第4話 大学一年 五月 (3)
「とりあえず座るか」
伊藤の言葉に頷く。部室には木のテーブルを囲む形で黒色のソファが配置されていた。ソファの向こう側、部室の奥の方にはカメラや照明といった撮影機具と思われるものが無数に置かれているのだった。いつまでも部室を見渡していても不審なため、篠原さんと向かい合う形で二人でソファに腰掛けた。
篠原さんは黒髪に丸渕の眼鏡をかけていて地味な印象を受けた。いや、地味というのは失礼な感想だと思い、清楚な印象ということにした。そんなことを考えていると不意に彼女と目が合った。逸らすのも申し訳ないと思い、自己紹介することにした。
「えっと、僕は橘不動って言います。初めまして。よろしくお願いします」
何を話したらいいのか分からなかったため、とりあえず適当に挨拶をする。
「僕は伊藤貴志です。よろしく」
続けて伊藤も挨拶をする。彼女は伊藤のことをまじまじと見つめていたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「伊藤さんって熊みたいですね……。あ、すみません、大きいなあって思って」
伊藤が熊みたいだというのには納得だった。失礼なことを言ってしまったと慌てる彼女の姿は栗鼠のような小動物を連想させるのだった。
「いえ、大丈夫です。よく言われます」
伊藤は言われ慣れているようで笑って答える。
「あ、私は篠原のどかって言います。平仮名でのどかです。よろしくお願いします」
彼女はのんびりとした口調で続ける。穏やかながらよく響く鈴のような声音だった。
「篠原さんはなんでこのサークルに?」
「あの、私高校のときに演劇部で活動してて、映画撮るのも面白そうだなって思ったので」
適当に質問すると彼女はそう答えた。演劇部に所属していたというのは意外だった。彼女が演技をするというイメージが湧かなかったからだ。どちらかというと文芸部や手芸部にいそうな雰囲気だった。
「橘さんと伊藤さんは演劇とかされてたんですか?」
「いや自分は全然。高校時代は柔道部でした」
「僕は帰宅部。ただ映画を見るのが好きだったので」
彼女の問いに答える。彼女は、柔道かあと納得するかのように小さく漏らしていた。伊藤と柔道とは簡単に結び付けられるらしい。
「入部されるんですよね?」
彼女は坂本さんとの会話を聞いて自分たちが入部するものだと勘違いしているらしかった。
「いや、あれは坂本さんの早合点で」
そう言いかけると彼女はショックを受けたらしく、眼鏡の向こうで大きな瞳を揺らしていた。その眼を見ると自分が小動物をいじめているかのようで心苦しくなるのだった。
「いや、でも今のところ特にほかに興味もないから多分入部するかなあ」
「本当ですか!」
耐え切れなくなってそう続けると、彼女はまるで欲しいものを買ってもらった子供のように笑顔を浮かべて反応した。心からの笑顔に一瞬見惚れてしまった。その笑顔を見てしまったからには、もはや入部しないという選択肢は失われてしまったようであった。