1.優しい顔で
「痛っ」
「はい、我慢我慢ー。よし、終わりっ」
「なんかすいません」
「いいのよ。お茶入れてくるからゆっくりしててねー」
僕は今、全く知らない人の家にいる。
十分位前に、僕は車にぶつかられた。速度は遅く、ひくというまではいかなかったが、その衝撃で転び、膝を擦りむいた。
車は、ひき逃げならぬ、ぶつかり逃げをした。
「痛い。最悪だ」
なんだか気力を無くした僕は、その場に少し、座ったままでいた。そこへ、この家の住人が通りかかり、声を掛けてきた。
ここへ来るのを僕は丁寧にお断りしたのだが、半ば強制的に連れてこられた。そして怪我の手当てまでされた。
「はい、緑茶でいいかなー?」
「あの、僕もう……」
「まだいなさいよー。どうせ学校さぼりでしょー?」
「……」
図星だ。でも、僕はさぼりというより、登校拒否をしているから少し違うのだけれど。 ここへ連れてこられる前から思ってたけど、僕はこの人がすごく苦手だ。僕の意見なんかお構い無しに話を進められる。
この人は嫌味なくそんなことをしてくるから、余計苦手だ。
しばらく、テーブルを挟んで座っている人は何やら携帯電話をいじっている。そのせいで、すごく静かだ。
部屋を見回す。そう言えば、この人が僕を見付けたとき、両手にスーパーの袋を持っていた。袋の中には、一人暮らしとは思えない量の食材などが入っていた。
主婦なのかな。
もう一度、部屋を見回す。子供の物が見当たらないかぎり、夫と二人暮らしだろうか。
ここまで考えて、僕は、はっとした。なぜここまで他人のことを考えているのだろう。僕にしては、珍しい。
「おかしもどーぞっ」
いつの間にか、携帯電話をいじるのをやめて、おかしまで用意していたみたいだ。 テーブルの上に、スナック菓子の入ったお皿が置かれた。
僕はあまりスナック菓子を食べないのだけれど、ここは少し、食べておくべきかもしれない。
「あ!あいすもあいすもーっ」
出しすぎだ。いくらなんでも食べきれない。
「ハーゲンダッツよ。今日は奮発しちゃう!」
「はあ……どうも」
勢いに圧倒された僕には、それしか言えなかった。
「そのかわり!少しお話しましょ!」
ああ、帰りたい。オハナシなんて、めんどくさい。僕が学校に行かないのも、話し掛けられるのが嫌だからという理由なのに、こんなところでオハナシなんて。
でも、ハーゲンダッツのグリーンティーは僕の大好物だ。食べ終わるまでなら、オハナシも、いいかもしれない。
前の人は、僕の了解を得ずとも話し出した。
「んー、そうね。じゃあ、なんでさぼってるのかしら?」
「……めんどくさいんです」
「その答えからすると、毎日行ってないのね?あ、じゃあ今話してるのも結構めんどうくさいでしょ?」
「はい。……あ」
すらすらと話す、そのペースに乗せられてしまった。つい、本音が。
「あっはっは!いいのよ、素直っていうのは良いことよー」
そっかあ、じゃあそうねー、と前の人は次の質問を考えているみたいだ。
ふと、長めのスカートからのぞく、前の人の足が視界に入る。足首のあたりにはあざがあった。ぶつけたなんてもんじゃないくらいのあざだ。
僕がまじまじと見たのがいけなかったのだろう、気付かれた。
前の人は口を開く。
「これ?夫がやったのよー」
微笑みながら、
「同窓会に行ったら怒られたのよ」
足首を撫でる。
「でもね、」
酷く、愛しむように。
僕には、まるで解らない。前の人の、その、気持ちが。
ただ、アイスが溶けてゆく。
恋は盲目。
ならば、愛は。