第3話 十一月二十六日(月) (1)
音楽が鳴っている。九十年代のイギリスのロックバンドの曲であった。大学生のときにある後輩に薦められ、いつしか彼以上に嵌まってしまっていた。今でも相変わらずそのバンドの曲を聴き続けている。目覚ましも彼らの曲に設定しているのだった。それが原因なのか、自分はそのバンド以外の音楽を全くと言っていいほど知らなかった。最近の流行もよく分からない。テレビでよく見かけるアイドルグループの曲は全部同じように聞こえるのだった。
徐々に意識が明確になってくる。けたたましく鳴り続ける携帯電話のアラームを止めるため枕元へと手を伸ばした。画面を開くと同時にメールが二通届いていることに気付く。どちらも伊藤からであった。それを見て、昨夜の彼からのメールに了承の返事をしてから返信も待たずに寝たことを思い出した。一通目は行く先は任せておけという内容であった。神木も誘っておいてくれ――二通目にはそう書かれていた。
伊藤に了解とだけ送って上半身を起こした。まだ冬本番というほどではないが、朝晩の冷え込みが激しい時季になっていた。布団から出る気になれなかったのだが、遅刻するわけにはいかないのでしぶしぶベッドから立ち上がるのだった。
台所に向かい薬缶を火にかける。朝一番に一杯のコーヒーを飲むのが習慣だった。そうしないと目が覚めた気も一日働く気もしないのである。お湯が沸くまで手持無沙汰なため、特に意味もなく冷蔵庫を開けた。中には数個の卵とレトルト食品のほか、いくつかの調味料が入っているだけであった。三十歳にもなって一人暮らしの男子大学生のような食生活をしていることに呆れながら、家族がいるならば違う生活をしているのだろうなと悲しい想像を巡らせていた。
薬缶が高い音で鳴く。火を止めてカップにお湯を注ぐ。コーヒーを片手にリビングのソファに腰掛けテレビをつけた。某遊園地のクリスマス特別企画の特集で、アナウンサーが朝からテンションを上げているのだった。
カップル向けの宣伝に心を痛めるようになったのはいつ頃からだったであろうか。大学の頃、男だけのクリスマス遊園地企画などと友達とふざけていた頃もあった。結局実現はしなかったのであるが。あの頃は近い将来自分も愛しい人と様々な記念日を作っているに違いないという安心感があったのかもしれない。三十歳になった今では、かつて冗談で語った生涯独身宣言も実現してしまうのではないかと不安に苛まれている。
そうして大学生の頃を懐かしんでいると、ふと今日の夢が大学生の頃の出来事に関してのものだったことを思い出した。大学に入学して間もない頃、初めて伊藤と会ったときの記憶だった。夢というより実際の出来事の一部始終を収めたビデオを見ているようだったなと気付く。なぜ今更十年以上も前の出来事を鮮明に夢に見たのか疑問に感じたが、昨夜伊藤とメールしたことで彼との思い出が無意識に喚起されたのだろうと結論づけた。
伊藤とはあの時以来十年以上の付き合いが続いていることになる。大学生の頃仲良くなった女性に告白しては振られるたびに居酒屋で涙に暮れるという泣き上戸の彼であったが、三年ほど前に職場の先輩と結婚してからは涙を見せなくなった。面倒見のよい姉御肌の女性であるらしい。結婚式のときと居酒屋で酔い潰れた彼を迎えにきた際に数回会った程度だが、妬ましく思うほどに素敵な女性であった。結婚後も変わらない友情に嬉しくなるとともに、未だに独身の自分は大学生の頃から全く成長していないのではないかと空しくなるのであった。