賢者
西の町
壁に囲まれ外からではその街並みは伺うことができない。しかしその中身は荒廃した時代にそぐわぬ煌びやかな都だった
町民も顔色が良く健康そうな体格をしており比較的階級の高いと思われる服装が多く人口もかなりのものだった
「ここが西の町かー」
ロアンがのんびりと町並みを物珍しそうに眺める。通りかかる人々もアイザックたちを奇異の眼差しをちらつかせる
「正式名称は菊花皇国東部前線拠点だけどな」
天山は屋台に並ぶミカンを吟味する。桜花帝国でも良質な商品は売られていたがこの屋台ではそれ以上の品質で売られていた。その中でも形が悪いものを手に取り店主に突きつける
「おっさん、そこの傷んだミカンいくらだ?」
屋台の店主は黙って2本指を立てた。中々繁盛しているのだろう整った髪と突き出た腹が裕福であることを物語っている
「銅銭2枚か?」
「お客さん、バカ言っちゃいけないよ。金2枚だ」
店主が不機嫌そうに言う。足元を見るようないやらしい目を天山に向ける
「はぁ!?金2枚だぁ!?その金あったら刀一本買えるじゃねぇか!」
天山は身を乗り出し怒鳴り唾を飛ばし店主の顔にかかる
店主は気だるげに手ぬぐいを取り出し払うように顔を拭う
「ここは高級商店ですよ?例え傷んでいたって高級品には変わりないんだしねぇ」
店主はニヤニヤしながらそろばんを弾く
「それにお客さんいいところの人と見えるなぁ。払えないなら体で払って貰うっていうのもアリだな」
店主は舐め回すように天山を見回す
「おい、おっさんそれくらいにしないか?」
アイザックが店主の前に立つと金2枚を叩きつけると睨みつける
「けっ、もってけ!」
店主はぶっきらぼうに怒鳴るといそいそと店の奥へと逃げて行った
「感じ悪いヤツだぜ」
天山は悪態をつくとミカンの皮を剥き口に放り込んだ
「エレンが言うにはこの町の何処かに大賢者ユンがいるそうだが正直手がかりが曖昧すぎる」
見た目は子供でそこらへんに寝転んでいる。漠然としすぎたヒントにアイザックはお手上げだった。人混みの中で雑魚寝したり地べたに座る町民など一人も見かけない
「んじゃあ私は町を見ながら情報収集してくるよ」
そう言うとロアンは子供のように無邪気にはしゃぎながら人混みの中に消えていった
「ったく、俺たちはどうするか」
アイザックはため息をつくと椅子に座り水筒に口をつける
「とりあえずここは広いしはぐれたら厄介だな。ここで暇を潰すか」
天山は壁に寄りかかり目を瞑る
「なぁ、この場所知っているのか?」
アイザックがふと天山の方を向く
「まぁな、よく対談でこの国に来たよ。外周を壁で囲んでいて朝焼けも夕焼けも見えやしない。便利だけど飾り物ばかりでつまらない場所さ」
天山は苛立たしげに答えると空を見上げる
「でもここは感染者がいないんだろ?」
これだけ栄えているところなのだから狂魔病とは無縁だろう。アイザックはそう感じていた
「いや、感染者はいるだろうよ。だがそういうヤツらは発症したらすぐに衛兵がやってきて処理するから被害者は少ないんだろうな。桜花帝国も同じことをしていたがあの時のような爆発的なものは初めてだったな」
あちこちで仁王立ちしている衛兵を一瞥する。どれもよく訓練されていると見て取れる
「アイザック様ー天山さーん!居場所がわかったよー!」
ロアンが落ち着きなく走ってくる
「ロアン、お疲れ様。どこにいるって?」
アイザックは水筒をロアンに手渡す。ロアンはメモをアイザックに差し出すと水筒の水を飲んだ
「ここから大通りを進んだ先の門で寝ているって」
ロアンが指差す方向には朱で塗られた大きな門が遠目でもわかる。その奥には城と見紛うほどの大きな屋敷が佇んでいる
「わかった、行ってみよう」
アイザックは立ち上がると背伸びし人の流れに乗りながら門へ向かった
門まで来ると右の柱の下でのんびり寝息を立てる少女の姿があった
「おい、アンタが大賢者ユンか?」
アイザックが恐る恐る声をかける
ユンは反応を示さず寝続ける
「アイザック、エレンから貰ったアメをあげてみたらどうだ?」
天山の提案にユンの耳がピクッと反応する
「そうだな」
ポケットから飴玉を取り出すと目の前に向ける
「!?」
ユンの目がカッと見開くと勢い良く上体を起こし大きく口を開くとアイザックの指ごと口に入れる
「うわっ!」
ザックは咄嗟に振りほどこうとユンの小さな体を振り回すとその勢いでユンが宙へ投げ出される
ユンは軽い身のこなしで着地すると何事もなかったかのように瞼をこする
「やぁやぁ、何かな君たちは?」
眠そうな目でアイザックたちを見渡す
「俺たちはマスタードラゴンのエレンから頼み事をされて」
アイザックはエレンから受け取った紹介状をユンに手渡す
ユンはうーあーと呻きながらサラッと目を通す
「ああ、あれねぇ。めんどくさいなぁ」
ユンは気だるげに言うとアイザックに何かをねだるように手を出す
「アメ、まだあるよね?」
アイザックは仕方ないともうひとつ渡す
「とりあえず着いてきたまえ」
ユンはくいくいと指を動かすと門が開く
門の向こう側は水を使った綺麗な庭園が広がっており町のような派手さはなく素朴でいて涼しげなものである
「この人本当に賢者なのかな?」
ロアンがアイザックと天山に向けて小さな声で言う
するとロアンは背後から気配を感じ長刀を抜こうとするがそれよりも早くユンの指先から放たれる水流が顔にかかり戦意を失う
「残念ながらボクが大賢者だよ」
圧倒的な存在感にロアンは震える
全てが一瞬の出来事だった。目の前、4mも離れていた場所から目で追えないほどの速度で周りこんだのかそれともこれも魔法の力なのか
驚くアイザックたちを気にすることなくユンはあくびをする
「行くよ」
ユンは再び先頭に立ち館へ招き入れる
館の中は外とは対照的に薄暗くガラクタ用途不明の機材が乱雑に転がっており足の踏み場がないものだった
「そこらへんで楽にするといい」
座る場所はなくアイザックたちは物を壊さない程度にスペースを作り床に座った
「さて、エレンが頼んだ品なんだけどこれのことだね」
ユンが取り出したのは星型の青いクリスタルだった
「なんだこれは?」
天山が拾い上げまじまじと見る。中には水のような物が入っており柔らかい光を放っている
「それは空気清浄機だよ。今のままでは効果はないけどね」
ユンは台に乗り黒板に何かを書きながら説明する
「じゃあどうすればいいんだ?」
アイザックは空気清浄機をいろいろな方向から眺めながら質問する
「それについてはエレンが用意してくれたから問題はないよ。ただね」
ユンが俯く。部屋が暗いため表情は読めないが肩が小刻みに震えている
「あの、ユン?」
アイザックが心配そうに呼ぶ
「なんでよりによってエレンなんだああああああ!!」
ユンは大声で叫ぶと飛び降り台を乱暴に蹴り飛ばす
「あいつはいっつも忙しそうでさ!そのくせボクよりも褒められてああもうムカつく!」
ユンは黒板をガンガン叩き暴れる
「落ち着け!」
アイザックはユンの口にアメを入れる
「....ふぅ、すまない。あいつのことを思い出したら急に殺意が湧いて我を失ってしまったよ」
落ち着きを取り戻し服についた埃を払う
「うーん、なんかムカつくからタダではあげないよ」
ユンは意地悪く言う。アイザックはこの人大丈夫だろうかという不安に駆られる
「何がお望みだ?」
とりあえず言うこと聞いておくかとアイザックは条件を聞き出す
「そうだね、この屋敷の地下倉庫から棺を持ってきてほしいんだ」
ユンは黒板に精巧な棺の絵を描く
「棺なんてなにに使うの?」
ロアンが興味津々に乗り出す
「私の体を入れ替える器を作るのさ」
ユンはドヤ顔で胸を張る
「体を入れ替える.....?」
ロアンは聞かなきゃ良かったと後悔しはじめる
アイザックと天山もヤバい人だとはっきり理解した
ユンが指を鳴らす
すると奥の部屋に灯りがつく
幾つもの巨大な試験管には液体が満たされており中にはユンとそっくりな少女が眠っていた
「私がこの姿を保ってきたのは予め肉体と魂を簡単に分離できるようにしておいて新しく肉体を作り限界がきたらそれに魂を移していたからだよ。普段は奥の部屋にたくさんストックがあるんだけどもうそろそろで尽きそうだから補充しようと思ってね。地下倉庫の棺が大事な役割を話すのさ」
ユンはさも当たり前のように言う。アイザックたちは常軌を逸した光景に息を飲むが気力で堪える
「地下倉庫のどこにあるんだ?」
天山は試験管から目をそらしユンに質問する
「うーん、最後に行ったのは200年前だからなぁ。多分奥だろうね」
ユンはベッドとおぼしきところに腰をかける
「でも今日は疲れただろうしウチで休んで明日行きなよ」
ユンはあくびをすると台所へ向かう
「部屋は余ってるから好きに使っていいよ」
ユンはそう言って調理を始める
リズミカルな包丁の音が聞こえやがて美味しそうな匂いが屋敷を満たす
その頃アイザックは机の上に一枚の絵を見つけた
「フィーア.....!?」
あとでユンにフィーアとの関係を聞いてみよう。アイザックはこっそりポケットにしまいこむ
「やぁみんな、できたよ」
台所からユンが出てくる。その小さな手には美味しそうな料理が山盛りに積まれた皿が乗っていた
ロアンはユンが持っている皿から料理をひとつつまむと口に運ぶ
「ユンさんって料理上手なんだね」
美味しそうな顔をして次々と口へ運ぶ
「ロアン、行儀が悪いぞ」
天山は軽くロアンの頭を小突くとつまみ上げて料理から遠ざける
「わーん!料理がー!」
ロアンはまるでおもちゃを取られた子供のように泣きわめく
「たくっ、そんなことしなくてもすぐに食えるだろうが」
天山はロアンを座らせるとユンの手伝いに向かった
「お、君は手伝ってくれるのか。ありがたいね」
ユンは年寄りみたいな言い回しで天山に器を渡す
「ユン、どうやらアイザックが気づいたみたいだぞ」
天山はアイザックの行動を見逃さなかった
それを聞いたユンは驚くことなくどこか穏やかな顔をする
「そうか、どちらにしても言おうと思っていたことだし問題はないよ」
そう言うと最後の料理を運びテーブルに並べる
「さ、ご飯だよー」
ユンが手を叩く。アイザックは静かに席につロアンは落ち着きなく着席した
食事が終わりアイザックたちは食器の片付けを終え一息ついたところだった
「アイザック、ちょっといいかな?」
ユンは酒瓶と盃を持ってアイザックを呼びつける
アイザックの考えを察したのだろうどこか真剣な面持ちをしている
アイザックは待っていたとばかりに立ち上がりユンについていく
ユンは縁側にちょこんと座る
「さぁ座りたまえ」
ユンは右側に座布団を置きポンポンと叩く
アイザックが言われるがままに座るのを見計らうと盃を酒で満たしアイザックに手渡し乾杯する
「君が私に聞きたいことはわかっている。フィーアは私が作ったホムンクルスだ」
ユンは池の水面に映る月を見ながら口を開く
やはり関係があったかと理解すると同時に新たな疑問が浮かぶ
「ホムンクルス?」
アイザックは聞いたことのない言葉をオウム返しする
「そうだ、一言で言うなら人造人間だ。彼女は当初究極の勇者を作るための実験体、4号だった」
ユンは懐からフィーアに関するデータが書かれたレポートを取り出すとアイザックの元に差し出す
アイザックはそれを受け取ると斜め読みをする
難しい数式や用語がある中で自分でも理解できる単語を拾う
「フィーアたちホムンクルスは歴代の勇者たちの細胞をつなぎ合わせ培養し人の形にしたものだ。とはいえそれだけでただの人間とはまったく変わりないよ、ただ少し他の勇者よりも才能が豊かなだけでね」
ユンはフィーアを本当の自分の娘のように想っていたのだろう母親のような優しさが滲み出る
「フィーアから聞いていたよアイザック。あの子に優しくしてくれてありがとう。それと私は君に謝りたいことがあるんだ」
「なんだ?」
アイザックは覚悟を決める
「天山にフィーアを殺してもらうように依頼したのは私だよ。検査の時に感染が発覚してね、私はその場で彼女を処分しようとしたが.....できなかった。そこで殺し屋を雇ったわけだけど君が彼女を買収したおかげでおじゃんになったんだ」
ユンは後悔の念を抱いていた。自分がやるべきことを他人の手によって委ねそしてアイザックに始末させてしまったことに
「私が弱かったせいで君に辛い思いをさせたね。罪は甘んじてうけるつもりだ」
ユンは涙をこらえるようにギュッと拳を握り締める。月明かりに照らされて悲しげな表情が見て取れる
「いいんだ、ユンはなにも悪くない。俺がもしアンタだったらきっと同じことをしていただろう。それに俺はフィーアをこの手で殺してしまった、謝るのは俺のほうさ」
ユンはアイザックのほうへ顔を向けると少しはにかんだ
「君ってやつは」
少しだけ肩の荷が下りたのだろう空になった盃に酒を入れると口へ運んだ
「なぁユン」
アイザックはそう言うと酒を飲み干す
「なんだねアイザック」
ユンはアイザックの盃に酒を入れようと酒瓶を傾ける
「フィーアの墓ってあるか?」
アイザックがそう言うとピタリとユンの手が止まる
「残念だがフィーアの死体は見つからなかった。だから墓はないんだ」
ユンは申し訳なさそうに言うと盃をアイザックに渡す
「そうか、もしかしたら蘇って世界中を旅していたりしてな」
アイザックはそう言って笑った
「そんなこと....いや、そうかもしれないな」
狂魔病に犯され殺されたという事実を知っていながらも二人は今だけはどこかできっと生きているということにしたかった
翌日
「それじゃあ行ってくる」
アイザックはエーデルヴァイスを腰に刺すとユンから地図を受け取りポケットに入れる
必要な分の食料と水も念のために確保する
「気をつけるんだよ、中は私が過去に失敗し理性を失った失敗作もうろついている。ヤツらには物理的なものが効かないものや魔法が効かないものがいる」
そこでと言ったところでユンは机の上から9本水の入った瓶を持ち出すとアイザックたちに手渡す
「これを投げつけるか武器にかけるんだ」
ユンは瓶の蓋を開けてコップに注ぐ。すると中に入った水から炎が吹き上がる
「こいつは魔法瓶といって水に魔力が込められている。武器に使えば一時的にだが魔術的にも物理的にも攻撃を与えることができるだろう。他にも使い道はあるがそれは自分たちで見つけてくれ。それとアイザック、エーデルヴァイスを貸してくれ」
アイザックはユンの言うとおりにエーデルヴァイスを渡すとユンはエーデルヴァイスについた宝玉を抜き取り新しいものに取り替えると新しく作った専用の鞘に納めアイザックに返した
「これでアップデート完了だ。もし感染者に会ったら使ってみるといい」
エーデルヴァイスを抜くと白刃から水が滴る
「これは?」
アイザックが触れようとする
「触るな、その水は狂魔病を殺す作用があると同時に人体にも影響がある猛毒だ。最近は死なない感染者もいると聞く、おそらくそいつにも効くだろうね」
そう言ってスイッチを押し地下倉庫の扉を開ける
「気をつけて行くんだよ。君たちが頑張っている間にその剣につけたパーツを複製して待ってるよ」
ユンに見送られながらアイザックたちはポッカリとした暗闇と対峙する
どこまでも吸い込んでしまいそうな闇から生暖かくカビ臭い風が頬を撫でる
「うわぁ....やな感じ」
ロアンが鼻をつまみ呻き半歩後ずさる
「仕方ないだろ、長年放置されていたんだから」
天山は松明に火を灯すと前へ進む
「あ、待ってよもー!」
ロアンが走って天山について行く
アイザックは深く深呼吸し意識を落ち着かせると闇の中へと進んでいく
水に濡れた足元は螺旋階段らしく下はどこまでも続いて行くような空洞が口を開く。アイザックは落ちないように壁に手をかけ慎重に下っていく
最下層にたどり着くと試験管が廊下の奥まで続いている。中には出来損ないの人形の形をしたもの、犬と爬虫類を混ぜ合わせたようなどの生物にも似つかない冒涜的なものだった
奥からペタペタと足音が聞こえる
天山が灯りを音の方向に向け目を細める
光に照らされカエルのような影が映る。しかし全貌を見るまでには至らずアイザックたちは恐る恐る近づくとギョッとした。顔が赤ん坊だったのだ。さらにその顔に目があるはずの部位に目がない
「まったく、ユンは一体なんの研究をしていたんだ」
天山は苦々しく言うと松明をそっと置く
「想像したくないな」
アイザックがエーデルヴァイスを抜くと両手で構えたときカエルと目が合った気がした
「来るよ!」
ロアンが大声で言うよりも早く長い舌がアイザックへと向けられた