Prologue.1
軍勢はそこにいる。軍団はそこにある。
これはゲームだ。理不尽な、防戦一方の。
照準――捕捉――発射。
東地ケイの狙撃は、機械よりも精緻で無慈悲だ。高威力のエネルギー弾に撃ち抜かれたそれは、苦痛を感じる暇もなく絶命している。
『もう一匹がそちらに向かっている。大物だぞ、ケイ』
無線通信で送られてきた女の声は、氷のように冷たい。
「了ォー解」
返答と同時に再照準――高倍率暗視スコープを覗く。
彼の武器は、一丁のライフルだった。しかし流線を描くようなフォルムと白い塗装は、どこの国の軍でも見られない型。それはケイ自身が造り出した、オリジナルの兵器。
その銃に名はない。
あるのは、明確な戦意のみ。
「おいでなすったぞ……目標視認!」
スコープ越しに捉えられた敵影は、人間のものとはかけ離れていた。四つん這いの巨大な甲虫と形容するのが妥当だろうか。漆を塗りたくったような堅固な外殻と、外側に広がっている細く長い四肢は身の毛もよだつ様相を呈している。頭部には強靭な顎と真っ赤な口腔、そこから唾液を滴らせながら、夜の街を――無人の大通りを驀進していた。
彼が銃を構えているのは、通りに面するビルの屋上だ。地上からおよそ四〇メートルの高度において、冷徹な鷹の眼は敵の脚を見据える。それは巨躯を支えるにしてはいささか頼りない脚だった。上手く当たれば転倒を狙えるはずだ。
「取らせてもらう――ぜっ!」
ライフルが吼える。放たれた光の弾丸は、正確無比に化け物の右前脚を貫いた。深緑色の気色悪い体液を振りまきながら、たたらを踏んで床に倒れこむ。
さらに三発――間断なく残りの脚へと殺到した弾丸は、化け物からすべての脚を剥奪した。そして、最後に頭部への一撃。上から下へと抜ける致命の一手。体液と悲鳴が一緒くたになって吐き出される。そしてわずかな痙攣の後、化け物は完全に沈黙する。
「ふふん、我ながら中々の腕前だな」
スコープから目を離し、満足そうに頷く。
『はいはい、よくやった』
まったく賞賛する気の欠落した賛辞が、星の瞬かない夜空から降ってきた。同時に降下してきたのは、人型の機械だ。白を基調とした、角ばった形状の機甲兵器。怜悧とも無感動とも言える女声は、このアーマーに身を包んでいる彼の仲間――香曽我部キョウカのものだ。
ケイはすっかり呆れ果てて肩をすくめる。
「もうちょっと何かないの、抱きついたり、惚れ直したりとか?」
『この姿で抱きつかれて、全身複雑骨折を所望か?』
「いやそういうんじゃなくてさ……この機会に俺を再評価してくれてもいいんじゃないかってな」
『私が? お前に、か?』
「他に誰が」
『ふむ。どうやら戦闘続きで疲弊しているようだな。精神安定剤を推薦しよう』
「……へいへい、そりゃお気遣いどーも」
ケイはすっかり放ってしまっていた無精ひげを撫でる。その手から、いつの間にかライフルは霧のように消えていた。
ここ最近は戦闘続きで、ろくな休暇もとっていないのは事実だ。とはいえ、人智を超えたあの化け物に対抗できる人間は限られる。休んでいる暇などないのが悲しい現実である。
安堵からふと夜空を見上げるケイの横で、キョウカは無線通信を行う。相手は待機中のもう一人の仲間だ。
『ああ、最終目標を駆逐した。状況終了だ。保護対象の様子はどうだ? ……そうか。了解した。今からそちらへ向かう』
行くぞ、と声を掛けられるも、ケイは空へと視線を遣ったままだ。
『どうかしたのか。空飛ぶ円盤でも見つけたか?』
「……んー、いや、見間違い、か?」
ケイの瞳には一瞬、黒い空を走る幻想的な赤い線が映り込んだ。が、それも気のせいらしい。キョウカの言うとおり、本当に疲れているだけだろう――
突如として響いたのは、血と肉が弾ける音だった。
「何だ!?」
咄嗟に振り向いた二人の眼下――無人の大通りで、倒れたはずの化け物が蠕動を始めていた。おぞましい音は、怪物の外殻が裂けた音だ。深緑の体液が溢れ、丸い外殻の上を伝い流れる。そして、中で蠢く物体が、徐々に姿をあらわにしていった。
「なんだアイツ、羽化しやがったのか? キョウカ!」
『言われなくとも!』
香曽我部キョウカの纏う機甲兵器が戦闘態勢に移行。胸部のジェネレーターが鳴動し、腕部の電磁カッターへとエネルギーを供給。即時充填――完了。右腕から刃渡り八〇センチもの白銀の刃が突出し、淡い輝きを帯びる。
そのときには、敵は既に羽化を終えていた。いや、それを羽化と呼んでいいものか――巨大な外殻の中から現れたのは、裸身の人間だったからだ。ただし、その背には羽虫の如き薄翅が生えており、よく見ると身体の各関節も人間のそれとは違う。まるで、人間の皮を人間ではないものが被っているような違和感が、それにはあった。
「なんてヤツだ……」
顔をしかめて悪態をついたケイの右手には、どこから取り出したのか先ほどのライフルが握られていた。
『先に行くぞ』
キョウカの先行――機甲兵器の斥力推進装置により飛翔。地上の敵へと迫撃。
鋼鉄であろうと寸断する電磁カッターが薙ぎ払われる。だが、切り裂いたのはグロテスクな怪物の残像に他ならない。頭部のHUD上には敵の姿はなく――”WARNING”――敵生体反応が至近距離にいることだけを、神経を通じて脳へと直接警告してくる。
「くそっ、動きが早すぎる!」
ライフルを構えながらケイが舌打ちする。彼の目には、恐ろしい速さでキョウカの周囲を飛びまわる敵の残像だけが視認できていた。どうにか狙いを定めようとするものの、スコープの端に捉えた瞬間には敵影は消えている。撃とうにも下手をすればキョウカに当たりかねない。
『小癪な真似を!』
機甲兵器の胸部がさらに発光を激しくする。同時に、左腕にも電磁カッターを瞬間形成。両腕で円を描くように転身し――
『な、――っ!』
がくん、と何かにつっかえたように、機甲兵器は作動停止。原因は足元にあった。いつの間にか吐きかけられていた化け物の唾液が、異様な粘性を発揮して脚部を地面に釘付けにしていたのである。
『何だこれはッ――』
何とか脱しようと足掻くものの、機甲兵器の出力を以ってしても脚は動かなかった。その間にも、化け物はキョウカをあっさりと無視していた。鈍重だが頑強な機甲兵器を相手にするよりも、生身の人間のほうが相手にしやすいのは道理である。化け物の目指す先は、必然とライフルを構えるケイへ切り替わっていた。
「チッ、来やがったか……!」
咄嗟にトリガーを引く。しかし、焦燥はエネルギー弾の直撃を阻害した。左右上下に不規則、かつ素早く動く敵に当たるはずもない。敵は容易く接近し――猛烈な速度で異様な裸身が迫り、
「のわっ!?」
その勢いに足がもつれ、後方に倒れてしまう。そこへさらに唾液の吐瀉。大量の粘液が接着剤のように胴体と両腕をアスファルトに縫いつけ、完全に動きを抑え込む。
ギチギチギチギチ……と歯軋りにしては硬質な音を立てて、化け物の無表情がケイの精悍な容貌に近づく。吐息はまるで腐り果てた果実。
「これ、で……終わリ、だ」
聞き苦しい濁音声は、紛れもなくこの化け物のものだ。勝利を確信し、陶酔する響きがそこには込められていた。
だが、東地ケイの顔には、どんなに苦悶が浮かぼうと、いかに赫怒が滲み出ようと、決して絶望が表れることはなかった。
「勘違いするなよ、クソ化け物……チェックメイトには、まだ早い……!」
確固たる自信。いかなる敗北を告げられようとも曲がることのない信念が、彼の諦めの悪い笑みに刻まれていた。
「負け惜しミ、か――見苦しイ、な」
男の言葉を単なる虚勢だと受け取ったのだろう。化け物はひときわ耳障りな声で吐き捨てると、不快な羽音を響かせる。
「待て。おれを見逃すつもりか」
ケイの挑発にも、化け物はわずかに首を傾げただけだ。
「後悔するぞ……おれを生かしておくと」
「そうかモ、しれなイ……だガ」
化け物は、ギシッ、と顔中の筋肉を笑いのカタチに軋ませた。
「ルールだかラ、ナ……獲物以外で喰ってもいいのハ、一人、だケ……」
ルール。まるで狩りを楽しむかのような化け物の態度と言葉に、ケイは眼を見開いた。
「お前……っ!」
「アアアアアアアア、そうとモ、喰うなラ、若い女に限るヨ、ナ!」
ケイの怒号と同時に、張り付いていた唾液が弾け飛ぶ。液体を突き破って現れたのは、巨大な砲身を持つロケット砲。間髪をいれずに引き金を引くが――
「アアアアアアハハハハハハハハハハハッ!」
化け物が飛翔する。目で追うのも困難なほどの速度で。
けたたましい笑い声が飛び去ってゆく。獲物の待つ街の奥へと。
......"Engage", to be continued......
ちょこちょこ更新します。周期は遅いです。あしからず。