その眼光の鋭さは何度見ても睨まれたかと勘違いしてしまいそうです。
ですが、安心してください。私のご主人様は怖い人ではありません。
「ああ、もうそんな時間でしたかぁー。ありがとうございます。あと少しだけやったら頂きますね」
柔和な笑みを浮かべたドラグニカ様は、青白い肌を流れ落ちる汗を軍手で拭いながらそう言いました。
それから作業に戻り、また鼻歌を始めるドラグニカ様です。
どうやらゼラニウムの苗を植えようとしているようで、傍らに赤や黄色などの花を咲かせた苗がありました。
ゼラニウムは比較的育てやすく、ドラグニカ様もお気に入りなのか我が家でよく目にする花ナンバーワンです。
そんなドラグニカ様の本日の服装は、麦わら帽子に、白いヨレヨレのTシャツと黒のワークパンツ、その裾はもちろん長靴にブーツイン。
首からタオルを下げてTHE農民スタイルの完成です。
このお方こそが私のご主人様であり、魔族界の頂点に立つお方――――魔王ドラグニカ・サタン・ルシウス様なのでございます。
どんな服装であろうが、間違いなく魔王様です。
……凄い時は凄いんですよ。
私はそんなドラグニカ様の姿を横目に、中庭を眺めるためのテラスに置かれたテーブルにせっせとお茶の用意を始めます。
パラソルを開き、テーブルを拭き椅子を拭き、温めるためにカップにお湯を注ごうと――――
「あっ、痛いっ!!」
したところでドラグニカ様の痛ましげな声が上がったので、驚いた私はお湯をこぼしそうになってしまいました。セーフです。
さて何事かと、ティーポットを置きながら見てみますと、ドラグニカ様は右腕を見つめていました。その腕には何やらくっついているみたいです。
目を凝らしてよく見ると……あれは――――ハチ!
「やだ、ドラグニカ様大丈夫ですか!?」
遠目からでよく見えませんが、猛毒性のあるハチでしたらさすがのドラグニカ様でも危険です。
私はワゴンの下の方を探り駆除スプレーと治癒薬を持って駆け寄りました。
害虫駆除などの用品を予め用意していてよかった。
何事にもすぐに対応できませんと、メイド失格ですから。
「ドラグニカ様、失礼いたします!」
スプレーを構え、私はハチ目掛けて噴射しようとしました。
「ダメです、エミリア!」
ですが、ドラグニカ様から制止の声が飛かかり、ノズルを押し込む寸前でどうにか留まりました。
ドラグニカ様は痛みをこらえた表情で言います。
「僕がハチさんの邪魔をして怒らせてしまっただけですから……ごめんなさいねハチさん」
そして自身の腕に針を突き刺しているハチの羽を摘むと、中庭の隅に咲いていた花へと下ろしてあげました。
「はい、お花の蜜はココですよ。ゆっくりしていってくださいね」
ドラグニカ様は無用な殺生を許しません。
例えそれがハチでもモンスターでも、――――油断するとキッチンへ侵入するアレさえも。
ドラグニカ様はとにかくお優しい人なのでございます。
私はやれやれとスプレーを持つ手を下ろしました。
ニコニコとハチを眺めるドラグニカ様の前には赤色のゼラニウム。
赤く可憐な花を見ていると、思い出すのはドラグニカ様と初めて出会ったあの日。
今と同じ花が咲き始める冬の終わりごろのことです。
歪な肌色を持つハーフエルフの私を受け入れて下さったドラグニカ様が最初に与えてくれたのは、――――名前でした。