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今から十一年ほど前、コンピューター革命が起こった。
世界中のすべての国の情報がコンピューター管理されるようになったのだ。
アメリカが主導となり、日本やヨーロッパの先進国、成長著しい中国、IT技術に強いインド、オンライン技術に長ける韓国なども協力し、全世界規模の巨大な情報ネットワークシステムが構築された。
セキュリティーの関係上、中核となるシステムはすべてアメリカ側で管理、ブラックボックス化されている。
その中核部分に関しても、いくつもの企業で一部ずつを開発し、システムの全体像は誰にも詳細には把握できないようになっているらしい。
この全世界規模の情報システムは『ギャラクシー』と呼ばれ、多くの発展途上国も含めたすべての国に対応できるよう、何年にもわたる準備や運用実験を経て、始動したのが今から十一年前となる。
ギャラクシーのシステムを起動した瞬間のことを『ビッグバン』と呼び、その年を新世界暦元年とした。
全世界規模のシステムなんて、トラブルが起こらないはずはない。そんな懐疑的な意見もあった。
でも、新世界暦となってから今年で十二年目。開始当初は小さなトラブルくらいはあったはずだけど、これまでのところ大きな混乱が起こるようなトラブルは発生していないという。
それだけ堅牢なシステムとして構築されているのだろう。
ギャラクシーで管理されている情報は、公開レベルによる制限はあるものの、基本的に全世界のすべての人が汎用端末によって参照できるようになっている。
その汎用端末が、すべての人に国から支給されている、ミサンガに似た形状の『エアコム』だ。
国から支給されているものだけど、実際にはギャラクシー管理の中心となっているアメリカによって作られた端末で、これが全世界の国に送られている。
前にも言ったとおり、名前や年齢などの個人情報に加え、職場や学校での役割、友人関係、所持金やら主な所持品までもがデータ化されている。
それだけだとプライベートがまったくない状態となってしまうけど、個人情報に関してはどこまで参照可能かのレベル設定も変えられるので、通常は問題ない。
友人関係であれば、名前や年齢、家の住所などを参照できるし、親友ともなれば、所持品なんかも公開できる。
レベル設定の効果範囲は交友関係だけに限られているわけではなく、役職や肩書き、立場などによっても扱いは変わってくる。
たとえば学校の先生であれば、自分のクラスの生徒の名前や住所などは参照可能になる、といった具合だ。
ただしその場合でも、個人側の設定が優先されるので、本人が拒否設定しているようであれば非公開となる。
この辺りの個人情報の取り扱いに関しても、これまでに大きな混乱や問題は起きていない。
しいて問題視されるとすれば、端末を使っていつでも情報を引き出せるため、個人情報自体が軽視され始めていることくらいだろうか。
だけど、これが当たり前となっている僕たちの世代にとって、あまり実感がないというか、気にしていないのも事実だったりする。
だからこそ、多くの人が日記やブログをエアコムでギャラクシーのデータ上に記載し、自分のプライベートを赤裸々に明かしているとも言える。
ちなみにエアコムを使うと、頭に文章をイメージしてエアウィンドウにタッチする操作だけで、ブログの更新なんかもすぐにできてしまう。
どうやら随分と楽に書けるようで、日記が三日と続かない人でもブログなら続けられるようになったという話も聞く。
僕の場合、そんなエアコムでのブログすら面倒で実践できていない状態だったりするのだけど……。
そういったブログだけでなく、各施設や団体、会社、個人などのホームページなんかも、ギャラクシー上に置かれていて閲覧可能となっている。
インターネット全体が、ギャラクシーのシステムによって包括されていると言っていいだろう。
これらは、『ギャラクシーネット』と呼ばれることもある。
すべての情報を扱う中央コンピューターはアメリカの首都ワシントンD.C.にあるとされている。
もっとも、実際にどうなっているのかは明かされていない。
全世界の情報を一手に扱っているわけだし、一台、もしくは数台程度のスーパーコンピューターではまかなえないと思われる。
データのバックアップ体制なども考えると、アメリカ全土の数十ヶ所に分散配置された、総合するととてつもない規模のシステムになっているのではないか、という憶測も飛んでいるようだ。
ともあれ、コンピューターでの情報管理が行き届いた現在ではあっても、僕の両親が言うには、便利になったのは確かなものの、普段の生活はさほど変わっていないらしい。
ギャラクシーのビッグバンがあったのは、僕が四歳の頃。
それ以前の生活なんて、僕にはよくわからないのだけど。
そんな新世界暦十二年の現在、新世界暦と同様、めでたく創立から十二年目を迎えたのが、僕たちの通う都立神龍学園だ。
新たな時代を担う新たな人材育成のためのモデル校、といった名目で創られた高校、というのは僕も以前から聞いていた。
僕の家から徒歩で通える範囲にあるし、気にはなっていたけど、結構レベルの高い学校でもある。
そう考えると、僕が今この神龍学園の生徒になっているというのも、実は驚くべき事象だったりするのだけど。
幼馴染みのちまきがこの学園を受けるということで、なぜだか僕も一緒に受験する流れになった。
小さい頃から、ちまきのワガママに振り回されてはきたけど、このときは少々大変だった。ちまきが僕の部屋に毎日のように押しかけてきて、猛勉強させられたっけ。
ちまき自身は頭がいいから、余裕とまでは言わないまでも、この学園を受けるに足るレベルだった。
一方の僕は、まったく話にもならないほどで。
そこから、ちまきのスパルタ教育が始まってしまったのだけど。
頭はいいのに教え方が極端に下手なちまきのスパルタ教育は、正直なんの意味もなく、僕はほぼ自力で成績を上げていくしかなかった。
そんなわけで、合格通知が届いたときには、心の底から驚いた。
これは夢ではなかろうか。そんなふうに思えてしまったのも、ごく自然なことだっただろう。
だから、入学式初日から大遅刻してしまったのも、ごくごく自然で当然の必然だったと言って差し支えないはずだ。
……いや、そんなことはないか……。
なお、僕の通う神龍学園は東京都国分寺市にある。
この場所が東京都の重心にあたる、という理由で、ここに建てられたらしい。
自由な校風が特徴で、最も変わっているのは、やはり生徒会長についてだと言える。
僕はまったく知らなかったわけだけど、この学園の生徒会長は、どうやら先生方よりも偉い立場ということになるようだ。
基本的に会長ひとりでなんでも決めていいことになっていて、先生方も会長の決定を実現するために協力する必要がある。
唯一学園長だけは、会長の決定を止める権限を持っているみたいだけど。
ただ、学園長自身が放任主義的な立場にあるため、今までに会長の決定を覆した前例は数えるほどしかないのだとか。
僕は今回、会長補佐という役目を与えられた。これはかなりの特例になる。
実に名誉なことなのだぞ? と会長からは言われたけど、べつになりたかったわけでもないし、困惑するばかりだ。
それにしても……。
ひとりでなんでも決めることができて、実行するための協力は先生方がしてくれるのなら、補佐である僕は、いったいなにをすればいいというのだろう?
不安……というか不満が、胸の奥から湧き上がってくる僕だった。