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Rage -黒き獣の慟哭-  作者: 白猫矜持
Engage__2011.05.02
2/24

Prologue.2

黒き鋼の獣




灼熱、血を

「敵が、こっちに向かってる……!?」


 無線通信を受けながら、九条(くじょう)エリナは背後に庇う「少女」へと視線を向けた。怯えるように縮こまって、両腕で自分を抱きしめて震えている少女。今回の敵の獲物にして、無慈悲な神の作為によって不幸に見舞われた一般人だ。彼女に敵と戦う力などない。エリナが守り抜かなければならない。彼女自身の力で。


『恐ろしいのは速度だけじゃない、さらに厄介なのはヤツの唾液だ。触れると身動きが取れなくなる。留意しろ。私たちもすぐに向かう』


 無線機の向こうで、キョウカが唇を噛み締めているのが容易に想像できた。


「りょ、了解です」


 緊張で声が裏返りそうになるのを必死にこらえる。エリナが守るべき相手は年端もいかぬ非力な少女。恐らくは高校生だろう。だが、エリナ自身とて、敵と対抗できる力を持っているという点を除けば、被保護者の少女と違いはない。命を危険に晒すには、精神的にも肉体的にもまだ若すぎる。

 それでも、エリナは戦わなければならない。戦う力を持っていることが、戦う理由だと――エリナはそう信じている。


「敵が来たら、私が食い止める。だからその隙に、あなたは逃げて」

 そう言って、後方の路地を指差す。被保護者は頷くので精一杯のようだ。


「私が守らなきゃ――私が、絶対に!」


 無意識のうちに決意が口を衝いて出る。あるいは、それは彼女自身に対する叱咤激励か――


 湿気を帯びた羽音と共に、敵が姿を現したのはまさにそのときだった。昆虫の如き薄翅を背負った人間。悪意に満ちた微笑さえ見て取れそうな、真っ赤な口腔を覗かせながら飛来する敵影。


 わずかに上方から接近――予想の範囲内。


「来なさい……!」


 実に、実に醜悪極まりない顔が、眼前に迫り、


「ガァァッ!」


 何重にも張り巡らされたワイヤー群が、敵の醜怪な肢体に絡みつく。

 極微細のワイヤーは、いったい如何なる物質で構成されているのか。それを正しく知るものはいない。そのワイヤーは、九条エリナの指先から射出されていた。彼女の両手は純白のグローブに包まれ、指腹の位置にある射出孔から、それは顕現(けんげん)する。ワイヤーはエリナの意志に従って現れ、空間に固定される。あたかも蜘蛛が巣を巡らせるように。物理法則を一切無視した、まさに超能力と称すべき異能。


 彼女らは、その特殊能力をアニマと総称する。

 魂の力を現象に変換する、生命の叫び。

 人命を弄ぶ怪物どもに対抗しうる、唯一の武力。


「今のうちに逃げて!」


 がくがくと痙攣(けいれん)するように頷いた少女が、入り組んだ路地へと消えてゆく。場に残されたのは敵と自分、一対一。


 まだだ。まだ甘い。


 指先からさらにワイヤーが射出される。アニマの力の源は精神力だ。九条エリナの闘争心が高ければ高くなるほど、ワイヤーの質も向上する。悲鳴にも似た奇声を上げる化け物は、徐々にワイヤーの中に埋まっていった。その有様は蜘蛛の捕食風景を連想させた。惜しむらくは、裸身の化け物を裁断してのけるにはワイヤーが太すぎることだろうか。


「このまま、一気に――!」


 今や、怪物は微動だにできないほど雁字搦(がんじがら)めになっていた。ワイヤーに巻かれているのではない。エリナの闘争心に巻かれているのだ。


 圧殺は目前――だが、その闘争心が圧壊するとき。


「邪魔、だアアアアアア!」


 九条エリナのアニマは、臨界へと達する。


「うそ……」


 ワイヤーの監獄は、内部から打ち破られた。堅牢な罠を突破したのは、怪物の両腕に生えた鎌だ。容易く、軽快に、料理をするように。新たな兇器はエリナの(アニマ)を引き裂いた。

 一瞬。ほんの一瞬だけでも、自分が敗北し、無残な死体へと変貌するイメージを抱いてしまった。怪物にはそれで十分だ。アニマの力を抑制させるには、それは十分すぎるショックであった。


「そんな、私のアニマが……」


 自分でも気付かないうちに、エリナは後退していた。アニマを使えない彼女は、もはやターゲットの少女と何も変わらない。怪物にとっては絶好の獲物で、非力な一般人だ。


「どうして……なんで!」


 不甲斐なさを感じる余裕さえ、少女には残されていなかった。ワイヤーの一片さえも出ないグローブを相手に向けて、空しい叫びを続けるのみ。


 人型の怪物は明らかに楽しんでいた。両の鎌をこすり合わせ、どこから切り刻んでやろうかと品定めするように、血の滲み出たような真紅の瞳で少女を見据えている。本来のターゲットなど既に忘却の彼方にあるらしい。


 少女の耳元では、無線通信で仲間の声が送り届けられている。何かを叫んでいるようだが、彼女の聴覚さえ、もはや意識の底に沈殿していた。


 死。

 純粋な死の予見。


 全身の感覚の麻痺、筋肉の痙攣、呼吸不全――あらゆる身体の異常が、一緒くたになって死の幻想を引き連れてくる。やがて訪れる死に備えている。


「シィィ……」


 怪人の醜貌(しゅうぼう)が、少女の首に定まる。

 断頭台のように、あるいは稲を収穫するように、彼女の美貌もろとも刈り取ってしまおうというのだろう。


 化け物の跳躍。誰かの叫喚。鎌の凍えるような輝きと、そこに映る、自己の死を見つめるエリナの姿――


 そして、轟然たる、衝撃。


「……え?」


 エリナの見た自己の死は、幻覚だった。腰を抜かし、路地に座り込んだ姿勢のまま、夢心地で前方に目を向ける。


 地に伏していたのは化け物だ。見えざる力に叩き伏せられたかのように、無様に地面に伏している。


 一体何が起きたのか。


 エリナが状況を理解するよりも早く、二度目の衝撃が訪れる。そう、まるで、目に見えない隕石が化け物に降り注ぐかのように。燃え盛る烈火のような熱風が、辺りに吹きすさぶ。


「グゲゲゲゲ……!」


 アスファルトに接吻しながら、怪物は驚嘆の表情をあらわにしていた。身動きが取れない。空気よりも軽い薄翅一枚さえ、一ミリたりとも動かすことができないようだった。あまりの衝撃に神経が麻痺している。


 さらに、轟音。怪物が平伏していた地点を中心として、およそ半径三メートルが、鉄塊の直撃を受けたように陥没する。反動で跳ね上がる化け物の肢体。薄翅は背中から剥離(はくり)し、無残に宙をひらひらと散華(さんげ)する。


 そこへ、四度目の衝撃。その正体は、漆黒の物体だった。人間サイズの何かが空中から怪物めがけて落下してきたのだ。


 その姿は、人型にして人にあらず。全身を覆う黒の鋼鉄は、香曽我部キョウカのものと同じ機甲兵器。しかし、それは無骨で荒削りなキョウカの機甲兵器のフォルムとは異なる。装着者の体格に合ったサイズにカスタマイズされ、極限まで洗練された流線型の躯体(くたい)はエリナの知る機甲兵器ではない。ましてや、その鬼と見まがう顔容に宿る、血の色をしたX字のセンサーアイは人間のそれを越えた憎悪を孕み――


「あ、あなたは……」


 エリナは恐怖していた。化け物を組み敷く、闇色の機甲兵器の禍々しさに。


 機甲兵器は、無言のまま鋼の掌を化け物の顔に押し当てる。


「グ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ!」


 化け物の悲鳴は、もはや人間のものとは遠くかけ離れていた。強力な力で押さえつけられているのだろう、顔面はひずみ始める。随所にひび割れが走り、緑色の体液が聞き苦しい呻吟と共に込み上げてくる。


 機甲兵器の掌から、低く唸るような音が鳴り響く。同時に、目には見えない灼熱の波が周囲に撒き散らされた。


「ガアアアアアアアアアアアアア!」


 悲痛。先ほどまで命を狙われていたエリナが同情を禁じえないほど、怪物はもがき足掻いていた。だが、機甲兵器は慈悲の一片も見せはしない。


 炸裂――熱波。


 鋼の掌から、膨大なエネルギーが解き放たれる。化け物の顔が弾け飛び、緑色の血液が驟雨(しゅうう)のように飛散する。


「ひっ――」


 エリナの足元に、化け物の目玉がぼとりと落ちた。視神経のように伸びているのは、一匹の百足であった。そのおぞましい光景に、エリナはようやく悟る。化け物の身体を構成していたのは、無数の百足だったのだ。首をなくした裸体から、先を争って百足どもが溢れ出てくる。


 エリナの目前で、眼球が圧壊した。黒の機甲兵器が、憎悪そのものを踏み潰すように、百足を容赦なく屠り捨てたのである。


 無意識のうちに、機甲兵器を見上げる。紅のX字センサーアイが、エリナを見下ろしている。その奥には、人間の瞳が、一人の人間が、いるはずだった。しかし、エリナには感じられない。血よりなお赤い眼光の主は、果たして本当に同じ人間なのだろうか――


『エリナ、大丈夫か!』


 香曽我部キョウカの機甲兵器が、空から姿を現した。だが、エリナの無事を確認するよりも早く、黒に染まった機甲兵器を目にして動きを止める。


『その機体は……まさか、ヴァランディン……?』

 うわ言のようなキョウカの呟きは、あたかも幽霊を語るようだった。


 黒の機甲兵器――ヴァランディンは、キョウカの問いにも、エリナの視線にも答えることはなかった。無言のまま背面のジェネレーターが細動すると、その眼と同じ色の粒子が流出する。その光は外套のように、あるいは翼のようにヴァランディンの黒躯を包み込むと、天空へと上昇していった。


 そこに残されたのは状況を飲み込めないキョウカと、得体の知れない恐怖に怯えるエリナ、そして依り代を失って蠢く無数の百足のみ。


「キョウカさん、あの……あの機体は……?」


『あれは、紛れもなくヴァランディンだが――しかし、ありえない。そんなはずは――』


 常に冷静なキョウカとの付き合いは長いものとなるが、これほど狼狽する彼女を見るのはエリナにとって初めてだった。


 消え入りそうなキョウカの呟きを、エリナは耳にする。


 ――あの装着者は死んだはず、と。






 これは、黒き獣の物語。

 怒りの物語。

 意志の物語。


Prologue, end.


章タイトル"Engage"はOVA「戦闘妖精雪風」OP曲「Engage」より。

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