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第2話 大学一年 四月 (1)

 欠伸を噛み殺しながら文学部棟まで急ぐ。四月も最後の週、大学に入ってから初めての寝坊であった。一限は出席をとらない授業だから遅れても構わないのだが、まだ大学に友達がいない自分にとってノートを取らないという行為は単位を落とすことに繋がりかねない。まだ眠り足りないと叫びを上げる体に鞭を打ちながら走るのであった。

 二十分遅れで教室の扉を引いて入った。しかし、教室の中には教授も学生も誰一人いなかった。教室を間違えたかと思いながら周りを見渡すと黒板に何か書かれていた。小林先生が体調不良のため一限は休講です――その文字を見て思わず舌打ちしてしまった。

 二限まで暇になってしまったので図書館で寝ることにしようと思い立ち、入り口の扉の方を振り返った。開けようと手を伸ばした瞬間に扉が勝手に引かれていったものだから、驚いて情けない声を上げてしまった。顔を上げると自分より十五センチは身長が高く、肩幅も二倍はあるのではないかと思えるような大男が見下ろしていた。理由もないのにごめんなさいと謝りそうになったが、その巨体に圧倒されて声に出すこともできなかった。

 「ああ、驚かせてしまったみたいですね。すみません」

 その大男は意外にも、いや意外にもというのは失礼なのだが、丁寧な口調で謝ってきた。

 「いえ、だ、大丈夫です」

 何とか言葉にするが、語尾が震えてしまっていたように思う。

 「もしかして休講ですか?」

 「そ、そうみたいですね。教授が体調不良らしいです」

 答えると彼は何やら思案顔になった。威圧感に押しつぶされそうだった。一刻も早くこの場所から逃げ出したかった。数秒してから彼は言った。

 「あの、前回と前々回この授業に出席してましたか?」

 「はい、一応……」

 「本当に申し訳ないんですけど、都合が悪くて出席できてなかったので、もし良ければノートをコピーさせてもらえませんか?」

 「は、はい喜んで」

 逃げ出すことはできなかった。言うことを聞かない方がよっぽど恐いと思うあまり、どこかの居酒屋店員のような返事をしてしまった。いや、居酒屋に行ったことは未だないのであるが。彼はその巨体に似合わない子どものような笑顔を浮かべた。

 コピー機は近くでは図書館にしかないため二人で向かった。捕って喰われるのではないかと内心びくびくしながら隣を歩くのであった。

 「一年生ですか?」

 無言で頷く。

 「そうなんですか。僕も一年なんです。知り合いがいなくて困ってたんですよね。あ、名前は伊藤貴志って言います。お名前伺ってもいいですか?」

 お互い一年生だとわかると彼は嬉しそうに話し始めた。もしかしたら見た目ほど怖い人物ではないのかもしれない。

 「えっと、橘不動って言います」

 「フドウってどう書くんですか?」

 「動かざる、と書いて不動です」

 「珍しい名前ですね。あ、ごめんなさい、変な意味じゃなくて。武道でもされてるんですか?」

 「いえ、僕は全然。母が剣道少女だったんです。幼い頃から大学卒業まで。不動心って言葉が好きだったらしくてそこから。まあ、完璧に名前負けしてるんですけどね。伊藤さんは何かされてたんですか?」

 不動心というのは武道などにおける何事にも動揺しない心を指す言葉らしい。彼の体躯に動揺しまくっている自分にはもったいない名前である。この名前を聞いてすぐに武道という点に触れてきたのは彼が初めてだった。驚くとともになぜか少し嬉しくなった。

 「いい名前ですね。俺は中学と高校で少しだけ柔道を。弱かったんですけどね」

 彼は少し恥ずかしそうに言った。柔道をやっていたということには納得するしかなかった。弱いというのが事実なのか謙遜なのか分からないが、自分程度なら簡単に捻り潰せそうだった。

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